浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

津山線で鶴山公園に行った(その2)

2025年04月06日 20時47分08秒 | Weblog
一昨日4日の午前11半頃、わたしは、津山市にある鶴山公園の石垣の下付近にいた。

付近には、食べ物などの屋台が多数出ていたほか、石垣の下にも桜の木々が花を咲かせていた。
また、菜の花を植えていた場所もあった。









途中の屋台のうち1箇所でたこ焼きを買って、それから、鶴山公園の入園口に行った。
そして、桜の花を観て楽しみながら、園内を歩いた。





鶴山公園は城跡なので、長い石段がかなりあった。

石段を登っていったところにも、屋台などがあり、お茶やホルモンうどんを買った。

そのあとも、園内を歩いた。
その日は、平日の金曜日だったが、花見客が多かった。

しばらく歩くと、鐘があり、その付近も桜が咲いていたのが見えた。



その場所は、備中櫓のそばである。
わたしは、適当な場所(他人の邪魔にならない場所)で腰を下ろして、ホルモンうどんとたこ焼きを食した。



そして、そのあと、備中櫓にも入った。







その付近は、眺めが良かった。



さらに、高い石垣の上に向かって歩くと、途中に、ハートの石があった。



石垣のうえは、見晴らしが良かった。



そのあと、備中櫓の前をあとにして、歩いたところを引き返した。

その途中にも、菜の花を植えていた箇所があったので、撮影した。







そのあと、備中櫓を見上げながら、撮影した。





そして、鶴山公園をあとにすると、津山駅に向かって歩いた。

しかし、乗車予定の列車まで時間があったので、観光案内所の隣の休憩所兼土産店に入り、その建物内にあるカフェコーナーでコーヒーを飲んで休憩した。
それから、買い物もした。
そのあと、津山駅の駅舎に入った。



駅舎内の待合室の片隅には、Nゲージのジオラマ(ただし、走行などはしない)が置かれていた。

わたしは、駅のコンビニで買い物をした後、PITAPAで改札を通った。

そのときは、ホームは閑散としていた。
しばらく、ベンチで列車を待った。

14時過ぎてしばらくすると、4番ホームに、キハ47形気動車2両編成の列車が入線してきた。



それが、14時35分発の岡山行きの普通列車・955Dである。
ドアが開くと、車内に入り、進行方向左側のボックスシートに座った。
乗車した車両は、後部車両で、車番はキハ47-85だった。
そのときは、まだ閑散としていたが、発車時刻が近づくにつれて、車内は乗客が増えていった。
ボックスシートは、各ボックス2人から3人になった。

14時35分頃、岡山行きの列車は、津山駅を出発した。
その列車もワンマン運転である。
津山駅を発車すると、津山口、佐良山、亀甲、小原、誕生寺、弓削、神目、福渡、建部、金川、野々口、牧山、玉柏、備前原、法界院、終点の岡山の順に、各駅に停車した。
なお、途中駅では、後部車両のドアは、金川と法界院を除いて開かなかった。
そのため、一部の駅では、後部車両から乗ろうとしてドアが開かないことに気づいて、慌てて先頭車両のドアから乗った人もいた。

列車が終点の岡山駅に着くと、PITAPAで改札の外に出た。
そして、某路線バスに乗って、帰路に就いた。
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津山線で鶴山公園に行った(その1)

2025年04月05日 14時29分28秒 | Weblog
昨日4日の朝は、某路線バスに乗って、岡山駅前に行った。
岡山駅前でバスを降りると、岡山駅に行き、ICOCA代用のPITAPAにチャージして、それから改札を通った。
そして、津山線のホームでしばらく列車を待った。



しばらく待つと、2両編成のキハ47形気動車の列車が到着した。
それが、折り返し、9時51分発の快速「ことぶき」津山行きになった。
列車は、上述とおりキハ47形の2両編成で、わたしは、先頭の車両に乗車した。
車番はキハ47-19だった。
入線してしばらくは、車内は空いていたが、発車時刻が近づくにつれて、車内は乗客が増えていった。
そして、発車前には、立客も出てきた。
わたしは、早めに乗ったので、進行方向右側のボックスシートを確保できた。
そのボックスシートも、3人組の乗客と相席となった。
9時51分、快速「ことぶき」は、岡山駅を発車した。
2両編成の気動車で、ワンマン運転である。
列車は、岡山市内の住宅街の中を走り、次の停車駅の法界院に停車した。
法界院駅周辺も市街化していて、周辺は、住宅などが多い。
また、岡山大学などの最寄り駅でもある。
法界院駅を発車すると、住宅街を走り抜けて、しばらくすると、田園の中を走った。
そして、備前原、玉柏の各駅を通過した。
その付近では、車窓右側に、旭川が見えた。
しばらくすると、牧山駅を通過した。
そのあと、列車は、山に向かって走り、トンネルを通った。
トンネルを出ると、築堤のうえを走り、山と旭川との間を通った。
そして、野々口駅を通過した。
野々口駅を過ぎると、国道53号線に沿って走った。
その付近は、国道53号線と旭川が見えた。
それから、少し経つと、金川駅に停車した。
金川駅を発車すると、少し経って宇甘川の鉄橋を渡った。
そのあと、列車は、山と宇甘川の間の田園の中を走り抜けた。
しばらくすると、列車は、山の中に入り、スピードを落としながら、トンネルを通った。
トンネルを抜けると、田園の中を走り、建部駅を通過した。
そのあと、しばらく走ると、旭川の鉄橋を渡り、それから、少し経つと、福渡駅に停車した。
福渡駅を発車した列車は、国道53号と並走しながら、北上した。
そのときは、まだ左側を旭川が流れていたが、少し経つと、旭川とは別れた。
列車は、山間の田園の中を走っていった。
途中、神目駅を通過し、しばらく走ると、弓削駅に停車した。
弓削駅を発車後は、誕生寺、小原の各駅を通過した。
列車は、そのあとも、国道53号線に沿って走った。
そして、亀甲駅に停車した。
亀甲駅を発車すると、佐良山、津山口の各駅を通過した。
津山口付近では、沿線に家屋などが多くなり、しばらく走ると、右手に津山まなびの鉄道館が見えた。
そして、まもなく、終点の津山駅に到着した。
列車は、津山駅の4番ホームに停車した。



列車を降りると、跨線橋を渡り、駅舎へ行き、PITAPAをタッチして、改札の外に出た。





そして、駅前の観光案内所に立ち寄ったあと、鶴山公園に向かって歩いた。
駅前から、少し歩くと、吉井川が流れていて、吉井川に架かる国道53号線の橋の歩道からも、鶴山公園の桜が見えた。



わたしは、吉井川の橋を渡り、信号が青になると横断歩道を渡って、しばらく歩道をまっすぐ歩いた。
そして、津山市街地のある交差点で右に曲がり、しばらく歩き続けると、鶴山公園の入り口に着いた。
入り口付近の駐車場には、観光バスなどが止まっていたほか、お祭りの屋台などが出ていた。
わたしは、その付近から、鶴山公園の石段を登った。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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高松へ出かけた(その3)

2025年03月09日 21時08分33秒 | Weblog
今さら、昨年の11月のことを記事化して、すみません。

2024年11月23日の午前11時台、わたしは、高松港にいた。
高松港に出入りするフェリーの撮影をしていたのである。

雌雄島海運のめおんの入港を撮影後は、入港する第十一こくさい丸を撮影した。





国際両備フェリーの高松航路で使用されている船である。
その船は、「しまぞう」という愛称がつけられていて、マストにゾウが描かれている。
航路は、高松港と小豆島池田港を結んでいる。

第十一こくさい丸(しまぞう)の入港を撮影後は、めおんの出港を撮影した。



そのあと、第十一こくさい丸の出港も撮影した。



その船は、小豆島に向かって、高松港から出ていった。
マストのゾウが印象的である。

そして、その次は、その日、もっとも撮影したかった船を撮影しようとした。



しかし、その船は、それまで撮影していたフェリーとは異なるバースに向かっていた。
それまでの撮影ポイントからでは、撮影できない。

そこで、カメラをいったんバッグに収めて、撮影できそうな場所(もちろん、一般の者が入ってもよい場所です)へ向かった。

撮影したかった船は、四国フェリーグループの小豆島フェリーが運航する第三しょうどしま丸である。
そのフェリーが撮影できそうな場所へ急いだ。





そのとき、高松港に四国汽船のあさひが入港してきたので、それも撮影した。
それは、香川県の直島とを結ぶフェリーである。

そのあとも、第三しょうどしま丸の撮影ができる場所に向かって移動した。



そして、停泊中の第三しょうどしま丸を撮影した。



その船は、「からかい上手の高木さん」のラッピングフェリーである。
「からかい上手の高木さん」の作者・山本崇一朗先生が小豆島出身であることから、その漫画作品のラッピングが施されたのであろう。



停泊中から出港直後まで、その船の撮影をした。



その途中、直島へ向かう四国汽船のあさひが出港したので、それも撮影した。





第三しょうどしま丸の撮影が済むと、その日のフェリーの撮影を終了した。

そのあと、サンポート高松に向かって歩いた。



そして、サンポート高松付近の商業施設内にある某うどん店で昼食をとった。

そのあとは、香川県立ミュージアムに向かって歩いた。
しかし、昼食をとったうどん店で想定よりも長く時間を費やしたので、あまりゆっくりと観る時間はなかった。





香川県立ミュージアムをあとにすると、高松駅まで急いで早足で歩いた。

高松駅に着くと、PITAPAで改札を通り、15時10分発の快速「マリンライナー42号」に乗車した。
発車まで余裕があったのか、まだ車内は空いていた。
わたしは、岡山行きでは先頭になる5号車に乗車した。
車番はクモハ223-5003だった。



しばらくすると、乗客は増えてきた。
そして、発車直前には、半分以上の座席が埋まった。

快速「マリンライナー42号」は、高松駅を出発すると、次は、坂出駅に停車した。
坂出からも乗車した人は多数いた。
そのあと、本四備讃線区間に入り、瀬戸大橋を渡った。
そして、岡山県に入り、瀬戸大橋を渡り終えると、トンネルを通過した。
それから少し経つと、児島の街が見えてきて、児島駅に停車した。
児島駅で、乗務員交代が行われた。
児島からも乗車した人は少なくなく、車内は混雑してきた。
そのあとは、茶屋町、妹尾の順に停車した。
妹尾を発車すると、次は、終点の岡山である。
岡山駅に着くと、PITAPAで改札を出た。
そして、ある路線バスに乗って、帰路に就いた。

こうして、高松港でのフェリー撮影などを目的とした外出を終えることができた。
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高松へ出かけた(その2)

2025年03月08日 21時10分05秒 | Weblog
今さら、昨年11月のことを記事化して、すみません。

2024年11月23日は、仕事が公休だった。
そこで、ある路線バスで岡山駅に向かった。
そして、バスを降りた後は、ICOCA代用のPITAPAで改札を通り、瀬戸大橋線のホームに行った。

そして、9時54分発の快速「マリンライナー19号」を待った。
9時47分頃、快速「マリンライナー16号」が到着し、その列車が、折り返し、「マリンライナー19号」高松行きになった。
車両から乗客が降りると、下り列車の最後尾になる車両に乗車した。
わたしは、ホームで列の先頭に並んでいたので、進行方向右側の窓側の席を確保できた。
祝日で天候の良い日のためか、車内は混雑した。
9時54分、快速「マリンライナー19号」は、岡山駅を出発した。
その列車は、JR四国の5000系電車とJR西日本の223系5000番台とを連結した5両編成で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
もちろん、普通車の自由席である。
車番はクモハ223-5004だった。
快速「マリンライナー19号」は、岡山駅を発車後は、早島、茶屋町の順に停車した。
茶屋町では、意外と多数の下車客がいた。
宇野線宇野行きに連絡しているからであろう。
茶屋町駅を発車後は、瀬戸大橋線の本四備讃線区間に入った。
線路は、スラブ軌道の複線高架である。
しばらくすると、列車は、児島駅に停車した。
児島では、乗務員交代が行われた。
児島を出発すると、トンネルを通り抜けて、瀬戸大橋を渡った。
そして、坂出駅に停車した。
坂出を出発後は、終点の高松駅までノンストップで走った。



高松駅に着くと、PITAPAで改札を通り、サンポート高松や高松港に向かった。
その日、高松に行った目的は、高松港に入出港するフェリーの撮影である。
サンポートのカフェで休憩後、高松港付近に行った。



そして、はじめは、高松港に泊まっていた第一しょうどしま丸を撮影した。
それは、高松港と小豆島の土庄港を結ぶ航路で使用されている。
現在の第一しょうどしま丸は、「第一しょうどしま丸」と称する船舶としては4代目で、2020年に就航している。





その次は、高松港に入港するめおんを撮影した。
高松港と女木島、男木島とを結ぶ航路で使用されているフェリーで、雌雄島海運が運航している。

そのあとも、高松港でのフェリーの撮影を続けた。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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船の博物館を開催

2025年01月11日 19時47分07秒 | Weblog
今日は、船舶模型などを持って、マイカーで玉野メルカにある、玉野市立図書館に行きました。

本日から、岡山船舶模型クラブ主催の船の博物館が開催されています。
会期は、1月19日までで、途中の14日は、玉野市立図書館が休館のため、休みとなります。

わたしも、拙作ながら、展示させていただいています。











わたしの作品ではありませんが、一部、画像を掲載します。

興味ある方は、玉野市立図書館のギャラリーにお越しください。

本日、来場された方、ありがとうございました。
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迎春2025年

2025年01月01日 19時55分58秒 | Weblog
あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

皆様にも良い一年でありますように


本日、わたしは出勤日でした。
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高松へ出かけた

2024年11月23日 20時42分45秒 | Weblog
今日は、仕事が公休だった。
天候もよかった。
そこで、路線バスで岡山駅に行き、岡山駅から、快速「マリンライナー」で高松に行った。
高松港に入港するフェリーの写真を撮影したり、香川県立ミュージアムに行った。

都合により、詳細は、後日書かせていただきます。
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津山などへドライブ

2024年10月14日 20時45分32秒 | Weblog
今日も、仕事が公休だった。
そこで、マイカーで県北の津山などへ出かけた。
まず、はじめに向かったのは、津山市にある津山まなびの鉄道館である。
9時に着くのが理想だったが、出発が遅れたので、現地には9時15分頃、到着した。
駐車場はほとんど埋まっていたが、警備員の方が、駐車してもよい場所へ誘導してくださった。
車から降りると、津山まなびの鉄道館に入館した。



本日は、DD13形ディーゼル機関車が転車台の上にのっていた。





転車台のDD13を撮影後、扇形庫で展示されている車両を眺めながら、撮影した。



かつて特急「やくも」で使われていたキハ181形とローカル線の2エンジン車、キハ52形が隣り合って、展示されていた。

なお、普段は庫内に展示されている、キハ58形、キハ28形、キハ33形は、留置線に移動して、展示されていた。

続いて、D51形蒸気機関車を眺めながら、撮影した。





D51形は、国内の蒸気機関車の同一形式では最も多くの車両が製造された。
主に、幹線で貨物列車などの牽引に使用された。
津山まなびの鉄道館では、唯一の蒸気機関車で、その機関車の前で記念撮影されていた方も多かった。

続いて、国鉄型電気式ディーゼル機関車のDF50形を撮影した。



それも、幹線を中心に活躍したが、DD51形などが誕生後は、次第に活躍範囲が狭められた。

続いて、DD15形ディーゼル機関車を撮影した。



除雪用の機関車である。
機関車本体は、DD13形ディーゼル機関車と似たカタチをしている。

その隣には、DD51形ディーゼル機関車が展示されている。



幹線用の液体式ディーゼル機関車で、かつては、山陰本線で、ブルートレインの「出雲」などをけん引していた。
全盛期には、四国を除く各地で使用されていた形式の機関車で、旅客列車や貨物列車の牽引に活躍した。

その隣には、入れ替え専用の貨車移動機が展示されている。



さらに進むと、DE50形ディーゼル機関車とDD16形ディーゼル機関車が隣り合って、展示されている。





DE50形は、国鉄時代に1両しか製造されなかった機関車で、伯備線で使用されたことがあるが、比較的早く、休車となり、国鉄民営化前に廃車となった。

DD16形は、簡易線用に作られた小型の液体式ディーゼル機関車で、一部のローカル線などで貨物列車などのけん引に使用されていたほか、300番台に区分される車両は、除雪用にも使用された。



そのあとも、車両などを眺めながら、撮影をした。











そして、売店で買い物をしたあと、まなびの鉄道館をあとにした。

そのあとは、津山駅に向かった。

駅前付近の有料駐車場に車を止めると、駅に行った。



駅前には、箕作阮甫の銅像があり、そのそばにC11形蒸気機関車が展示されている。





撮影後、駅舎に入り、入場券を買って、改札内に入った。

そして、かつての地下通路だったところに展示されているものを観た。



しばらく進むと、行き止まりになっていて、そこには、SAKU美SAKU楽の張りぼてが展示されていた。
レールもきちんと敷かれている。

そのあとは、駅舎の改札内に設置されたトイレを取材した。
そして、少し経ってから、改札から出て、駅舎の外に出た。

駅前に出ると、再度、C11形蒸気機関車を撮影した。



そのあと、駐車場に止めた車に戻り、駐車料金の精算をしたあと、道の駅久米の里に向かった。
その途中に、100円ショップがあったので、買い物をした。

道の駅久米の里に着くと、飲食店で早めの昼食をとった。
その時は、まだ11時台だったが、かなり人が多かった。
幸い空席はあった。



本日は、ホルモンうどんを食した。

そのあと、ガンダムのモビルスーツを眺めて撮影した。



本日は、祝日のため、人が多く、わたし以外にも撮影していた方がいた。
そのあと、わたしは、野菜などの買い物をして、道の駅久米の里をあとにした。

そして、国道181号線を西へ向かって走り、美作千代駅に行った。



古い木造駅舎が残る駅で、現在は、もちろん、無人駅である。
わたしは、トイレ取材が目的で訪れた。

そのあと、坪井駅にも行き、トイレが既になくなっているのを確認した。

坪井駅をあとにすると、県道や国道53号線などを走り、美咲町の亀甲駅に向かった。
そして、亀甲駅に着くと、トイレの取材を行った。

そのあとも、国道53号線を南下し、小原駅にも行った。
小原駅は、トイレが既になくなっていた。

そして、そのあとも、国道53号線をしばらく南下して、途中、道の駅くめなんで休憩した。
休憩後、車に戻ると、帰路に就いた。
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1泊2日の岐阜旅行(その6)

2024年08月23日 14時13分24秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月20日の昼の12時半頃、わたしと母親は、岐阜県の揖斐川町にいた。
谷汲山華厳寺を参拝し、昼食をとったあとである。
揖斐駅行きのバスが谷汲山バス停を通るのは、14時36分で、まだまだ時間があった。
そこで、谷汲山華厳寺の参道の入口から離れて、歩道を少し歩いた。
すると、名古屋鉄道の谷汲駅跡に着いた。



かつて、名古屋鉄道が運営していた谷汲線の終着駅である。
谷汲線は、1926年に開業し、2001年に廃線になった。



廃線時の駅舎やホームなどが残されていて、車両も2両、静態保存されている。











駅舎には、谷汲昆虫館が併設されていて、わたしたちは、昆虫館にも入館した。

昆虫館では、岐阜県の昆虫に関する展示がされていたほか、館内の1つの部屋には、Nゲージのレイアウトが設置されていた。





特定の日のみ、運転が行われるそうだが、その日は運転日ではなく、Nゲージレイアウトの部屋には、人の姿はなかった。

昆虫館をあとにすると、谷汲山バス停に戻ったが、まだかなり時間があった。
長い間、バス停の待合所で過ごしたあと、14時36分発の揖斐駅行きのバスに乗った。
白ナンバーのマイクロバスである。

バスが養老鉄道の揖斐駅に到着すると、下車して、揖斐駅で、大垣駅までの乗車券を買って、改札を通った。



そして、15時15分発の大垣行きの列車に乗った。



その列車は、2両編成のワンマン運転だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番は604だった。

2両編成の列車は、揖斐駅を発車すると、終点の大垣駅まで各駅に停車した。
大垣駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの駅に行き、コインロッカーに預けていた荷物を回収したあと、JRの改札を通った。
JRの大垣駅からは、16時11分発の5344F・新快速の豊橋行きに乗車した。





その列車は、313系電車の6両編成だった。
わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ312-404だった。

新快速電車は、大垣駅を発車すると、穂積、西岐阜、岐阜の順に、岐阜駅までは各駅に停車した。
停車駅ごとに、車内の混雑が増してきた。
岐阜駅を発車すると、名古屋までは、途中の停車駅は尾張一宮のみである。
16時44分頃、新快速電車が、名古屋駅に止まると、下車して、新幹線乗り換え口を通った。
しかし、乗車予定の新幹線まで、時間がかなりあったので、しばらく、待合室で過ごした。
交代でトイレに行ったり、駅弁などを買ったりした。
新幹線は、指定席のキップを買っていたので、万が一、それに乗り遅れると大変なことになる。
そうならないように、余裕を持って、予定を立てていた。

18時頃、わたしたちは、下りの新幹線ホームに上がった。
そして、18時10分発の「のぞみ49号」に乗車した。
わたしたちは、6号車に乗車した。
普通車指定席の車両である。
座席に座り、しばらくすると、駅弁を食した。
新幹線「のぞみ49号」は、名古屋駅を発車すると、京都、新大阪の順に停車した。
新大阪では、乗務員がJR東海からJR西日本に交代した。
JR西日本では、2023年の7月から、乗務員の氏名放送を取りやめているらしく、新大阪発車後も、かつては行われていた運転士と車掌の氏名放送はなかった。
新大阪では、わたしたちが乗っていた6号車も、乗客が多く入れ替わった。
土曜日のせいか、ビジネスマンらしい感じの人はほとんどいなく、観光旅行帰りと思われる人が多かった。
新大阪駅を発車した「のぞみ49号」は、新神戸、岡山の順に停車した。
岡山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
その頃、岡山駅周辺は雨が降っていた。
岡山駅から出ると、駅前のバスターミナルに行き、路線バスで帰路に就いた。

こうして、西国三十三箇所満願目的の旅行を終えることができた。
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1泊2日の岐阜旅行(その5)

2024年08月10日 21時33分29秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。
4月20日の午前10時半頃、わたしは、母親と一緒に、岐阜県の揖斐川町にいた。
揖斐川町には、西国三十三箇所の第三十三満願霊場の谷汲山華厳寺がある。
わたしたちは、華厳寺の参拝に訪れた。
バスを降りたあと、参道をしばらく歩くと、山門の前に着いた。



山門を通ると、境内に入った。



その時期の境内は、新緑がきれいだった。
境内の道を歩くと、石段があり、石段を上ると、本堂の前に着いた。







本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
華厳寺では、ほかの札所とは異なり、納経所1箇所で3つの御朱印を受けることになる。
御朱印は、本堂、満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ、現世、過去世、未来世を意味するとされている。



そのあと、境内をさらに奥に進み、笈摺堂、満願堂などを参拝した。









満願堂付近は、眺めが良かった。



そのあとは、華厳寺をあとにして、山門前の某飲食店に行った。
その店では、満願そばを食した。
それから、山門付近の土産店で買い物をしてから、バス乗り場に向かって参道を歩いた。
その途中に、神社があったので、参拝した。



予定より早くバス乗り場に戻ったので、乗る予定の揖斐駅行きのバスまではかなり時間があった。

そこで、いったん、バス乗り場から離れていった。



そして、旧谷汲駅に向かって歩いた。
2001年に廃止された、名鉄谷汲船の駅跡である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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