喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家のゆかいな仲間たち

2015-08-24 | ブログ
 ただ今、平礒の喜久家には、3人の若者のボランティアがいる。
ロシア、カザン出身のアザト、初めてのベトナム出身のミン、そして先日合流したフランス、パリ郊外のソフィアン。
3人とも23歳の同い歳。
イケメン。

 

 父と母が、暑い中よく働いてくれる3人に夕食をごちそう。
涼しくなった母家の縁側で、一席もうけられた。

 日本が初めてのパリのソフィアン。
ジャパンエキスポでアルバイトをしたことがあるほど、日本好き。
特にマンガ、アニメに興味があるようだ。

 ムスリムということもあり、生活に凛としたけじめがある。
1日5回の礼拝。 酒・肉には、手をつけない。
鍛えられた体は、彼のまじめさをあらわしている。

 初のベトナム出身のミン。
日本語もずいぶんと上手になってきた。
そして、表情が明るくなり、よく笑う。
彼がいるだけで、その場が和む。
 
 敬虔な仏教徒。
毎日、自分を見つめるために座禅をするようだ。

 そして、ロシアのアザトは、かなりの日本通。
歴史的なことも、さらに精神的なことについても理解を示す。
3人の中で、1番日本語がわかるので、通訳としての働きもしてくれている。

 この田舎である平礒をとても気に入ってくれていて、
今月29日に出発することになっているが、また必ず帰って来たいと言ってくれる。
「喜久家プロジェクトという取組はとてもいい。」
と絶賛。

 日本の小さな人口50人の郷で、
 ロシア、フランス、ベトナムの同じ年齢の若者が集い、
自分や自分の国を見つめなおし、未来について語り合う。
 そんな彼らといっしょにいるだけで、わくわくする。

 地域づくりのポイント。
若者・ばか者・よそ者。


 一生忘れることがない3人の若者たちだ。

 
           岬人(はなんちゅう)



 

四国最西端の佐田岬灯台

2015-08-24 | ブログ
 22日(土)、久しぶりに佐田岬灯台に行ってみた。
昔は、夏に必ず訪れたものだ。

 位置的に様々な言い方がされる。
例えば、「四国最西端」。

 それも間違いではない。
でも九州から見ると、目と鼻の先にある。
四国の玄関口とも言える。

 目線を変えてみると、ちがった思いと楽しみが生まれてくる。
そう、九州とのつながり、交流をもっと探してみることもおもしろいだろう。

 佐田岬灯台に着いた頃には、太陽が西方の九州に沈み、
オレンジ色の夕暮れとなっていた。



 それからしばらくすると、灯台の灯りがついた。
海の安全を見守る灯り、暗闇の希望の光、将来を照らす灯り。
1918年(大正7年)4月1日に初点灯。

 

 未来に残したいふるさとの風景。

         岬人(はなんちゅう)