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原爆の投下訓練を目的に米軍が富山市内に落とした「模擬原爆」

2018年11月21日 | 広島の旅

広島を訪れて、原爆のことをもっと知りたいと思っていると
”原爆の投下訓練を目的に米軍が富山市内に落とした「模擬原爆」”の記事が。

 太平洋戦争末期の昭和20年、原爆の投下訓練を目的に米軍が富山市内に落とした「模擬原爆」を目にした、当時中学2年生だった医師田中悌夫さんがおられます。

 突然、機体が「ピカッ」と光ると「ザァー」という空気を切り裂くような音が鳴り響いた。「伏せろ」。近くにいた大人の叫び声でとっさに付近の壕に飛び込み伏せた。次の瞬間、ごう音とともに地面が震え、顔を上げると富山駅の北側で黒い煙が立ち上っていた。

 この時の爆弾が模擬原爆だった。長さ約3.5メートル、重量約4.5トン。
長崎に投下された原爆とほぼ同じ形状と重量で、通常の爆薬が詰められており色や形からパンプキン爆弾と呼ばれた。


広島、長崎のリハーサルに使われた「もう一つの模擬原爆」があったのです。富山市には、昭和20年に計4発の模擬原爆が投下され、約60人が亡くなり、80人以上が負傷したそうです。

「富山大空襲を語り継ぐ会」の、代表幹事を務める田中さんは
模擬原爆を感じた衝撃や恐怖を次世代に伝えようと活動されています。
模擬原爆があったとは知りませんでした!この記事は、こちらです。

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