平等院表参道を散策した後、集合場所へ向かう道から
青空に見えた大きな銀杏(イチョウ)の木に導かれるようにして行くと
そこは、平等院の南西近くにある「縣(県)神社(あがたじんじゃ)でした。
この神社の創建年代等については不詳ですが、古くは大和政権下における縣(あがた)に関係する神社と見られ、1052年(永承7年)藤原道長が別荘を寺院である平等院とする際にその鎮守社にしたと言われています。
御祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。天孫ニニギノミコトの妃で、山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘にあたるそうです。
これは帰ってから気がついたのですが、縣神社の神紋は「桜」で
撮ってきた写真から、瓦や提灯などから神紋の「桜」が見られました。
平等院が三井寺門主の開眼にかかり天台宗に属していたため、三井寺円満院の管理下にありましたが、明治の神仏分離令によって独立しました。
毎年6月5日から6日未明に開催される「県祭(あがた祭)」のことは知りませんでしたが、梵天が梵天講の若者に担がれ、ブン回しや差し上げなど勇壮に練り歩く大祭だそうです。 梵天渡御では家々も明かりを落とすため、「暗闇の奇祭」とも称され、露店が700店余り出店し数万人の見物客で賑わうそうです。行きたいですね!
境内には「木の花ざくら」と命名されたシダレザクラ、そして昭和56年に宇治市名木百選に認定された推定樹齢は500年の「むくの木」、平成10年に同じく宇治市名木百選に認定されたのが、この推定樹齢200年の「イチョウの木」でした。
平等院の北の「橋姫神社」が、縁切り祈願の信仰をあつめ
南の縣神社は、縁結びや安産にご利益があると言われています。
青空に見えた大きな銀杏(イチョウ)の木に導かれるようにして行くと
そこは、平等院の南西近くにある「縣(県)神社(あがたじんじゃ)でした。
この神社の創建年代等については不詳ですが、古くは大和政権下における縣(あがた)に関係する神社と見られ、1052年(永承7年)藤原道長が別荘を寺院である平等院とする際にその鎮守社にしたと言われています。
御祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。天孫ニニギノミコトの妃で、山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘にあたるそうです。
これは帰ってから気がついたのですが、縣神社の神紋は「桜」で
撮ってきた写真から、瓦や提灯などから神紋の「桜」が見られました。
平等院が三井寺門主の開眼にかかり天台宗に属していたため、三井寺円満院の管理下にありましたが、明治の神仏分離令によって独立しました。
毎年6月5日から6日未明に開催される「県祭(あがた祭)」のことは知りませんでしたが、梵天が梵天講の若者に担がれ、ブン回しや差し上げなど勇壮に練り歩く大祭だそうです。 梵天渡御では家々も明かりを落とすため、「暗闇の奇祭」とも称され、露店が700店余り出店し数万人の見物客で賑わうそうです。行きたいですね!
境内には「木の花ざくら」と命名されたシダレザクラ、そして昭和56年に宇治市名木百選に認定された推定樹齢は500年の「むくの木」、平成10年に同じく宇治市名木百選に認定されたのが、この推定樹齢200年の「イチョウの木」でした。
平等院の北の「橋姫神社」が、縁切り祈願の信仰をあつめ
南の縣神社は、縁結びや安産にご利益があると言われています。
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