喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

22年ぶりの友との再会

2014-08-26 | ブログ
 今日はとてもうれしいことがあった。

 平成2年、大学を卒業し最初の職場が、愛媛県の野村中学校。
「シルクとミルクのまち 野村」
または酒をたくさん飲むので、「のむら」とも言われていた。
社会人をスタートし、情熱をかたむけた場所として私の原点となっている。

 2年目の平成3年、1人の少女が入学してきた。
おっとりとしていたが、大きな瞳はキラキラしていた。
 バレー部に入部してきたが、
「こんなはずじゃなかったのに。」
という厳しいトレーニングや練習が待っていた。
毎朝のトレーニングは、ナイロン袋に砂を入れ、それを両手に持ち1000㍍を走った。
冬の寒い朝などは、まつ毛が白くなった。
それでも彼女は弱音をはかず、黙々と取り組んだ。
思い出に残る一人だった。

 彼女たちとはわずか1年のつきあいだった。
転勤をし、卒業の姿を見られないまま別れることになった。

 あれから22年。
今年の春、フェイスブックで1通のメッセージと友だち申請があった。
あの時の少女。
 お互いのいろいろな話をするうちに、鹿児島で家庭生活を送っているにもかかわらず、
わが家のデコポンを素材に田村菓子舗が作ってくれた「浅野さんちのデコポンろーる」
をネット販売で購入し味わってくれるなど、理解を示してくれている。

 今ふるさとに帰省しているということで、今日わざわざ会いに来てくれた。
途中でご両親を亀ガ池温泉におろし、間もなく2歳になる娘といっしょに。
 
 予定通り午後2時に三崎に到着したという連絡が入った。
急いでかけつけると、娘を抱いて立っていた。
あの時の少女が、すてきな女性に成長し、子育てを頑張っている、楽しんでいる。
特徴ある大きな瞳は今でもキラキラしていた。

 暑さがしのげて、子どもが動き回っても安全な場所ということで、
二名津の田村菓子舗前の芝生公園に行くことにした。
 日陰になっている店の前のベンチに座ると、浜風が路地を伝って流れてきた。
そんな心地よさのなか、昔の話や大人になってからの話、今の思いなど次々と話がわいてくる。
娘は、お母さんの胸に抱かれているのがいいらしく、ずっと抱っこをせがんだ。
その時は、やさしく、大らかに包みこむ母となっていた。
少女だったり、大人の女性だったり、母だったり。







 楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰ることになった。
友は、おめあての「浅野さんちのデコポンろーる」を買って、持って帰ることにしたようだ。
せっかくなので、田村菓子舗の他のお菓子もお土産に贈った。
わが家の「清見ジュース」といっしょに。

 友からも野村ホワイトファームのおいしいアイスクリームをお土産にもらった。
今夜わが家では、取り合いになるかも。



「今度は、もっとゆっくりとお話ししましょう。」
友と約束した。

 出会いは、人を変える。
出会いは、宝物。

                   岬人(はなんちゅう)