今さら3月のことを記事化してすみません。
3月24日の朝は、広島県三次市にある某ホテルで迎えた。
ホテルのレストランで朝食後、チェックアウトをすると、タクシーで三次駅へ向かった。
午前8時半頃、駅に到着した。料金は初乗り運賃で済んだ。
タクシーを降りると、駅舎内の店で食料品を買ってから、改札内に入った。
その日、三次駅からは、9時57分発の三江線の石見川本行きの列車に乗ったのだが、三次駅に着いてからは、かなり時間があった。
そのためか、三江線の列車が発車するホームには、ほとんど人がいなかった。
時間があったので、ほかの列車や駅で見つけた面白いものの写真を撮った。
芸備線の三次以東の列車と福塩線直通列車は、紫帯のキハ120形で運転されていた。
芸備線三次以西の列車は、大型車両であるキハ40系が主に使用されていた。
首都圏色(国鉄色)に戻されたキハ40系気動車とかさ上げのされていない客車用ホームとの組み合わせは、国鉄時代を彷彿とさせる。
三江線の列車が止まる駅には、石見神楽の演目名を用いた愛称名が用いられていて、三次駅では、土蜘蛛の愛称がつけられている。
三江線の列車が来るホームに、それを表示するプレートが取り付けられていた。
時間があったときに、ホームや留置線の車両を撮影したが、広島方面へ向かう列車を除くと、キハ120ばかりだった。
9時21分頃、三次駅の3番ホームに、青系2色の帯のキハ120の単行の列車が入ってきた。
三江線の列車である。
その車両が、折り返し、石見川本行きの424D列車になった。
キハ120の単行ワンマンの列車で、その日の車番は、キハ120-312だった。
乗車後、進行方向右側のボックス席を確保した。
発車まで、まだ時間があった。
その間にも、次々と乗客が増えていき、座席の半分以上は埋まった。
9時57分、424D・石見川本行きの列車は、三次駅を発車した。
発車後、何百メートルかは、芸備線の線路と並走したが、少し経つと、芸備線とは分かれ、右カーブにかかった。
それから、国道の上のガードを通り、鉄橋を渡った。
そらからも、築堤の上を通り、それからまもなく、尾関山駅に停車した。
尾関山駅を出発後は、尾関山公園の下のトンネルに入った。
トンネルを抜けると、江の川の鉄橋を渡った。
しばらくの間、江の川に沿って走った。
尾関山の次は、粟屋に停車した。
粟屋の次は、船佐である。粟屋駅と船佐駅の間には、長谷駅があるが、その列車は通過した。
車窓から長谷駅の存在も確認できたが、ホーム1本に小さな待合小屋があるだけの駅だった。人気はまったくなかった。
船佐の次は、所木に停車した。
そのあとは、信木、式敷、香淀の順に停車した。
その辺りは、人家は少なく、山に挟まれた川に沿って、列車はゆっくり進んでいった。
線路は草ボーボーの箇所が多かった。
車窓から見えたものは、山々と江の川と線路沿いの道だった。
そのあとは、作木口、江平の順に停車した。
途中駅での乗降客は、ほとんどいなかった。
その付近も、川沿いを走り、人家はまばらだった。
江平の次の停車駅の口羽を出ると、比較的新しく開業した区間に入った。
線路状態が良く、列車のスピードが上がった。
また、踏切はなく、トンネルが多くなった。
口羽の次は、伊賀和志駅に停車した。
そして、伊賀和志の次は、有名な宇津井駅である。
宇都井駅を出発後は、石見都賀、石見松原、潮、沢谷の順に停車した。
沢谷の次は、浜原である。
浜原駅を出発後は、粕淵、明塚、石見簗瀬、乙原、竹、木路原の順に停車した。
そして、その次が、終点の石見川本である。12時09分に到着した。
石見川本から先は、同じ車両が列車番号を変えて、江津行きの列車になって運転されるが、乗客は、みんないったん降りなければならなかった。
わたしも、荷物を持って、下車した。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
3月24日の朝は、広島県三次市にある某ホテルで迎えた。
ホテルのレストランで朝食後、チェックアウトをすると、タクシーで三次駅へ向かった。
午前8時半頃、駅に到着した。料金は初乗り運賃で済んだ。
タクシーを降りると、駅舎内の店で食料品を買ってから、改札内に入った。
その日、三次駅からは、9時57分発の三江線の石見川本行きの列車に乗ったのだが、三次駅に着いてからは、かなり時間があった。
そのためか、三江線の列車が発車するホームには、ほとんど人がいなかった。
時間があったので、ほかの列車や駅で見つけた面白いものの写真を撮った。
芸備線の三次以東の列車と福塩線直通列車は、紫帯のキハ120形で運転されていた。
芸備線三次以西の列車は、大型車両であるキハ40系が主に使用されていた。
首都圏色(国鉄色)に戻されたキハ40系気動車とかさ上げのされていない客車用ホームとの組み合わせは、国鉄時代を彷彿とさせる。
三江線の列車が止まる駅には、石見神楽の演目名を用いた愛称名が用いられていて、三次駅では、土蜘蛛の愛称がつけられている。
三江線の列車が来るホームに、それを表示するプレートが取り付けられていた。
時間があったときに、ホームや留置線の車両を撮影したが、広島方面へ向かう列車を除くと、キハ120ばかりだった。
9時21分頃、三次駅の3番ホームに、青系2色の帯のキハ120の単行の列車が入ってきた。
三江線の列車である。
その車両が、折り返し、石見川本行きの424D列車になった。
キハ120の単行ワンマンの列車で、その日の車番は、キハ120-312だった。
乗車後、進行方向右側のボックス席を確保した。
発車まで、まだ時間があった。
その間にも、次々と乗客が増えていき、座席の半分以上は埋まった。
9時57分、424D・石見川本行きの列車は、三次駅を発車した。
発車後、何百メートルかは、芸備線の線路と並走したが、少し経つと、芸備線とは分かれ、右カーブにかかった。
それから、国道の上のガードを通り、鉄橋を渡った。
そらからも、築堤の上を通り、それからまもなく、尾関山駅に停車した。
尾関山駅を出発後は、尾関山公園の下のトンネルに入った。
トンネルを抜けると、江の川の鉄橋を渡った。
しばらくの間、江の川に沿って走った。
尾関山の次は、粟屋に停車した。
粟屋の次は、船佐である。粟屋駅と船佐駅の間には、長谷駅があるが、その列車は通過した。
車窓から長谷駅の存在も確認できたが、ホーム1本に小さな待合小屋があるだけの駅だった。人気はまったくなかった。
船佐の次は、所木に停車した。
そのあとは、信木、式敷、香淀の順に停車した。
その辺りは、人家は少なく、山に挟まれた川に沿って、列車はゆっくり進んでいった。
線路は草ボーボーの箇所が多かった。
車窓から見えたものは、山々と江の川と線路沿いの道だった。
そのあとは、作木口、江平の順に停車した。
途中駅での乗降客は、ほとんどいなかった。
その付近も、川沿いを走り、人家はまばらだった。
江平の次の停車駅の口羽を出ると、比較的新しく開業した区間に入った。
線路状態が良く、列車のスピードが上がった。
また、踏切はなく、トンネルが多くなった。
口羽の次は、伊賀和志駅に停車した。
そして、伊賀和志の次は、有名な宇津井駅である。
宇都井駅を出発後は、石見都賀、石見松原、潮、沢谷の順に停車した。
沢谷の次は、浜原である。
浜原駅を出発後は、粕淵、明塚、石見簗瀬、乙原、竹、木路原の順に停車した。
そして、その次が、終点の石見川本である。12時09分に到着した。
石見川本から先は、同じ車両が列車番号を変えて、江津行きの列車になって運転されるが、乗客は、みんないったん降りなければならなかった。
わたしも、荷物を持って、下車した。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。