浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

迎春2025年

2025年01月01日 19時55分58秒 | Weblog
あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

皆様にも良い一年でありますように


本日、わたしは出勤日でした。
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高松へ出かけた

2024年11月23日 20時42分45秒 | Weblog
今日は、仕事が公休だった。
天候もよかった。
そこで、路線バスで岡山駅に行き、岡山駅から、快速「マリンライナー」で高松に行った。
高松港に入港するフェリーの写真を撮影したり、香川県立ミュージアムに行った。

都合により、詳細は、後日書かせていただきます。
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津山などへドライブ

2024年10月14日 20時45分32秒 | Weblog
今日も、仕事が公休だった。
そこで、マイカーで県北の津山などへ出かけた。
まず、はじめに向かったのは、津山市にある津山まなびの鉄道館である。
9時に着くのが理想だったが、出発が遅れたので、現地には9時15分頃、到着した。
駐車場はほとんど埋まっていたが、警備員の方が、駐車してもよい場所へ誘導してくださった。
車から降りると、津山まなびの鉄道館に入館した。



本日は、DD13形ディーゼル機関車が転車台の上にのっていた。





転車台のDD13を撮影後、扇形庫で展示されている車両を眺めながら、撮影した。



かつて特急「やくも」で使われていたキハ181形とローカル線の2エンジン車、キハ52形が隣り合って、展示されていた。

なお、普段は庫内に展示されている、キハ58形、キハ28形、キハ33形は、留置線に移動して、展示されていた。

続いて、D51形蒸気機関車を眺めながら、撮影した。





D51形は、国内の蒸気機関車の同一形式では最も多くの車両が製造された。
主に、幹線で貨物列車などの牽引に使用された。
津山まなびの鉄道館では、唯一の蒸気機関車で、その機関車の前で記念撮影されていた方も多かった。

続いて、国鉄型電気式ディーゼル機関車のDF50形を撮影した。



それも、幹線を中心に活躍したが、DD51形などが誕生後は、次第に活躍範囲が狭められた。

続いて、DD15形ディーゼル機関車を撮影した。



除雪用の機関車である。
機関車本体は、DD13形ディーゼル機関車と似たカタチをしている。

その隣には、DD51形ディーゼル機関車が展示されている。



幹線用の液体式ディーゼル機関車で、かつては、山陰本線で、ブルートレインの「出雲」などをけん引していた。
全盛期には、四国を除く各地で使用されていた形式の機関車で、旅客列車や貨物列車の牽引に活躍した。

その隣には、入れ替え専用の貨車移動機が展示されている。



さらに進むと、DE50形ディーゼル機関車とDD16形ディーゼル機関車が隣り合って、展示されている。





DE50形は、国鉄時代に1両しか製造されなかった機関車で、伯備線で使用されたことがあるが、比較的早く、休車となり、国鉄民営化前に廃車となった。

DD16形は、簡易線用に作られた小型の液体式ディーゼル機関車で、一部のローカル線などで貨物列車などのけん引に使用されていたほか、300番台に区分される車両は、除雪用にも使用された。



そのあとも、車両などを眺めながら、撮影をした。











そして、売店で買い物をしたあと、まなびの鉄道館をあとにした。

そのあとは、津山駅に向かった。

駅前付近の有料駐車場に車を止めると、駅に行った。



駅前には、箕作阮甫の銅像があり、そのそばにC11形蒸気機関車が展示されている。





撮影後、駅舎に入り、入場券を買って、改札内に入った。

そして、かつての地下通路だったところに展示されているものを観た。



しばらく進むと、行き止まりになっていて、そこには、SAKU美SAKU楽の張りぼてが展示されていた。
レールもきちんと敷かれている。

そのあとは、駅舎の改札内に設置されたトイレを取材した。
そして、少し経ってから、改札から出て、駅舎の外に出た。

駅前に出ると、再度、C11形蒸気機関車を撮影した。



そのあと、駐車場に止めた車に戻り、駐車料金の精算をしたあと、道の駅久米の里に向かった。
その途中に、100円ショップがあったので、買い物をした。

道の駅久米の里に着くと、飲食店で早めの昼食をとった。
その時は、まだ11時台だったが、かなり人が多かった。
幸い空席はあった。



本日は、ホルモンうどんを食した。

そのあと、ガンダムのモビルスーツを眺めて撮影した。



本日は、祝日のため、人が多く、わたし以外にも撮影していた方がいた。
そのあと、わたしは、野菜などの買い物をして、道の駅久米の里をあとにした。

そして、国道181号線を西へ向かって走り、美作千代駅に行った。



古い木造駅舎が残る駅で、現在は、もちろん、無人駅である。
わたしは、トイレ取材が目的で訪れた。

そのあと、坪井駅にも行き、トイレが既になくなっているのを確認した。

坪井駅をあとにすると、県道や国道53号線などを走り、美咲町の亀甲駅に向かった。
そして、亀甲駅に着くと、トイレの取材を行った。

そのあとも、国道53号線を南下し、小原駅にも行った。
小原駅は、トイレが既になくなっていた。

そして、そのあとも、国道53号線をしばらく南下して、途中、道の駅くめなんで休憩した。
休憩後、車に戻ると、帰路に就いた。
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1泊2日の岐阜旅行(その6)

2024年08月23日 14時13分24秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月20日の昼の12時半頃、わたしと母親は、岐阜県の揖斐川町にいた。
谷汲山華厳寺を参拝し、昼食をとったあとである。
揖斐駅行きのバスが谷汲山バス停を通るのは、14時36分で、まだまだ時間があった。
そこで、谷汲山華厳寺の参道の入口から離れて、歩道を少し歩いた。
すると、名古屋鉄道の谷汲駅跡に着いた。



かつて、名古屋鉄道が運営していた谷汲線の終着駅である。
谷汲線は、1926年に開業し、2001年に廃線になった。



廃線時の駅舎やホームなどが残されていて、車両も2両、静態保存されている。











駅舎には、谷汲昆虫館が併設されていて、わたしたちは、昆虫館にも入館した。

昆虫館では、岐阜県の昆虫に関する展示がされていたほか、館内の1つの部屋には、Nゲージのレイアウトが設置されていた。





特定の日のみ、運転が行われるそうだが、その日は運転日ではなく、Nゲージレイアウトの部屋には、人の姿はなかった。

昆虫館をあとにすると、谷汲山バス停に戻ったが、まだかなり時間があった。
長い間、バス停の待合所で過ごしたあと、14時36分発の揖斐駅行きのバスに乗った。
白ナンバーのマイクロバスである。

バスが養老鉄道の揖斐駅に到着すると、下車して、揖斐駅で、大垣駅までの乗車券を買って、改札を通った。



そして、15時15分発の大垣行きの列車に乗った。



その列車は、2両編成のワンマン運転だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番は604だった。

2両編成の列車は、揖斐駅を発車すると、終点の大垣駅まで各駅に停車した。
大垣駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの駅に行き、コインロッカーに預けていた荷物を回収したあと、JRの改札を通った。
JRの大垣駅からは、16時11分発の5344F・新快速の豊橋行きに乗車した。





その列車は、313系電車の6両編成だった。
わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ312-404だった。

新快速電車は、大垣駅を発車すると、穂積、西岐阜、岐阜の順に、岐阜駅までは各駅に停車した。
停車駅ごとに、車内の混雑が増してきた。
岐阜駅を発車すると、名古屋までは、途中の停車駅は尾張一宮のみである。
16時44分頃、新快速電車が、名古屋駅に止まると、下車して、新幹線乗り換え口を通った。
しかし、乗車予定の新幹線まで、時間がかなりあったので、しばらく、待合室で過ごした。
交代でトイレに行ったり、駅弁などを買ったりした。
新幹線は、指定席のキップを買っていたので、万が一、それに乗り遅れると大変なことになる。
そうならないように、余裕を持って、予定を立てていた。

18時頃、わたしたちは、下りの新幹線ホームに上がった。
そして、18時10分発の「のぞみ49号」に乗車した。
わたしたちは、6号車に乗車した。
普通車指定席の車両である。
座席に座り、しばらくすると、駅弁を食した。
新幹線「のぞみ49号」は、名古屋駅を発車すると、京都、新大阪の順に停車した。
新大阪では、乗務員がJR東海からJR西日本に交代した。
JR西日本では、2023年の7月から、乗務員の氏名放送を取りやめているらしく、新大阪発車後も、かつては行われていた運転士と車掌の氏名放送はなかった。
新大阪では、わたしたちが乗っていた6号車も、乗客が多く入れ替わった。
土曜日のせいか、ビジネスマンらしい感じの人はほとんどいなく、観光旅行帰りと思われる人が多かった。
新大阪駅を発車した「のぞみ49号」は、新神戸、岡山の順に停車した。
岡山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
その頃、岡山駅周辺は雨が降っていた。
岡山駅から出ると、駅前のバスターミナルに行き、路線バスで帰路に就いた。

こうして、西国三十三箇所満願目的の旅行を終えることができた。
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1泊2日の岐阜旅行(その5)

2024年08月10日 21時33分29秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。
4月20日の午前10時半頃、わたしは、母親と一緒に、岐阜県の揖斐川町にいた。
揖斐川町には、西国三十三箇所の第三十三満願霊場の谷汲山華厳寺がある。
わたしたちは、華厳寺の参拝に訪れた。
バスを降りたあと、参道をしばらく歩くと、山門の前に着いた。



山門を通ると、境内に入った。



その時期の境内は、新緑がきれいだった。
境内の道を歩くと、石段があり、石段を上ると、本堂の前に着いた。







本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
華厳寺では、ほかの札所とは異なり、納経所1箇所で3つの御朱印を受けることになる。
御朱印は、本堂、満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ、現世、過去世、未来世を意味するとされている。



そのあと、境内をさらに奥に進み、笈摺堂、満願堂などを参拝した。









満願堂付近は、眺めが良かった。



そのあとは、華厳寺をあとにして、山門前の某飲食店に行った。
その店では、満願そばを食した。
それから、山門付近の土産店で買い物をしてから、バス乗り場に向かって参道を歩いた。
その途中に、神社があったので、参拝した。



予定より早くバス乗り場に戻ったので、乗る予定の揖斐駅行きのバスまではかなり時間があった。

そこで、いったん、バス乗り場から離れていった。



そして、旧谷汲駅に向かって歩いた。
2001年に廃止された、名鉄谷汲船の駅跡である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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高梁市へドライブ

2024年08月10日 21時03分41秒 | Weblog
今月7日は、仕事が公休だった。
そこで、マイカーで出かけた。
向かったのは、岡山県高梁市成羽町にある成羽美術館。
目的は、岩合光昭さんが撮影されたネコの写真の展示(日本ねこ歩き)を観ることである。
館内は、原則撮影禁止なので、デジカメは持ち込まずに、入館した。
その展示会は、岩合さんが撮影されたネコの写真のうち、国内で撮影されたものが、春、夏、秋、冬の順に展示されている。
展示を観終わった後は、記念にネコの写真のポストカードを2枚買って、美術館をあとにした。
そのあと、成羽川沿いの国道313号線を西に向かって、車を走らせた。
途中、右手に農産物を販売している店があったので、高梁産のキャベツをアスパラガスを買った。
それから、夫婦岩を目指したが、案内表示が見つからなかったうえ、道を間違えて、旧備中町へ行ってしまったあとに折り返した。
時間切れになったので、夫婦岩を観に行くのは中止にして、国道313号線を高梁市の旧市街地に向かって走った。
高梁川を渡り、国道180号線に出ると、少し北上して、某蕎麦屋に行った。
その蕎麦屋は、観光客向けの有料駐車場の隅にある。
その駐車場は、原則有料だが、駐車場内の飲食店で飲食すると、1時間まで無料で止められる。
蕎麦屋に入ると、天ざるそばを注文した。
昼食後は、受付で渡された紙に店の印を押してもらい、それを駐車場の受付の人に出した。
そうすることで、1時間以内なら、無料で止めることができた。
そのあと、車を発進させて、国道484号線に入った。
その道は、ループ橋がある。
ループ橋を渡り、しばらくすると、右手に駐車場と展望台がある。
わたしも、車を止めて、高梁市街地を見下ろした。



わたし以外にも車を止めて、景色を眺めていた方がいた。

そのあと、もう少し走ると、また右手に駐車場があったので、車を止めた。
その場所は、木々に囲まれているので、景色は見えないが、少し歩いて、旧道のほうに行くと、市街地を見下ろすことができた。



少し経つと、車に戻り、東へ向かって走った。
そして、吉備中央町に入った。
途中、道の駅かようで、休憩をした。
そのあとは、車に戻ると、帰路に就いた。

こうして、成羽美術館目的のドライブを終えることができた。
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蒜山高原へドライブ(その2)

2024年08月06日 21時25分50秒 | Weblog
今月3日の午前10時半頃、わたしは、岡山県北部の蒜山高原にいた。
母親も一緒である。
道の駅風の家に野菜などを買いに行ったあと、クルマで鬼女台展望台に向かって走った。
蒜山高原センターの前を通過し、しばらくすると、右折して、蒜山大山スカイラインに入った。
その道路は、観光向きの県道で、かつては有料道路だった。
現在は、無料で通行できるので、料金所は跡形もなくなくなっている。
なお、冬季は閉鎖され、通行止めになる。
その道路は、山の中の木々の間などを通り、カーブが多い。
その日は、途中で、草刈り作業が行われていて、片側交互通行になっていたが、それほど渋滞はしなかった。
10時50分頃、県境付近の鬼女台展望台に到着した。
土曜日だったので、駐車場の混雑を懸念していたが、意外にもがら空きだった。



駐車場からは、大山などがきれいに見えた。



その日は、良い晴天だったので、デジカメのレンズにC-PLフィルターを装着して、撮影した。





わたし以外にも、撮影されていた人がいた。

また、大山とは反対のほうへ目を向けると、蒜山高原を見下ろしたり、蒜山の山々を眺めることができた。



展望台をあとにする前に、再び、大山の撮影もした。



それから、クルマに戻り、昼食をとるため、通った道を戻った。
蒜山高原センターの前を通過し、少し経って、急な坂道を下りると、信号機のある交差点の少し手前右側に、蕎麦屋がある。
しかし、その店は、駐車場が満車のうえ、道の端で空くのを待っていた車がいたので、あきらめて通過した。
信号機のある交差点を直進し、再び道の駅風の家方面へ走った。
道の駅風の家の向かいにも、蕎麦屋がある。
駐車場に車を止めたあと、降りて、店の前に着いた。
そのときは、11時半過ぎだった。
既に、順番待ちをしていた人が多数いた。
わたしたちも、名前と人数を記入して、順番が来るのを待った。
かなり暑かった。
正午を過ぎて、しばらくすると、名前を呼ばれたので、店に入ることができた。
昼食後、店をあとにすると、再び、道の駅風の家に行った。
母親は買い忘れたものを買い、わたしは、トイレに行きたくなったので、使わせてもらった。
そのあと、クルマで、蒜山高原センターの向かいにある、グリーナブルヒルゼンに行った。
グリーナブルヒルゼンの前に着くと、蒜山高原センターの駐車場にクルマを止めた。
なぜなら、グリーナブルヒルゼンの駐車場は、蒜山高原センターのものを利用するように指示されているからである。
駐車場は混雑していたが、すぐに空きスペースが見つかった。
クルマを止めて、降りると、横断歩道(信号はない)を渡り、グリーナブルヒルゼンに行った。



特徴ある建物は「風の葉」という。
それは、建築家の隈研吾氏が設計したものである。
中に入ることができ、家族連れと思われる方などが何組か、中にいた。
内部は、意外と涼しかった。

また、その近くには、ごみを集めて作られたイノシシのモニュメントが設置されていた。



わたしは、その付近からも、大山に向かって、カメラのレンズを向けた。



そのあと、クルマに戻った。
そして、しばらくして、発進すると、蒜山高原をあとにした。
そのあとは、国道482号線、国道313号線などを通り、帰路に就いた。

こうして、蒜山高原へのドライブを終えることができた。
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蒜山高原へドライブ(その1)

2024年08月04日 21時06分23秒 | Weblog
昨日3日は、朝6時半頃、マイカーで出かけた。
母親も一緒である。
出発後しばらく走ると、国道53号線を通り、岡山市北区建部町を通り、県道落合建部線を通った。
旭川沿いを走る道路である。
途中、美咲町でトイレ休憩をしたあとも、車を走らせて、真庭市に入った。
真庭市に入ると、国道313号線(途中、国道181号線との重複区間もあり)を通り、旭川沿いを北上した。
しばらく走ると、蒜山高原に入った。
そして、国道313号線と別れると、国道482号線に入った。
その付近は、田畑が広がっていた。
水田だけではなく、トウモロコシ畑などもあった。
国道482号を走り、少し経つと、右折し、国道から出た。
そして、道の駅蒜山高原に向かった。
道の駅蒜山高原でトイレ休憩後、県道を西へ走り、案内表示板などに注意しながら、途中で右折した。
右折後、少し走ると、左折し、駐車場に入った。
そのときは、午前9時半より少し前だった。
その場所は、ひるぜんジャージーランドである。
その時期は、施設の敷地内に植えられているひまわりを観ることができる。



わたしたちは、ひまわりを観るため、ジャージーランドに行った。
わたしたちが着いたときは、店舗施設のほうは、まだ開店前だったが、駐車場にはある程度の数のクルマが止まっていた。
わたしも空いていた駐車スペースに止めた。
そのあと、車から降りて、デジカメ(α7Ⅲ)を持って、ひまわり畑のあるほうへ向かって歩いた。
既に、先客が多数いた。
ひまわりの撮影をされている方も多数いた。

わたしも、デジカメのレンズを交換し、C-PLフィルターを装着して、ひまわりの撮影をした。







その日は、天候が良く、空も良かったので、写真撮影にはうってつけだった。



横構図だけではなく、縦構図でも撮影した。







また、望遠ズームを活用して、ひまわりの花をアップで撮影もした。







ひまわりの撮影を終えると、施設内のショップで買い物をした。
そのあと、名物の「蒜山ジャージー100% プレミアムソフトクリーム」を買って食した。
そして、しばらくして、クルマに戻った。

わたしたちが着いたばかりのときは、まだ駐車場の空きスペースが多数あったが、クルマに戻ったときは、満車になっていて、空くのを待っていた車がいた。
わたしたちが車に戻ると、すぐそばで、ほかのクルマが予約ハザードを点けて止まったので、周りの安全確認をしながら発進した。
他にも、空きを待っていた車がいた。
わたしたちは、ジャージーランドをあとにすると、道の駅風の家に向かって走った。
蒜山高原には、道の駅が二カ所あり、道の駅風の家には、野菜などを売っている店などがある。
道の駅風の家では、駐車場が混雑していたが、しばらく待つと、空いたので駐車できた。
わたしたちは、クルマから降りると、野菜を売っている店(新鮮野菜市)に行った。
蒜山で生産された野菜などを買ったあと、クルマに戻った。
そのときは、まだ10時台だった。
昼食をとるのはまだ早いと思ったので、蒜山大山スカイラインの鬼女台展望台に向かった。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の岐阜旅行(その4)

2024年08月02日 14時14分06秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月20日の朝は、岐阜県大垣市にある、某ホテルで迎えた。
19日から母親と一緒に一泊していたのである。
ホテル1階にあるバイキング形式のレストランで朝食をとった後、8時20分頃、チェックアウトした。
そして、大垣駅まで歩くと、コインロッカーに大きな荷物を預けてから、養老鉄道の乗り場に行った。
揖斐駅までの乗車券を買ったあと、改札を通った。
大垣駅は、JRは自動改札機が設置されているが、養老鉄道の改札口には自動改札はなく、駅係員による改札が行われていた。





大垣駅からは、8時46分発の揖斐行きの列車に乗った。
その日のその列車は、養老鉄道600系3両編成で運転されていて、わたしたちは、中間車両に乗車した。
車番は552だった。
それは、元近鉄の車両である。
列車は、ワンマン運転だった。
大垣駅を出発した列車は、室、北大垣、東赤坂、広神戸、北神戸、池野、北池野、美濃本郷、揖斐の順に、各駅に停車した。
養老鉄道では、土日休日は全列車で(平日は9時から15時までの指定列車のみ)、自転車の車内持ち込みを認めているため、途中の駅では、自転車を持ち込んで乗車していた人もいた。
ローカル鉄道らしく、車内は空いていた。
列車が、終点の揖斐駅に到着すると、下車して、駅の外に出た。



駅前には、タクシーが客待ちしていたほか、バスの乗り場などもある。
わたしたちは、谷汲山華厳寺に行くため、谷汲山経由横蔵行きのバスを待っていたのだが、それは10時発で、まだ時間があったので、駅前にあった観光案内所と休憩所を兼ねた場所で、しばらく休憩した。
そして、10時発の谷汲山経由横蔵行きのバスが止まると、乗車した。
そのバスは、白ナンバーのマイクロバスだった。
わたしたち以外にも多数の乗車があった。

10時頃、バスが揖斐駅前を出発すると、揖斐川町の町中を通り、しばらくすると、田園の中の道を走った。
そのあと、山の中に入った。
車窓からは、長閑な風景が目に入った。
10時半より少し前に、バスは、谷汲山のバス停に停車した。
バス停は、駐車場の片隅の参道付近にある。
わたしたちは、バスから降りて、参道を歩いた。



それは、西国三十三箇所の第33番札所、満願のお寺である。

わたしは、2007年から西国三十三箇所巡りをしていて、2019年に第29番札所の青葉山・松尾寺を参拝後、長らく、参拝に行けなくなった。
本来は、その翌年の2020年に満願の計画だったのだが、新型コロナ感染の拡大で、旅行や県外への不要不急の外出の自粛をせざるを得なくなって、残り1箇所で満願だったにもかかわらず、もどかしい思いだった。
終点の少し手前で長く足止めされた感覚だった。
新型コロナが5類に移行後、外出制限が撤廃されたので、今年の4月のゴールデンウイークより前の時期に、参拝目的の旅行をしたのである。
もちろん、感染防止対策は行いながら、出かけたのは言うまでもない。



バスから降りて歩いた参道の両側には土産店や飲食店などが軒を連ねていた。
その参道をしばらく進むと、大きな山門が目に入った。





それが、西国三十三箇所満願霊場、谷汲山華厳寺である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の岐阜旅行(その3)

2024年07月25日 16時58分57秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月19日の13時半頃は、母親と一緒に岐阜県岐阜市にある岐阜公園にいた。



岐阜城に行くため、岐阜公園にあるロープウェイの乗り場に着くと、チケットを買って、ロープウェイに乗った。



ロープウェイが金華山頂駅に着くと、降りて、岐阜城の天守に向かって歩いた。



急な石段や狭い道などもあったが、眺めの良い場所もあった。





その日は、天候が良く、快適に歩けた。
天候が良かったためか、平日にもかかわらず、観光客も多かった。





岐阜城天守の前には、お城時計(大名時計)が設置されていた。

わたしたちは、入城料を支払って、天守に入った。
天守内部には、急な階段があった。

天守の上階では、長良川などの眺めが良かった。







岐阜城は、もとは稲葉山城といわれていたが、戦国時代に、織田信長により岐阜城に改められた。

岐阜城天守をあとにすると、山の上を少し歩いて、資料館にも行った。

そのあとは、ロープウェイの駅に向かって歩いた。



ロープウェイで金華山麓駅に下りると、ロープウェイから降りて、駅にある土産店で買い物をした。



買い物後は、岐阜公園内を歩き、岐阜市歴史博物館にも入館した。

そのとき、その博物館では、岐阜の古墳に関する展示などが行われていた。

岐阜市歴史博物館をあとにすると、岐阜公園から出て、バス停に向かって歩いた。
そして、JRの岐阜駅を通る路線バスに乗った。
バスは、岐阜市の中心部に近づくにつれて、混雑してきた。

そのバスがJR岐阜駅のロータリーに止まると、バスから降りて、駅舎に入った。
そして、コインロッカーの荷物を回収し、それから、改札を通った。
改札を通ると、東海道本線の大垣方面に向かう列車に乗るため、ホームに行った。
そのとき、ホームは混雑していて、駅の電光掲示板が、人身事故による列車の大幅な遅れや運休などを知らせていた。
わたしたちが、岐阜市内観光をしていたときに、東海道本線で人身事故があり、ダイヤが乱れていたのである。
しばらくホームで待って、入線してきた大垣行きの列車に乗った。
その列車は、313系電車だった。
車内は大混雑していた。
列車は、西岐阜、穂積、終点の大垣の順に各駅に停車した。



こうして、大垣駅に着くと、改札を通り、駅の外に出た。
そして、予約していたホテルに向かって歩いた。

ホテルに着くと、チェックインした。
宿泊料は精算機で支払い、出てきたレシートに、部屋のドアの解錠に必要な暗証番号が印字されていた。
しばらく部屋で過ごしたあと、夕食をとるため、寿司屋へ行った。
その寿司屋では、ホテルで受け取った夕食用の食事券が使用できる。
もちろん、注文後、寿司職人が握る店である。
夕食後は、ホテルに戻った。
そして、しばらくして、就寝した。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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