浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

通販で鉄道模型を購入

2019年12月29日 20時45分49秒 | 鉄道模型
今日の午後、某ネットショップから、荷物が届いた。
鉄道模型製品などを注文していたからである。
今回、そのネットショップでは、以下のものを購入した。
トミックス トミックス総合ガイド(2019-2020年版) 1冊
KATO KATO Nゲージ HOゲージ鉄道模型カタログ 1冊
トミーテック 鉄コレ動力ユニット 路面電車用 TM-TR01 1両分



さらに、夕方過ぎて、また荷物が届いた。
上記のネットショップとは別のショップに鉄道模型関連製品の予約をしていて、それらが入荷したからである。
そのネットショップでは、トミーテックのバスコレクション第27弾専用ケースを4つ購入した。



以上が、今回の模型購入の内容である。
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通販で鉄道模型を購入

2019年12月28日 21時15分10秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が2箱届いた。
鉄道模型製品を予約していて、それらが入荷したからである。
宅配ドライバーに代金を支払って、荷物を受け取った。

今回購入したもののうち1箱目は、以下のとおりである。
トミックス JR 24系25形特急寝台客車(北斗星1・2号)基本セット 1セット
トミックス JR 24系25形特急寝台客車(北斗星1・2号)増結セット 1セット



今回購入した「北斗星1・2号」のセットは、1991年頃の寝台特急「北斗星1・2号」をモデルにしている。
基本セットには、車番のインレタが含まれていて、各車とも、ユーザーが自己責任で転写貼り付けする必要がある。
わたしは、室内灯の取り付けなども予定している。

2箱目のものは、以下のとおりである。
トミーテック 鉄道コレクション 叡山電車700系 観光列車「ひえい」 1両
トミーテック ザ・バスコレクション第27弾 12個セット 2ボックス
トミーテック ザ・バスコレクション第27弾専用ケース 1つ
トミーテック ザ・バスコレクション バスコレで行こう15 中鉄観光バス 1台



バスコレは、いずれも欲しいと思ったバスなので、予約していた。
鉄コレの観光列車「ひえい」は、特徴ある形状の車体が面白いと思い、それも予約していた。
いつかは、Nゲージ化したいと思う。

以上が、今回の模型購入の内容である。
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四国フェリーに乗りに行った(続き)

2019年12月27日 21時58分59秒 | Weblog
今さら、5月のことを記事化して、すみません。

5月9日の朝は、路線バスで岡山駅へ向かった。
岡山駅に着くと、ICOCA代用のPITAPAにチャージして、改札を通った。
そして、9時32分発の快速「マリンライナー17号」に乗車した。
その列車は、JR四国の5000系電車とJR西日本の223系5000番台とを連結した5両編成だった。
わたしは、3号車に乗車した。
普通車自由席の車両である。
その日の車番は5001だった。
JR四国の車両である。
岡山出発の時点では、車内が混雑していた。
快速「マリンライナー17号」は、岡山駅から発車すると、妹尾、茶屋町、児島の順に停車した。
児島駅では、乗務員の交代があり、JR四国の乗務員に代わった。
なお、その日、児島から高松までは、女性の車掌が乗務していた。
児島駅を発車すると、鷲羽山のトンネルを通り抜けて、瀬戸大橋を渡った。
そのあと、坂出駅に停車した。
坂出からは、車内はそれほど混雑しなくなった。
そして、10時26分、終点の高松駅に到着した。





高松駅に着くと、改札の外に出た。

そして、サンポートのビルにあるカフェでコーヒーを飲んで休憩後、高松駅前を発着する路線バスの撮影をした。

















路線バスの撮影後は、サンポートのビルにあるうどん店へ行き、早い昼食をとった。



そのあとは、女木・男木航路のめおん2など、フェリーの撮影をした。











めおん2の撮影の前後は、小雨が降っていた。

フェリーの撮影などを楽しんだあとは、宇高航路の乗り場へ行った。
その航路は、残念ながら、今月の16日から、運航休止になっている。
そのときは、まだ1日5往復の運航があり、第一しょうどしま丸が活躍していた。
わたしは、その航路のフェリーに乗るのが目的で、高松に行ったのである。

12時50分頃、第一しょうどしま丸が高松港に入港してきた。
乗船客や自動車が次々と降りてきて、それから、宇野行きの乗船開始になった。
出港は、13時05分である。





乗船後は、客室前方のリクライニングシートを確保し、それから、船の細部の写真の撮影を開始した。
ただし、車両甲板へは下船時まで降りることができないので、それ以外の場所(もちろん、旅客が立ち入り可能な場所に限る)の撮影をした。





13時05分頃、宇野行きの第一しょうどしま丸は、高松港を離れていった。

また、写真撮影だけではなく、船内の売店でホットコーヒーを買い、座席でくつろいだりした。

14時が近づくと、宇野港の姿がくっきりと見えてきた。
また、宇野に近づくにつれて、空が青くなっていった。



14時過ぎになると、下船の準備をして、車両甲板へ降りた。



到着時刻は、14時10分である。





宇野港に到着すると、下船した。

そして、船の外観の写真を撮影後、宇野駅前のバス乗り場へ向かって歩いた。

宇野駅前からは、岡山駅行きの渋川特急バスに乗った。
両備バスが運行しているバスである。
わたしが乗ったバスは、宇野駅を14時20分頃、出発する便で、その日の車両のナンバーは、岡山200か・827だった。
バスは、宇野駅を出発すると、宇野港、築港銀座、両備玉野営業所の順に停車した。
両備玉野営業所では、運転手の交代があった。
そのあとバスは、宇野線の踏切を渡り、信号機のある三差路を左折して、しばらく県道を走った。
岡山市に入り、岡山市南区郡地区のある三差路で左折し、少し経つと、児島湾締め切り堤防を走った。
その道は、大型自動車は通行禁止だが、路線バスは通行可能である。
締め切り堤防を通過後は、築港地区に入り、築港新町のバス停に停車した。
そのあとは、天満屋バスステーションまでノンストップだった。
バスが天満屋バスステーションに止まると、下車して、それから、別の路線バスで帰路についた。

こうして、宇高航路乗船目的の外出を終えることができた。
記事化した現在は、その航路は運航休止になってしまった。
利用客の減少などでやむを得なかったのかもしれないが、残念でならないと感じた。
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1泊2日の舞鶴旅行(その4)

2019年12月23日 21時24分43秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化して、すみません。

4月25日の朝は、舞鶴市内にある某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。
ホテル内のレストランで、バイキング形式の朝食をとったあと、チェックアウトした。
そして、レンタカーに乗って出発した。
その日、はじめに向かったのは、松尾寺である。
松尾寺は、西国33か所の第29番札所で、その旅行では、松尾寺が一番の目的地だった。
国道をしばらく東へ向かって走り、JR小浜線沿いに走った。
山間のある場所に、松尾寺への案内表示板が建っていたので、その場所で国道から細い道に入った。
そして、曲がりくねった狭い道を走り山の中へ入った。
8時20分頃、わたしたちは、松尾寺に到着した。
駐車場にレンタカーを止めて、雨の中を歩いた。









松尾寺は、真言宗醍醐派の寺院で、創建年は708年である。

参拝後、納経料と駐車場料金を納め、納経長に御朱印を受けた。

そして、松尾寺をあとにした。
それから、走ってきた道を引き返し、国道に出ると、西へ進んだ。
しばらく西へ走ったあと、ある交差点を右折し、湾沿いを走った。
次に向かったのは、舞鶴引揚記念館である。

舞鶴引揚記念館には、旧軍人のシベリア抑留に関する資料が多数展示されていた。
また、シベリア抑留中の生活の様子などを再現した模型や、引揚に活躍した船舶の模型などもあった。









近くには、引揚記念公園があり、その日は、八重桜がきれいに咲いていた。
公園の見晴らし台からは、湾などを見下ろすことができた。







そのあとは、舞鶴市内にある道の駅・舞鶴港とれとれセンターへ向かった。
しばらくは、国道を走ったが、途中、道を間違えてしまい、海沿いの旧い道を走った。
旧い道を通り抜け、しばらくすると、国道の交差点へ出た。
その交差点を右折し、国道175号線をしばらく走ると、右手に道の駅が見えた。

道の駅に着くと、昼食をとり、休憩した。
道の駅をあとにすると、国道を走り、途中、左手にあるガソリンスタンドで満タン給油をした。
そして、ガソリンスタンドをあとにすると、西舞鶴駅に向かった。
西舞鶴駅前に着くと、レンタカーの営業所へ行き、車を返した。
そして、駅の待合室で、しばらく列車を待った。

西舞鶴駅からは、14時35分発の特急「まいづる10号」・京都行きに乗車した。
列車は、舞鶴線内は、5号車から7号車までの3両編成である。
わたしたちは、普通車指定席の6号車に乗車した。
車番はモハ286-109だった。
その列車は、途中の綾部駅で進行方向が変わる関係で、舞鶴線内は、座席は後ろ向きになっていた。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
西舞鶴発車後、女性の車掌が車内改札を開始した。
次の停車駅は、綾部だった。
綾部駅停車中に、天橋立発の特急「はしだて4号」と連結した。
綾部駅からは、山陰本線に入り、列車の進行方向が変わった。
なお、その日、指定席の車両はかなり空いていた。
そのあとは、園部、亀岡、二条、終点の京都の順に停車した。
その日は、舞鶴市内は、雨が降ったり、曇りだったりの天候だったが、京都市内は、青空の広い晴天だった。
京都からは、3489M・新快速・姫路行きに乗った。
その列車は、12両編成で、わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番はクモハ224-1だった。
新快速電車は、京都駅を出発すると、高槻、新大阪、大阪の順に停車した。
大阪では、乗務員の交代があり、車掌が女性に代わった。
そのあとは、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、終点の姫路の順に停車した。
姫路駅に着いたのは、18時04分で、乗る予定の列車まで、かなり時間があった。
その間に、駅弁などを購入した。
姫路からは、19時03分発の1335M・岡山行きに乗車した。
その列車は、113系電車の4両編成で運転されていて、わたしたちが乗った車両の車番はクハ111-566だった。
先頭の車両である。
その列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、トンネルを抜けて、岡山県に入った。
その列車は、姫路を出て、しばらくは混雑していたが、上郡からの県境区間では空いていた。
18きっぷの時期ではないからである。
列車が岡山県に入ると、三石、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、わたしたちは下車して、路線バスで帰路についた。

こうして、西国33か所第29番札所の松尾寺目的の旅行を終えることができた。
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1泊2日の舞鶴旅行(その3)

2019年12月21日 21時03分00秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化して、すみません。

4月24日の午後1時台(13時台)は、京都府の舞鶴市内にいた。
母親も一緒である。
JRの西舞鶴駅で列車を降りたあとは、駅前の営業所でレンタカーを借りて、わたしの運転で、舞鶴市内を走った。
まず、はじめは、舞鶴赤れんがパークへ向かった。
13時40分頃、赤れんがパークの駐車場に着いた。





港湾付近に、赤レンガの建物が多数建ち並んでいて、かつては、倉庫として使われていて、鉄道の引き込み線が敷かれていた時期もあったそうである。
現在は、一部の建物が記念館や商業施設として使われている。





舞鶴港に出て、海沿いをさらに進むと、赤れんが博物館があり、わたしたちは、入館した。





館内は撮影していないが、世界各地のレンガに関する資料が展示されていた。

赤れんが博物館や赤れんがパークをあとにすると、時間があったので、フェリーターミナル付近にも車を走らせた。
ただし、フェリーの発着時間ではなかったので、旅客船の姿はなかった。
そのあと、予約していたホテルに行った。



天候はあまり良くなかったが、ホテルの部屋からは、フェリーターミナルや遠くの湾に架かる橋などが見えた。

なお、夕食は、ホテルの隣の建物の2階にあるレストランで食した。

夜になると、フェリーターミナルに船が入港しているのも見えた。

その日の夜は、そのホテルで就寝した。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の舞鶴旅行(その2)

2019年12月19日 21時28分12秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化して、すみません。

4月24日の朝は、母親と一緒に、路線バスで、山陽本線の瀬戸駅に向かった。
バスが瀬戸駅に着くと、きっぷを自動改札機に通して、ホームに入った。
瀬戸駅からは、7時25分発の1302M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で運転されている普通列車である。
わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ111-565だった。
なお、その日、その列車は、瀬戸駅発車の前後は定刻より5分ほど遅れていた。
その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、瀬戸を出発すると、万富、熊山、和気の順に、各駅に停車した。
熊山では、中高生が多数下車した。
また、和気でも高校生の下車があったため、和気からは車内は空いていた。
そのあとは、吉永、三石、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車した。
姫路着は、定時では8時33分だが、その日は4分ほど遅れて到着した。
姫路からは、8時55分発の3436M・新快速に乗車した。
その列車は、12両編成で、わたしは、最後尾のクモハ224-1に乗車した。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻、京都の順に停車した。
京都駅で新快速から降りて、山陰本線のホームへ向かった。
そのとき、山陰本線の乗り場付近にあるそば屋で空腹を満たしたうえ、駅弁などを購入してから、ホームに並んだ。
京都からは、特急「きのさき5号」・城崎温泉行きに乗車した。
その列車は、289系電車の4両編成だった。
わたしたちは、3号車に乗車した。
車内は一部を除き、自由席である。
わたしたちは、進行方向右側の座席に座った。
京都駅停車中、女性の客室乗務員(なお、車掌は男性)が車内に来て、車内改札を開始した。
11時25分、特急「きのさき5号」は、京都駅を発車した。
列車は、山陰本線を走った。
京都市街地の高架橋を走り、途中、二条駅に停車した。
そのあとは、京都市街地を離れ、いくつものトンネルを通り抜け、亀岡駅に停車した。
亀岡の次は、園部に停車した。
園部からは、線路が単線になった。
周りの風景も、ほとんど山間の集落の中だった。
途中、川からかなり高さのある鉄橋を何か所か渡った。
12時30分、特急「きのさき5号」は、綾部駅に停車した。
わたしたちは、綾部駅で下車いて、舞鶴線の普通列車に乗り換えた。
綾部から乗った列車は、12時35分発の335M・東舞鶴行きである。
その列車は、緑色に塗られた113系の2両編成だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番はクモハ113-5304だった。
列車は、ワンマン運転である。
東舞鶴行きの列車は、綾部駅を出発すると、淵垣、梅迫、真倉、西舞鶴の順に、各駅に停車した。
12時58分頃、列車が、西舞鶴駅に止まると、下車した。





そして、橋上駅舎の改札口を通り、駅前に出ると、レンタカーの営業所へ向かった。
レンタカーの営業所に着くと、レンタカーの予約券を出して、車を借りるための手続きを行った。
なお、その旅行で貸してもらった車は、ダイハツのムーヴだった。
営業所の係員から重要事項などについて、説明を聞いたあと、レンタカーに乗り、出発した。
まず、はじめに向かったのは、舞鶴赤レンガパークである。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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18きっぷで高松方面へ(その3)

2019年12月18日 20時58分53秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化して、すみません。

4月3日の正午過ぎは、香川県の高松市内にいた。
母親も一緒である。
12時15分ごろ、高松駅や高松港の近くにある玉藻公園に到着した。
史跡である高松城跡が公園になっている。

その日は、園内で苗木などを販売するイベントが行われていた。



園内をさらに奥に進むと、桜の花がきれいに咲いているのを見ることができた。
また、その日は、園内は花見に来た人たちが多数いた。





そのあとも、園内を歩いた。



玉藻公園をあとにすると、サンポート高松へ行った。





サンポート高松のビルの屋上からは、海や遠くの島などを見て楽しんだ。

そのあと、高松駅に行き、14時10分発の快速「マリンライナー38号」に乗車した。
その列車は、JR四国の5000系電車とJR西日本の223系5000番台とを連結した5両編成で、わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
岡山行きの先頭の車両は、高松駅では、最も改札口から遠いため、比較的空いていた。
その日の車番は、クモハ223-5007だった。
その列車は、高松駅を発車すると、次は、坂出駅に停車した。
坂出駅では、先頭の車両にも多数の乗車があり、車内は混雑した。
それから、瀬戸大橋線への短絡線を通り、瀬戸大橋を渡った。
そして、岡山県に入り、鷲羽山のトンネルを通り抜け、少し経つと、児島駅に停車した。
児島駅では、乗務員の交代があり、その日は、児島から岡山までは、運転士、車掌とも、女性だった。
児島駅を出発した快速「マリンライナー38号」は、茶屋町、妹尾、終点の岡山の順に停車した。
岡山駅に着くと、4番ホームに行き、列車を待った。
岡山からは、15時41分発の1322M・相生行きに乗車した。
その列車は、115系電車の6両編成で、わたしたちは、先頭のクモハ115-324に乗車した。
湘南色の車両で、車内は、ボックスシートを中心にしたセミクロスシートだった。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、岡山駅を出発すると、西川原、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富、熊山の順に、各駅に停車した。
熊山駅に停車すると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、18きっぷの消化と桜目的の外出を終えることができた。
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18きっぷで高松方面へ(その2)

2019年12月17日 21時05分38秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化して、すみません。

4月3日の朝は、母親と一緒にマイカーで熊山駅に向かった。
マイカー用の駐車場に車を止めると、駅舎へ向かって歩いた。
そして、熊山駅からは、7時20分発の709M・岡山行きに乗車した。
吉永発の列車だが、朝のためか、ほとんどの座席は埋まっていた。
その列車は、113系電車で運転されていて、わたしは、先頭のクハ111-566に乗車した。
列車は、熊山駅を出発すると、万富、瀬戸、上道、東岡山、高島、西川原、終点の岡山の順に、各駅に停車した。
停車駅ごとに列車内の混雑は増していった。
7時48分に、終点の岡山に着くと、瀬戸大橋線のホームへ向かった。
そして、7時55分発の快速「マリンライナー9号」に乗車した。
わたしたちが乗車した車両の車番は、クモハ223-5001だった。
なお、その日、その列車には、途中の児島までは、女性の車掌が乗務していた。
快速「マリンライナー9号」は、岡山駅を発車すると、妹尾、早島、茶屋町、児島の順に停車した。
児島駅では、乗務員の交代があり、JR西日本の乗務員からJR四国の乗務員に代わった。
そして、児島駅を出発し、鷲羽山のトンネルを抜けると、瀬戸大橋にさしかかった。
そのとき、車掌が車内を巡回してきたので、18きっぷに2人分の日付を記入してもらった。
瀬戸大橋を渡った列車は、高架橋の短絡線を通り、予讃線に入った。
それから少し経つと、坂出駅に停車した。
坂出の次は、終点の高松である。
高松駅に着くと、本来の予定では、改札を出て、琴電の高松築港駅に行き、琴電の電車に乗るつもりだった。
だが、ちょうどよい時間に、高徳線の普通列車があったので、改札の外には出ず、高徳線のホームに向かった。



高松駅からは、9時16分発の4321D・三本松行きに乗車した。
その列車は、1500系気動車の1両編成で、ワンマン運転だった。
その日の車番は、1507だった。
列車は、高松駅を出発すると、昭和町、栗林公園北口の順に停車した。
栗林公園北口駅に停車すると、運転士に18きっぷを見せてから、下車した。





栗林公園北口駅は、ホーム1本のみで、駅舎もトイレもない無人駅である。

栗林公園北口駅で下車後は、栗林公園に向かって歩いた。



栗林公園は、国の特別名勝に指定された日本庭園である。



その日は、天候が良かったうえ、桜がきれいに咲いていた。













また、園内には、大きな池が多数あるのが特徴である。





その日は、池だけではなく、桜目的で訪れた。



また、紫雲山とバックにした池と朱色の橋の組み合わせも良かった。



池には錦鯉が泳いでいる個所もあり、餌を与えることもできた。



そのあとも栗林公園内を歩き、公園の外に出ると、栗林公園北口駅に戻った。
しかし、高松行きの列車まで相当時間があるうえ、駅周辺にはほかに楽しめる場所もなかったので、大通りへ向かって歩いた。
だが、最寄りのバス停に行っても、バスが来るまで時間があったので、その大通りの歩道を高松港方面へ歩いた。

その途中には、兵庫町商店街の入り口がある。
その商店街の入り口付近に、うどん店があったので、その店で昼食をとった。
セルフうどんの店だった。
わたしたちが入ったときは、店内はまだ空いていた。



だが、昼食中、客が増えて、店内は混雑した。
兵庫町のうどん店をあとにすると、北へ向かって、大通りの歩道を歩いた。

そして、12時15分頃、玉藻公園に到着した。



都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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モデルフェスティバルに参加

2019年12月16日 13時36分04秒 | 鉄道模型
昨日15日は、岡山市某所で、モデルフェスティバルが行われた。
それは、参加者が出展した鉄道模型(参加者が作ったものや手を加えたものなど)の人気度を競うイベントである。
わたしは、名鉄5500系電車をレイアウトセクションとセットで参加させてもらった。



わたしの出展作品はNゲージだが、ほかの方は、みんなHOゲージを出されていた。
その日の参加者は、わたしを含めて13人だった。

エントリーナンバー1番は、117系のウエスト・エクスプレス銀河だった。



未塗装状態での参加だが、117系電車の造形などの特徴がきれいに再現されていた。

エントリナンバー2番は、クモハ443系電車である。



それは、パンタグラフにLEDが仕込まれていて、パンタグラフと架線との接触によるスパークが表現されていた。

エントリーナンバー3番は、JR四国の2000系気動車のアンパンマン・ラッピング車だった。



その車両には、振り子装置が組み込まれている。

エントリーナンバー4番は、52系電車流電だった。



かつて、京阪神地区で活躍していた電車の模型である。特徴ある流線形ボディもきれいに再現されていた。

エントリーナンバー5番は、蒸気機関車(形式失念)がけん引するダブルルーフの客車列車だった。



三重連の機関車が客車を牽いて走っていた。

エントリーナンバー6番は、DD51形ディーゼル機関車がけん引する客車列車である。



機関車をメインに加工された作品である。

エントリーナンバー7番は、115系・SETOUCHIトレインだった。



SETOUCHIトレインのラッピングがきれいに再現されていた。

エントリーナンバー8番は、DD54形ディーゼル機関車がけん引する貨物列車である。



それも、機関車をメインに加工された作品だった。

エントリーナンバー9番は、157系電車だった。



お召列車専用のクロ157形が組み込まれた3両編成で走っていた。

エントリーナンバー10番は、わたしの拙作、名鉄5500系電車とレイアウトセクションである。



レイアウトセクション内の道路には名鉄バスや名鉄運輸のトラックを並べた。

エントリーナンバー11番は、蒸気機関車の重連がけん引する客車列車だった。



4両の客車を牽いて走っていた。

エントリーナンバー12番は、キハ01形レールバスだった。



2軸の小さな車両が2両連結で走っていた。

エントリーナンバー13番は、車運車を中心にした貨物列車である。



車運車の車体(というか、台枠)は、角材や竹ひごなどで作られたという。台車などは余剰品を活用されたとのこと。



そのあと、投票が行われた。
投票は、各作品とも、「大変良い」「良い」「普通」の3つのどれかから選ぶようになっている。

優勝は、エントリナンバー2番のクモハ443だった。
なお、わたしの作品は、12位だった。

そのあとは、会場内で昼食を食べながら、雑談を楽しんだ。
そして、夕方撤収した。

こうして楽しい一日は、あっという間に過ぎていった。
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名鉄5500系製作記(その16)

2019年12月12日 21時06分28秒 | 鉄道模型
昨日11日は、グリーンマックスのエコノミーキットから製作していた名鉄5500系電車の製作作業を行った。
なお、7日にした塗装のマスキングは、8日にはがしている。
11日は、運転席周りや戸袋窓のHゴムへの色差しから始めた。
色差しには、タミヤのエナメル塗料のセミグロスブラックを使用した。
そのあと、パノラミックウインドーのピラーや客室窓のサッシに色差しをした。
それらの箇所へは、タミヤのエナメル塗料のクロームシルバーを使用した。
窓周りなどへの色差しが済むと、ヘッドライトや屋上配管への色差しも行った。
ヘッドライトにはタミヤのエナメル塗料のクロームシルバーを塗り、テールライトには下地としてクロームシルバーを塗り、乾燥後、その上にクリアーレッドを塗った。
屋上配管への色差しには、明灰白色を使用した。
それらも、タミヤのエナメル塗料を使用した。
こうして、車体への色差しは終了した。
そして、色差しの塗料が乾燥後、窓ガラスを装着した。
あらかじめ、所定の寸法にカットしていた透明塩ビシートをゴム系接着剤で接着していった。
そのあとは、手すりやクーラー、ベンチレーター、避雷器、ヒューズボックスなどのパーツをゴム系接着剤で接着した。
それから、動力ユニットに床下機器を接着した。
また、動力ユニットの台車のうち、片方はカプラーをカプラーポケットごと切り落とし、もう片方はアーノルドカプラーを外して、KATOカプラーのグレーのものを取り付けた。
トレーラー車の台車も同じようにした。
そして、奇数車の車体を動力ユニットにはめ込むのだが、うまく入らない。
車体内側のリブのうち、削るべき個所を削っていなかったのと、動力ユニットの長さが微妙に長すぎるので、それぞれの干渉する箇所を削っていった。
こうして、何とか装着できるようになった。
それから、ダミーカプラーを胴受けに接着し、その胴受けを車体の運転台の下に接着した。
トレーラーにする偶数車は、床板に床下機器とウエイトを接着し、その床板を車体に取り付けた。
それから、台車を取り付けた。
そのあと、ダミーカプラーを接着した胴受けを車体側に接着した。
そして、屋上には、パンタグラフを装着した。
そのあと、中間連結部分の貫通路には貫通幌を接着した。
使用した貫通幌は、トミックスの私鉄用・幅広である。
そして、最後に、キットに付属の行き先表示板のステッカーをデザインナイフで切り取って貼った。
わたしは、「犬山」を選んだ。
こうして、名鉄5500系電車は、完成車となり、当模型鉄道の所属車両に加わった。
いつかは、運転会などで走らせてみたいと思う。
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