喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平成27年 第70回愛媛県戦没者追悼式での献花

2015-08-20 | ブログ
 8月15日、70回目の終戦記念日。
初めて愛媛県戦没者追悼式に出席した。



 終戦から70年が経過し、戦後生まれが8割超となった。
戦争体験者も高齢化し、70代の人でさえ、その記憶が薄い。

 記憶が薄かったり、記憶に残っていない戦没者への思いをどのように引き継いでいくのか、
戸惑いもみられるようだ。

 今年76歳になる私の父でさえ、戦争で亡くなった自分の父の記憶はほとんどない。
それでも母や周りの人たちからの話で、父の姿を感じることができる。

 そんな父から7月に入って話があった。
「遺族も高齢化し、孫やひ孫の若年世代の遺族も追悼式に参加してもらおうとする流れになっている。
参加してくれんか?」

 もちろん、断る理由など全くない。
 参列の申し込みをしてすぐに、愛媛県の事務局から電話があり、
代表献花をお願いできないかとのこと。
 さすがこれには、とまどってしまったが、謹んで引き受けることにした。


 9時30分ころ、松山市のひめ銀ホールに到着し、
いっしょに献花するひ孫の小学生と中学生とご対面。
 担当者から説明を受け、リハーサルをした。

 周りを見わたすと、かなり人が入っている。
2000人との発表があった。



 隣の2人は緊張気味。
ひいおじいちゃんの話などを聞いているうちに、少しずつ笑顔が見られるようになった。
そして、一番かっこよく、思いをこめて献花しようと気持ちをそろえ、本番を待った。

 10時30分、知り合いの大澤アナウンサーの司会により、愛媛県戦没者追悼式が始まった。
 君が代斉唱、黙とう、県知事の式辞、追悼の辞(県議会議長、遺族代表)、追悼電報の披露、
そして献花が始まった。

 「若年世代遺族代表 殿」
 私たち3人は、起立し、会場の参列者に向かい深々と礼をし、菊の花束を受けとった。
その後、中央祭壇の前に立ち、心をこめて、献花を行った。
隣の2人も落ち着いた様子。
本当にすばらしかった。


 
                                  「献花する孫の私(一番奥)」
 式典が終わり、ほっとひと息。
記念にそろって写真を撮ってもらった。


                                 
 日中戦争以降の県内の戦没者は、戦地で負傷し帰国後に死亡した人も含めて、
軍人・軍属が、4万4562人。
空襲で亡くなった人は、1251人。

 私の祖父の悲しい物語。
亡くなった方の数だけ、悲しい物語がある。

 この悲しみをくり返さないことが、私たちに引きつがれた最も大切なこと。



              岬人(はなんちゅう)