「えこ贔屓」でお昼を済ませた後、商店街を通って向かったのは
袋町にある「広島市立袋町小学校 平和資料館」でした。
爆心地から460mの位置にある袋町(ふくろまち)小学校は
爆撃によって大きな被害を受けました。
壁面に刻まれたヒロシマの証言
被爆後から被災者の救護所として利用された西校舎内の壁面には
被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く記されていました。
炭化した木れんがが残っている壁です。
伝言文字が残されている壁
この壁は児童館(解体前)として使用されていた教室の黒板の裏にあったもので
被爆当時に書かれたと思われる伝言文字が残されています。
漆喰の下に今も残る伝言
1999年(平成11年)3月、壁面の漆喰の一部を剥がしたところ
「寮内」という文字が出てきました。
被爆により壊れた扉と窓
高いところからヒューという音がして、大きな爆弾らしいものが頭の上に落ちてきたなと思って。急いで目と耳を押さえ床に伏せ机の下にもぐりこんだ。
目を開いてみると周囲は真っ暗で、じっと見ていると一瞬はパッと明るくなったので「生きているか」と叫んだが、答えるものは誰もいなかった。
校庭に出てみると、ちょうど、夜明けぐらいの明るさであった……
袋町小学校創立100周年記念誌「ふくろまち」より一部抜粋
かろうじて焼け残った西校舎は翌日から被災者の救護所として
救護活動の重要な拠点の一つになりました。
戦争を知らない私は、原爆は怖いと思いながらも実感はありませんでしたが
1945年8月6日の忘れてはいけない「原爆の恐怖」が伝わってきました。
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