ヨットで太平洋を“往復”横断しているキャスターの辛坊治郎氏(65)が、24日午前9時20分頃、大阪にゴールしました。
辛坊氏は、13年の初チャレンジでは救助されて失敗。
今年4月に8年ぶりの再挑戦で日本を出発し、6月16日(日本時間17日)、米サンディエゴにゴールしました。その日に復路もヨットで帰国する意志を表明し、サンディエゴ滞在わずか5日程度でスピード出発し話題になっていましたが、意志が強いですね! おめでとうございます。
イスラム主義勢力タリバンが全土を掌握したアフガニスタンからの邦人などの退避を巡り、自衛隊輸送機による移送は最大約500人を想定していることがわかりました。
しかし武装勢力のタリバンが、「日本人を必要としている」などと協力を呼びかける一方、自衛隊には、早期撤退を求めています。
もし安全が保証されても、人質になるのではと思い・・・心配ですね。
自民党総裁選挙管理委員会は26日、菅義偉首相の総裁任期満了に伴う総裁選を「9月17日告示、29日投開票」とする日程が決まりました。
「大地の子」
NHK BSプレミアム 9:00 PM、毎月曜日に数回で放送していました。
山崎さんの代表作として挙げられている作品には『白い巨塔』、『沈まぬ太陽』などありますが、中国を描いた『大地の子』は忘れられない作品です。
「大地の子」は、中国残留孤児の人生を描いたストーリーです。
満州開拓団にいた男の子が、日本の敗戦後、過酷な体験をして生き残り、中国人養父母のもとで育ちます。
「小日本鬼子(日本の蔑称)」といじめられながらもたくましく生き、大学を卒業して鋼鉄公司に就職しますが、文化大革命の嵐に巻き込まれ労働改造所に送られ、筆舌に尽くしがたい苦労をします。
しかし、養父の温かく懸命な救出活動により生還。国家を挙げて取り組む日中合作の製鉄所プロジェクトのメンバーになりますが、そこには実の父がいた……というお話です。
NHKでドラマ化された、日本の名優・仲代達矢さんや中国の名優・朱旭さんを上回るほどの素晴らしい演技をしたのが、当時、無名の俳優だった上川隆也さんのセリフである中国語が素晴らしかったことです。
ここからは、中島恵ジャーナリスト 戦争を憎み、平和を愛した作家、山崎豊子さんの『大地の子』秘話 から抜粋させて頂きました。
わかりあえない中国人と日本人を描くシーンに胸がつまる
通常、国際社会では問題にならないようなささいなことについて、平気でイチャモンをつける中国人に唖然とする日本人―。そして、日本側への不信感を募らせ、「バカにされたくない」と思うプライドの高い中国人――。
この対立は、まさに現在の日中の関係悪化にもつながる
山崎さんがこの小説を書いた、執筆のきっかけや秘話も紹介しています。中国の招待で1983年、84年と続けて訪問され、そのとき、北京の出版社の方から「宋慶齢について書いてくれませんか?」と依頼されました
宋慶齢さんは孫文さんの妻となった女性、有名な宋家さんの3姉妹の二女です。山崎さんは「私にはとても中国人は書けません」と辞退すると、「あなたは『二つの祖国』でアメリカを書いたじゃないですか? アメリカを書けて、中国は書けないんですか?」といわれました。そこで「二つの祖国」で日系アメリカ人を書いたことを思い出し、「中国には戦争孤児がいた。これなら書けるかもしれないとひらめいた」といいます。
実の父の横で、一心が「私は大地の子です。」と言ったシーンです。
主人公・陸一心のモデルとなる残留孤児がいるわけではありません。山崎さんが取材した何人かの孤児のエピソードをつないで構成しているそうですが、残留孤児の中で、高校以上に進学した人はわずかしかいなかったとか。
ほとんどが農村で労働力のひとりとして働き、中には自分の名前くらいしか書けなかった人も多かったそうです。山崎さんは「残留孤児」という言葉は決して使いませんでした。本書によると、「残留」という言葉には「自分の意思で残った」ニュアンスがあるからだそうです。
胡耀邦総書記の支援がなかったら、おそらく『大地の子』が日の目を見ることはなかったでしょう。ようやく大作『大地の子』は完成しました。しかし、完成を目前にした1989年4月、胡耀邦氏は亡くなってしまいます。天安門事件の2カ月前でした。
胡耀邦氏といえば、政治改革に取り組んで保守派の批判にさらされて失脚した人物。民主化を叫ぶ大学生にも理解を示していました。胡氏への学生たちによる追悼デモが天安門事件の引き金になったといわれています。
1980年代に、中国へ観光で行ったことがあります。
観光している時に、男性が紙を差し出し「これは何と読みますか?」と片言の日本語で声をかけられました。手にしていた紙をみると、書かれていたのは「日本の男の人の名前」でした。
「大地の子」を見ていて・・・今思えば
あの人は日本人で、日本名を知りたかったのだと思いながら
あの時、もっと色んなことを話せば良かったと思いました。
でも1980年代は、気軽に話せるような時ではありませんでした。
辛坊氏は、13年の初チャレンジでは救助されて失敗。
今年4月に8年ぶりの再挑戦で日本を出発し、6月16日(日本時間17日)、米サンディエゴにゴールしました。その日に復路もヨットで帰国する意志を表明し、サンディエゴ滞在わずか5日程度でスピード出発し話題になっていましたが、意志が強いですね! おめでとうございます。
イスラム主義勢力タリバンが全土を掌握したアフガニスタンからの邦人などの退避を巡り、自衛隊輸送機による移送は最大約500人を想定していることがわかりました。
しかし武装勢力のタリバンが、「日本人を必要としている」などと協力を呼びかける一方、自衛隊には、早期撤退を求めています。
もし安全が保証されても、人質になるのではと思い・・・心配ですね。
自民党総裁選挙管理委員会は26日、菅義偉首相の総裁任期満了に伴う総裁選を「9月17日告示、29日投開票」とする日程が決まりました。
「大地の子」
NHK BSプレミアム 9:00 PM、毎月曜日に数回で放送していました。
山崎さんの代表作として挙げられている作品には『白い巨塔』、『沈まぬ太陽』などありますが、中国を描いた『大地の子』は忘れられない作品です。
「大地の子」は、中国残留孤児の人生を描いたストーリーです。
満州開拓団にいた男の子が、日本の敗戦後、過酷な体験をして生き残り、中国人養父母のもとで育ちます。
「小日本鬼子(日本の蔑称)」といじめられながらもたくましく生き、大学を卒業して鋼鉄公司に就職しますが、文化大革命の嵐に巻き込まれ労働改造所に送られ、筆舌に尽くしがたい苦労をします。
しかし、養父の温かく懸命な救出活動により生還。国家を挙げて取り組む日中合作の製鉄所プロジェクトのメンバーになりますが、そこには実の父がいた……というお話です。
NHKでドラマ化された、日本の名優・仲代達矢さんや中国の名優・朱旭さんを上回るほどの素晴らしい演技をしたのが、当時、無名の俳優だった上川隆也さんのセリフである中国語が素晴らしかったことです。
ここからは、中島恵ジャーナリスト 戦争を憎み、平和を愛した作家、山崎豊子さんの『大地の子』秘話 から抜粋させて頂きました。
わかりあえない中国人と日本人を描くシーンに胸がつまる
通常、国際社会では問題にならないようなささいなことについて、平気でイチャモンをつける中国人に唖然とする日本人―。そして、日本側への不信感を募らせ、「バカにされたくない」と思うプライドの高い中国人――。
この対立は、まさに現在の日中の関係悪化にもつながる
山崎さんがこの小説を書いた、執筆のきっかけや秘話も紹介しています。中国の招待で1983年、84年と続けて訪問され、そのとき、北京の出版社の方から「宋慶齢について書いてくれませんか?」と依頼されました
宋慶齢さんは孫文さんの妻となった女性、有名な宋家さんの3姉妹の二女です。山崎さんは「私にはとても中国人は書けません」と辞退すると、「あなたは『二つの祖国』でアメリカを書いたじゃないですか? アメリカを書けて、中国は書けないんですか?」といわれました。そこで「二つの祖国」で日系アメリカ人を書いたことを思い出し、「中国には戦争孤児がいた。これなら書けるかもしれないとひらめいた」といいます。
実の父の横で、一心が「私は大地の子です。」と言ったシーンです。
主人公・陸一心のモデルとなる残留孤児がいるわけではありません。山崎さんが取材した何人かの孤児のエピソードをつないで構成しているそうですが、残留孤児の中で、高校以上に進学した人はわずかしかいなかったとか。
ほとんどが農村で労働力のひとりとして働き、中には自分の名前くらいしか書けなかった人も多かったそうです。山崎さんは「残留孤児」という言葉は決して使いませんでした。本書によると、「残留」という言葉には「自分の意思で残った」ニュアンスがあるからだそうです。
胡耀邦総書記の支援がなかったら、おそらく『大地の子』が日の目を見ることはなかったでしょう。ようやく大作『大地の子』は完成しました。しかし、完成を目前にした1989年4月、胡耀邦氏は亡くなってしまいます。天安門事件の2カ月前でした。
胡耀邦氏といえば、政治改革に取り組んで保守派の批判にさらされて失脚した人物。民主化を叫ぶ大学生にも理解を示していました。胡氏への学生たちによる追悼デモが天安門事件の引き金になったといわれています。
1980年代に、中国へ観光で行ったことがあります。
観光している時に、男性が紙を差し出し「これは何と読みますか?」と片言の日本語で声をかけられました。手にしていた紙をみると、書かれていたのは「日本の男の人の名前」でした。
「大地の子」を見ていて・・・今思えば
あの人は日本人で、日本名を知りたかったのだと思いながら
あの時、もっと色んなことを話せば良かったと思いました。
でも1980年代は、気軽に話せるような時ではありませんでした。
「大地の子」良かったですね~
船室のベッドで、涙ながら話した時ですね。
2人の父が良い人だったのが救いでもありますが
それだけに、2つの祖国の間で苦しむ一心でしたね。
上川隆也さんの素晴らしい演技が無名の時と知り
これからの作品も楽しみです。
「残留」という言葉には
「自分の意思で残った」ニュアンスがある。
戦争のない世界になって欲しいですね。
コメントありがとうございます。
「大地の子」、もう何回も観ましたが、今回も又何度も泣きながら観ました。
陸一心が自分は大地の子だと言う前の夜、2人の父、2つの祖国の間で苦しむ場面はもう胸が痛くなりました。
上川隆也は素晴らしい俳優だとこの番組を観てつくづく思いました。
忘れられない作品の1つです。