いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」2010年12月19日(日)より
大神家で、貴重な「厨子入象牙彫キリスト磔刑像」と「銅版画」を拝見した後に
円岳山の高雲寺へ向かいました。
円岳山 高雲寺境内のキリシタン墓碑 (2基)
下音羽地区、禅宗曹洞宗 円岳山高雲寺境内に慶長期 (1596~1615) のキリシタン墓碑が保存されていました。 当時は寺請制度があり、庶民は必ず寺に属し檀家にならなければならなくて、下音羽・千提寺地区のキリシタンは高雲寺の檀家となり、キリシタンであることを隠していました。
両方とも馬蹄形の伏碑で地元の花崗岩を使用
●右側(小さい方)
碑面中央部に右から「慶長十八年 ギリシャ十字 小泉 五月廿四日」と刻まれ
高雲寺のくつ脱ぎ石に使われていたのを発見された。 (小泉は人名)
●左側(大きい方)
墓碑には碑面上部にギリシャ十字、その下部右から
「慶長十五年 ぜにまるた はら 十月十一日」と刻まれ
高雲寺の手水鉢の台に使われていたのが発見された。
下音羽地区 井上 政彦家のキリシタン墓碑
この碑の所有者「井上氏」宅の庭に保存されています。
●碑面上部にギリシャ十字
その下右には「慶長○○ くはまりや ○○○○○」の文字。
地元の花崗岩を使用、中央の名前以外はほとんど読めないが、この集落には今も使われている「くぼの井戸」と呼ばれる泉があり、井戸の脇に「中久保」の屋号を持つ井上家があり下音羽の井上一族の総本家と伝えられている。
現存墓碑中では唯一の苗字と所在地が一致する資料です。
(いばらきし観光ウォークガイド資料・茨木市教育委員会資料より)
「隠れキリシタンの里」は、キリシタン大名で有名な高山右近の領地でした。
大神家で、貴重な「厨子入象牙彫キリスト磔刑像」と「銅版画」を拝見した後に
円岳山の高雲寺へ向かいました。
円岳山 高雲寺境内のキリシタン墓碑 (2基)
下音羽地区、禅宗曹洞宗 円岳山高雲寺境内に慶長期 (1596~1615) のキリシタン墓碑が保存されていました。 当時は寺請制度があり、庶民は必ず寺に属し檀家にならなければならなくて、下音羽・千提寺地区のキリシタンは高雲寺の檀家となり、キリシタンであることを隠していました。
両方とも馬蹄形の伏碑で地元の花崗岩を使用
●右側(小さい方)
碑面中央部に右から「慶長十八年 ギリシャ十字 小泉 五月廿四日」と刻まれ
高雲寺のくつ脱ぎ石に使われていたのを発見された。 (小泉は人名)
●左側(大きい方)
墓碑には碑面上部にギリシャ十字、その下部右から
「慶長十五年 ぜにまるた はら 十月十一日」と刻まれ
高雲寺の手水鉢の台に使われていたのが発見された。
下音羽地区 井上 政彦家のキリシタン墓碑
この碑の所有者「井上氏」宅の庭に保存されています。
●碑面上部にギリシャ十字
その下右には「慶長○○ くはまりや ○○○○○」の文字。
地元の花崗岩を使用、中央の名前以外はほとんど読めないが、この集落には今も使われている「くぼの井戸」と呼ばれる泉があり、井戸の脇に「中久保」の屋号を持つ井上家があり下音羽の井上一族の総本家と伝えられている。
現存墓碑中では唯一の苗字と所在地が一致する資料です。
(いばらきし観光ウォークガイド資料・茨木市教育委員会資料より)
「隠れキリシタンの里」は、キリシタン大名で有名な高山右近の領地でした。
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