
山科疎水(琵琶湖疎水)を歩いていると、トンネルのようなものが・・・
でもトンネルはなく、ただ置かれているようです。

説明板には「第2疎水トンネル試作物」と書いてあります。
第1疎水は1890(明治23)年に完成しましたが、明治30年に入ると電力需要等の増大への対応や、地下水に頼っていた飲料水の不足が問題となり、第1疎水の北側に第2疎水が1912(明治45)年に造られました。第2疎水は主として水道水源に用いるため、水が濁るのを防止する目的で埋め立てトンネルとしました。
このアーチ状のコンクリート構造物は、疎水の建設や維持管理に従事していた作業員が建設技術を習得するため、第2疎水の埋め立てトンネル上部の複製を製作したものだといわれています。第2疎水は地上からはほとんど見えませんが、蹴上の第1疎水の合流点(写真)で見ることができます。
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