喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

また会おう  Botaliev Bekzat (ボタリーエフ ベクザット)   

2013-04-07 | ブログ
Botaliev Bekzat (ボタリーエフ ベクザット) 物語  



 今年1月26日から喜久家ボランティアとして来てくれていたキルギス出身のボタリーエフ・ベクザット。
2ヶ月半の活動を終え、今朝9時過ぎに出発。
今夜7:20の東京行き夜行バスに乗り、明日の朝7:20に新宿西口に到着。
昼頃、成田空港を飛び立ちモスクワに向けて10時間のフライト。
乗りつぎのため6時間待ち、4時間かけて故郷キルギスへ。

 ベックは、それくらいの時間をかけて、東京でも大阪でもない小さな平礒へ来てくれた。
私たちがこうして出会ったことはまさに奇跡といえる。

 故き良き日本人を感じさせる。
日本人以上に日本人らしかった。



 明るく、まじめで、やさしく、働き者。
たくさんのエピソードがある。
 1週間休みなく農作業をしてくれたので、母が
「ベック、明日は休んでください。」
と言ったら、
ベック:「お母さんも休みですか。」
母:「私は、忙しいので休んでいられないのよ。」
ベック:「それなら、僕も手伝います。休みがなくてもだいじょうぶです。」



 またこんなこともあった。
ある朝、小雨が降る中、妻が両手にゴミをかかえ、ゴミ出しへ。
通りかかったベックは、すれちがいざまにすぐ、
「ゴミを持ちます。」
と言って、手助けしてくれたとのこと。



 昨夜は、恒あんちゃんが銀河で送別会を開いてくれた。
よくいっしょに作業した石井さんも出席してくれ、
ベックをねぎらい、思い出話に花を咲かせてくれた。



 みんなに愛されたベック。
いよいよ旅立ちの朝。
 良あんちゃんや谷さんも見送りにかけつけてくれた。
ベックの目からは涙があふれ出し、止まらない。
 最後はいつものあいさつ。
「ベック、いってらっしゃーい。また帰っておいでよ。」

 

 私たちは、たくさんのことをベックから教えられた。
出会いが人を変える。
 再会の時までに、もっと成長していたい。

                 岬人(はなんちゅう)