浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

山陽電車と阪神電車で大阪日本橋へ行った(続き)

2018年12月30日 21時38分57秒 | Weblog
今さら12月14日のことを記事化してすみません。

12月14日の朝は、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅からは、6時41分発の1300M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ111-2038だった。
列車は、熊山駅を出発すると、和気、吉永、三石の順に、各駅に停車した。
三石駅を出発すると、船坂トンネルを通り、兵庫県に入った。
そして、しばらく走ると、上郡駅に停車した。
上郡駅では、多数の乗車があった。
上郡駅を出発すると、有年、相生の順に停車した。
相生駅には、7時20分に到着し、26分に発車予定だった。
しかし、その日は、定刻の26分を過ぎても、発車しなかった。
車掌の放送によると、後続の上郡発野洲行きの列車の車両が故障したため、相生出発を、後続の野洲行きと同じ
7時39分に変更するという。
そのため、定刻より遅れて発車した。
また、車内はかなり混雑した。
そのあとは、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車したが、姫路に近づくにつれて、混雑は激しくなった。
終点の姫路には、定刻より約15分遅れて到着した。
姫路駅に着くと、改札の外に出て、山陽電鉄の山陽姫路駅に向かった。
そして、阪神・山陽シーサイド1dayチケットを買って、改札を通った。



山陽姫路駅からは、8時27分発の直通特急・阪神梅田行きに乗った。



その列車は、山陽電鉄の5000系で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は5604だった。
神戸市内に入り、神戸高速鉄道、阪神電鉄の路線に入り、途中の神戸三宮に止まると、下車して、トイレを済ませたあと、9時45分発の神戸三宮発近鉄奈良行きの快速急行に乗り換えた。
その列車は、阪神電鉄の9000系だった。
わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は9208だった。
その列車は、神戸三宮を出発したときは、混雑していたが、阪神なんば線に入ってしばらくすると、空いてきた。
途中の桜川駅では、近鉄の乗務員に交代した。
そして、次の大阪難波駅に止まると、下車した。





大阪難波駅で下車後は、改札の外に出て、地下街を歩いた
その途中にあるコーヒー店で、トーストとコーヒーのセットを注文し、腹ごしらえをした。



そのあとも、地下街を歩き、日本橋駅付近で地上に出て、堺筋の歩道を歩いた。

そして、日本橋にある模型店を巡ったり、黒門市場のうどん店で昼食をとった。

そのあと、大阪難波駅へ向かって歩いた。

大阪難波駅からは、12時56分発の各停・尼崎行きに乗車した。
その列車は、阪神電鉄の1000系で運転されていた。
尼崎行きの各停が、終点の尼崎駅に着くと、下車して、阪神本線の上りのホームへ行った。
そして、13時19分発の急行・阪神梅田行きに乗った。
その列車は、阪神電鉄の9300系で運転されていて、わたしは、中間車の車番9306に乗車した。
車内にはクロスシートがあり、それに座ることができた。
急行電車が、終点の阪神梅田に着くと、下車して、いったん改札の外に出た。
改札から出て、すぐのところに、阪神百貨店の入口がある。
しばらくして、改札内に戻り、14時10分発の直通特急・山陽姫路行きを待った。



14時10分発の直通特急は、山陽電鉄の車両が使われていて、その日は、5030系が充当されていた。
わたしは、中間車の車番5233に乗車した。
車内のクロスシートは、海側が2列、山側が1列で、わたしは、1列のほうに座った。
15時50分頃、直通特急が、終点の山陽姫路駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの姫路駅に行き、16時35分発の981M・播州赤穂行きを待った。
その列車は、221系の4両編成だった。
わたしは、先頭の車両に乗車した。
車内は混雑していた。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
途中の相生駅に止まると、下車して、16時59分発の山陽本線経由の1329Mに乗り換えた。
その列車は、115系の6両編成で、わたしは、前から3両目の車両に乗った。
車番はクモハ115-1509だった。
その列車は、相生駅を出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に停車した。
途中の吉永や和気では、意外と多数の乗車があった。
金曜日の夕方なので、岡山市内に飲みに行く人が多かったのかもしれない。
和気の次は、熊山駅に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、大阪の日本橋の模型店目的の外出を終えることができた。
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みまさかスローライフ列車に乗りに行った(続き)

2018年12月30日 20時45分20秒 | Weblog
今さら11月のことを記事化してすみません。

11月10日の朝は、路線バスに乗って、岡山駅へ向かった。
岡山駅からは、津山線の普通列車946D・津山行きに乗車した。
その列車は、キハ40形気動車の単行運転のワンマン列車だった。
その日の車番は、キハ40-2043だった。
列車は、8時44分に、岡山駅を出発した。
単行運転のため、ほとんどの座席が埋まっていた。
列車は、終点の津山まで、各駅に停車した。
津山駅に着くと、下車して、いったん改札の外に出た。
そして、トイレなどへ行ったあと、智頭までのきっぷを買い、4番ホームへ行った。
その日は、みまさかスローライフ列車の運転日で、4番ホームから発車するという案内があった。



ホームには、乗車口の位置の表示がされていた。



わたしは、10時20分頃から、自由席の乗車口の表示のところで待つことにした。
その表示のところには、まだ誰も並んでいなかった。

しばらくすると、みまさかスローライフ列車目的の人たちが次々と並んできた。

そのときは、まだ車両編成は、車両基地に止まっていた。



11時半頃、みまさかスローライフ列車の車両が、車両基地から出てきた。



そして、11時40分頃、4番ホームに入線した。



列車が入線すると、ドアボタンを押して、ドアを開けて、車内に入った。
智頭行きでは最後尾の車両で、車番はキハ40-2134だった。
もちろん、自由席である。
車内に入ると、進行方向左側のボックス席を確保した。

12時03分、みまさかスローライフ列車は、津山駅を出発した。
最後尾の車両には、車掌のほか、何人かのイベントスタッフが乗務していた。

列車は、津山駅を出発すると、各駅に停車した。
津山駅を出発して、少し経つと、吉井川の鉄橋を渡った。
そして、少し経つと、東津山駅に停車した。
東津山駅では、停車時間はわずかだった。
東津山からは、因美線に入った。
東津山の次の停車駅は、高野である。
次の高野駅も、停車時間はわずかだった。
高野の次は、美作滝尾に停車した。
その途中では、のどかな田畑の風景が目に入った。



しばらく走ると、古い木造駅舎の残る美作滝尾駅に停車した。
1面1線の駅である。
美作滝江尾駅では、長時間停車した。



ホームでは、「男はつらいよ」の寅さんに扮した人など、多数の人たちが、歓迎していた。

美作滝尾駅では、イベントが行われていて、出店では弁当が販売されていたので購入した。



また、駅舎のホーム側には、使われなくなってさび付いたはかりや荷車などが置かれていた。
荷物を取り扱いしていた時代の名残であろう。



車内に戻ると、買った弁当を開いて、昼食をとった。

12時50分、みまさかスローライフ列車は、美作滝尾駅を発車した。
少し経つと、川沿いを走った。
その途中に三浦駅がある。
もちろん、停車したが、すぐに発車した。
車窓から見えた川の水がきれいだった。

13時02分、みまさかスローライフ列車は、美作加茂駅に停車した。
2面2線の行き違い可能駅である。
美作加茂駅では、長時間停車した。



駅前には、大きな山車が置かれていた。
また、付近では、出店があった。



13時35分、みまさかスローライフ列車は、美作加茂駅を発車した。

車窓の風景は、徐々に山深くなっていった。

その途中、知和駅に停車したが、すぐに発車した。

知和駅出発後は、ますます山の中に入っていった。
途中、トンネルを抜けると、有名な撮影地の鉄橋に出た。



それから、まもなく、美作河井駅に停車した。



美作河井駅では、長時間停車した。



駅の東の山は、かつて山城の矢筈城があった場所である。



また、付近には、かつて、除雪車の方向転換に使われていた転車台があった。



14時15分、みまさかスローライフ列車は、美作河井駅を出発した。
列車は、県境の物見トンネルに向かって、ゆっくりと進んだ。

物見トンネルに入ると、列車のスピードが徐々にあがっていった。
そして、鳥取県に入った。

鳥取県に入り、しばらくすると、那岐駅に停車した。
停車時間はわずかだった。
その次は、土師駅に停車した。
土師駅でも、停車時間はわずかだった。
そして、14時43分、みまさかスローライフ列車は、終点の智頭駅に到着した。


みまさかスローライフ列車は、智頭駅で折り返し、津山行きのみまさかスローライフ列車となって、14時50分に発車したが、わたしは、引き続きの乗車はせずに、下車後、改札の外に出た。

そして、智頭急行の駅舎に行き、15時32分発の740D・上郡行きを待った。
わたしにとって、23年ぶりの智頭急行線乗車である。
きっぷを購入後、しばらく待つと、車両の点検などが済み、乗車できるようになった。



その列車は、智頭急行のHOT3500形の単行運転のワンマン列車である。
その日の車番はHOT3503だった。
車内は、ボックスシートとロングシートがあり、上郡寄りのドア付近にはトイレも設置されている。
わたしは、進行方向右側のボックスシートに座った。
列車は、智頭駅を出発すると、終点の上郡駅まで、各駅に停車した。
途中、恋山形駅では、ピンクの待合所が目に入った。



恋山形出発後は、山郷に停車し、そのあとは、県境を越えて、岡山県に入った。
智頭急行線は、高架橋とトンネルが多く、智頭駅付近、佐用駅付近、上郡駅付近を除き、踏切がない。
岡山県に入ると、あわくら温泉、西粟倉、大原の順に停車した。
大原駅では停車時間が長かった。
大原の次は、宮本武蔵駅に停車した。
宮本武蔵駅を出発すると、しばらくして、兵庫県に入った。
そして、石井、平福、佐用、久崎、河野原円心、苔縄の順に停車した。
車窓の外は、徐々に暗くなっていった。
16時59分、智頭急行の普通列車・740Dは、終点の上郡駅に到着した。
上郡駅で降りると、JRとの連絡改札で、乗車駅証明書を受け取った。
それから、山陽本線の17時11分発の1329Mを待った。
その列車は、115系の6両編成だった。
わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクモハ115-1504だった。
山陽本線の列車が、上郡駅を出発すると、少し経ってから、車掌が車内の巡回を始めた。
車掌に乗車駅証明書を渡し、瀬戸まで乗ることを告げて、車内発行券を購入した。
そのあと、列車は、船坂峠を通り、船坂トンネルを通って、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
三石駅出発後は、吉永、和気、熊山、万富の順に停車した。
万富の次は、瀬戸駅に停車した。
瀬戸駅に止まると、下車して、駅員に車内発行券を渡して、改札の外に出た。
そして、路線バスに乗って、帰路についた。

こうして、みまさかスローライフ列車目的の外出を終えることができた。
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山陰へ撮り鉄に行った(続き)

2018年12月30日 15時56分34秒 | カメラ・写真
今さら11月のことを記事化してすみません。

11月4日は、早朝5時頃、マイカーに愛機α33を載せて出かけた。
国道53号線や国道179号線などを通り、向かった先は、鳥取県東伯郡湯梨浜町原地区の山陰本線沿線である。

現地には、8時過ぎに到着した。
その場所は、田園の築堤の上を走る山陰本線の列車が撮影しやすい定番撮影地である。
その日、まずはじめに撮影した列車は、下り普通列車の229Kで、8時16分頃、撮影した。



列車は、キハ47形の2両編成だった。

次に撮影した列車は、上りの特急「スーパーはくと4号」である。



列車は、HOT7000系の5両編成で、構図ギリギリになった。
プリントしたら切れてしまうだろう。
失敗作だが、ここでは載せることにした。
なお、撮影時刻は8時26分だった。

次に撮影した列車は、上り普通列車の120Kである。



列車は、キハ126系の2両編成で、撮影時刻は8時44分だった。


その次は、下りの特急「スーパーまつかぜ3号」を撮影した。





キハ187系の2両編成で、その日は、「いわみキャラクタートレイン」のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は8時51分から52分である。

その次は、上りの普通列車230Kを撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は8時59分だった。

その次は、上りの特急「スーパーまつかぜ4号」を撮影した。



キハ187系の2両編成だった。
撮影時刻は9時05分である。

その次は、下りの普通列車231Kを撮影した。



列車は、キハ47形の4両編成だった。
撮影時刻は9時09分である。

その次は、その日、もっとも撮影したかった列車を撮影した。



下りの8435D・快速「あめつち」である。
撮影時刻は9時32分だった。

そのあとも、その日の撮り鉄は続いた。

次は、上りの3420K・快速「とっとりライナー」を撮影した。





列車は、キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりの黄色のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は9時43分から44分である。

その次は、下りのHOT7000系の回送列車を撮影した。



特急「スーパーはくと」に使用されている車両の回送で、その日は5両編成だった。
ギリギリの構図の失敗作だが、ここでは載せることにした。
撮影時刻は9時47分である。

そのあと、いったん撤収し、撮影ポイントを変えて撮り鉄するために車で移動した。
向かった先は、湯梨浜町の長和田地区の山陰本線の踏切付近である。
その場所も、築堤の上を走る山陰本線の列車を撮影できるのだが、線路沿いの植物が生長していて、構図を決めるのが難しかった。

場所移動後、はじめに撮影した列車は、上りの特急「スーパーまつかぜ6号」で、後追い撮影である。



撮影時刻は10時28分だった。

その次は、下りの普通列車233Kを撮影した。



列車はキハ47形だった。
撮影時刻は10時34分である。

その次は、下りの特急「スーパーはくと1号」を撮影した。



撮影時刻は10時41分である。

そのあと、また撤収し、道の駅はわいで食事休憩後、再度、湯梨浜町原地区の撮影地に戻った。
そちらのほうが、撮影しやすいからである。

再び、原地区に戻ると、まず撮影した列車は、上りの3422K・快速「とっとりライナー」である。



列車は、キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりのピンクのラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は11時56分である。

次は、下りの特急「スーパーまつかぜ5号」を後追いで撮影した。



列車は、キハ187系の2両編成で、撮影時刻は12時03分だった。

次は、下りの237K・普通列車を後追いで撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は12時07分だった。

次は、上りの普通列車1276Kを撮影した。



その列車も、キハ47形の2両編成だった。
撮影時刻は12時15分である。

次は、下りの特急「スーパーはくと3号」を後追いで撮影した。



撮影時刻は12時27分である。

次は、上りの特急「スーパーはくと8号」を撮影した。



撮影時刻は12時33分だった。

次は、上りの240K・普通列車を撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は12時48分だった。

次は、下りの3423K・快速「とっとりライナー」を撮影した。



キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりの黄色のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は12時54分だった。

次は、上りの特急「スーパーまつかぜ8号」を撮影した。



キハ187系の2両編成で、その日は、いわみキャラクタートレインが充当されていた。
なお、撮影時刻は13時02分である。

その撮影を以って、その日の撮り鉄は終了した。

そのあとは、国道179号線や国道53号線などを通り、帰路についた。
日曜日で晴天が良い日だったため、奥津付近では車が多かった。

夕方、無事に帰宅して、「あめつち」などの撮影を目的としたドライブは終了した。
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1泊2日の滋賀県旅行(その4)

2018年12月29日 21時45分13秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月26日の11時台は、滋賀県の五箇荘地区にいた。
母親も一緒である。
五箇荘観光センターの駐車場に車を止めて、町並み保存地区へ向かって歩いた。
途中、道幅が狭いのに交通量が多い箇所があり、要注意だった。
町並み保存地区に入ると、道幅が細くなり、自動車の通行量も少なくなる。
その地区内は、多数の古民家などが所狭しと建ち並んでいる。



ある観光ガイドブックによると、古民家を改装した飲食店があるので、その店を見つけたのだが、残念な思いをした。
ガイドブックの内容だと、既に営業開始時刻を過ぎているのに、「支度中」の札が出ていて、営業を始める気配がなかった。
また、店には暖簾が出ていて、灯りがついていたのに、人の気配もなかった。
そこで、その店での昼食はあきらめて、いったん観光センターへ引き返した。
そのため、時間をロスしてしまった。

観光センターの食堂で昼食をとって、再び、町並み保存地区へ行ったが、もうゆっくりと散策する時間はなかった。
レンタカーの返却予定時刻が近づいているからである。









保存地区内の寺院を参拝後、観光センターへ急いで戻り、レンタカーで、近江八幡駅へ向かった。
その途中、安土城跡のそばを通ったが、もちろん寄る時間はない。
レンタカーの返却予定時刻は13時30分。
近江八幡市街地に近づくと、途中のガソリンスタンドで満タン給油をした。
そのあと、少し走ると近江八幡駅に到着した。
近江八幡駅のレンタカー営業所に着くと、車を返却するための手続きをした。
それから、駅に入って、13時39分発の3471M・新快速・姫路行きを待った。
新快速が入ってくると、わたしたちは、4号車に乗車した。
近江八幡を出発時は、車内はそれほど混雑していなかったが、京阪神地区に近づくにつれて、乗客が増えていった。
新快速は、終点の姫路には、15時47分に着く予定だったが、定刻より何分か遅れて到着した。
姫路駅に着くと、16時03分発の979M・播州赤穂行きを待った。
その列車は、各駅に止まる普通列車で、途中の相生で、山陽本線経由の普通列車に乗り換えることができる。
わたしたちは、2号車に乗車した。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、姫路を若干遅れて出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
相生駅には、5分遅れて到着したが、16時25分発の山陽本線経由岡山行きの列車も、出発を遅らせたので、乗り換えることができた。
定刻では16時25分に発車予定だった列車は、1327Mで、115系の3両編成だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番はクハ115-1079だった。
列車は、相生駅を遅れて出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、わたしたちは下車して、迎えに来ていた父親の車で帰路についた。

こうして、西国33箇所の札所である観音正寺目的の旅行を終えることができた。
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通販で鉄道模型を購入

2018年12月28日 21時10分47秒 | Weblog
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。

鉄道模型製品を予約していて、それらが入荷したからである。

今回購入したものは、トミーテックのバスコレクションの第25弾を2ボックス。



以上が、今回の購入内容である。
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1泊2日の滋賀県旅行(その3)

2018年12月27日 21時44分42秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月26日の朝は、滋賀県東近江市の某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。

その日の朝食は、ホテルのレストランのバイキングだった。

8時20分頃、チェックアウトして、レンタカーに乗った。



はじめに向かったのは、道の駅あいとうマーガレットステーションである。
その道の駅に着いたのは、8時35分頃だった。



まだ、道の駅の店は開いていなかった。
だが、車から降りて、適当に散歩しているうちに、開店時刻の9時が来た。

店が開くと、土産物などの買い物をした。

それから、またレンタカーに乗った。

次に向かったのは、永源寺である。



滋賀県東近江市の山の中の川沿いにある寺院で、臨済宗永源寺派の大本山である。

永源寺は、南北朝時代の興安元年(1361年)に、近江守護職の佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりといわれている。

駐車場に車を止めて、参道を歩くと、途中、眼鏡をかけたお地蔵様がある。





さらに進んでいくと、受付の門が見えた。



中に入ると、紅くなったモミジが所々にある。



永源寺はモミジの名所としても知られている。

さらに進むと大きな山門がある。





その山門は、滋賀県指定の有形文化財である。

山門を通り、しばらく進むと、左手に鐘楼がある。



そして、鐘楼の向こうにある建物が、本堂である。



本堂を参拝後、境内の写真を撮影した。

その日は、天候が良く、撮影するの適していた。

















永源寺をあとにすると、レンタカーで、五箇荘へ向かった。
古い町並みが保存されている地区である。

東近江市街地を走り抜け、途中、近江鉄道の踏切を渡った。
そのときも、渡る直前で、カーナビが踏切の存在を音声で知らせた。

そのあともしばらく走ると、五箇荘観光センターに到着した。
観光センターには、駐車場のほか、土産店や食堂がある。
観光センターの駐車場に車を止めると、歩いて、五箇荘の集落に向かった。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の滋賀県旅行(その2)

2018年12月26日 22時10分56秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月25日の朝は、母親と一緒に父親の車で、熊山駅へ向かった。
熊山駅に着くと、7時34分発の1302M・普通列車・姫路行きに乗車した。
その列車、定刻では7時34分発だが、実際には、4分ほど遅れて来た。
濃霧のためである。
その列車は、113系の4両編成で運転されていて、わたしたちは、最後尾のクハ111-2014に乗車した。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
走行中も遅れは拡大し、終点、姫路には、本来は8時33分に着く予定だったが、その日は41分頃に到着した。
姫路からは、8時55分発の3436M・新快速に乗車した。
わたしたちは、最後尾の車両に乗った。車番はクハ222-1014だった。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻、京都、山科、大津、石山、南草津、草津、守山、野洲、近江八幡の順に停車した。
京阪神地区の区間では、車内は混雑していたが、滋賀県に入ると、徐々に空いていった。
近江八幡駅に止まると、下車して、駅レンタカーの営業所へ行った。
レンタカーの予約をしていたからである。
レンタカーのチケットを渡し、免許証を提示して、手続きを行った。
そして、借りる車の傷などの状態を確認した。
その旅行で借りた車は、日産のデイズである。
手続きなどが済むと、車に乗り、駅レンタカーの営業所を出発した。
なお、母親は普通免許を持っていないので、運転はわたしが行った。
レンタカーではじめに向かったのは、近江八幡市安土町にある安土城考古博物館である。
ただし、そのときは、空腹感があり、昼食をとりたかったので、博物館の付近にあるレストランで昼食をとった。
それから、博物館へ行った。



館内では撮影はしていないが、滋賀県の遺跡などから出土したものなどや、安土城に関するものの展示がされていた。

館内の展示物を観たあとは、車に戻り、少し移動して、安土城天守・信長の館にも行った。
館内には、安土城の一部を再現した建物やそれに関するものが展示されていた。

そのあと、観音正寺に向かって、車を走らせた。
観音正寺は、西国33箇所の第32番札所である。
駐車場へ向かって、山の中の狭い道を進んでいった。
なお、その駐車場は、午後4時に閉門されるのだが、そのとき、午後3時前後だった。
駐車場から寺院まで石段をかなり登らなければならない。
そのため、かなり慌ただしい参拝になった。

石段を登ると、見晴らしの良い場所があった。



しかし、ゆっくりとする時間はなかった。









本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

そのあと、石段を下りていき、駐車場に戻った。
そして、車に乗って、出発した。
なんとか、午後4時より前に、ゲートを通過できた。

そのあとは、県道や国道などを通り、東近江市の某所にあるホテルへ向かった。
なお、途中、近江鉄道の踏切を2カ所渡った。
レンタカーには、カーナビがあり、国道では踏切に近づくと、カーナビが踏切に接近していることを音声で知らせた。

ホテルの駐車場に着くと、車を止めて、荷物を持って、ホテルに入り、チェックインした。
そして、部屋に入った。
ホテルの部屋には、バスルームとトイレがそれぞれ独立して設置されていた。
しばらくしてから、ホテルで受け取った食事券の飲食店へ行った。
和食の店である。
その店までは、歩いて5分ほどだった。
その店で、夕食をとった。
そのあとは、コンビニで買い物をして、それから、ホテルに戻った。
そのホテルは、そばにインターチェンジがあり、自動車でのアクセスは良いが、公共の乗り物で行くのは不便かもしれない。
ホテルに戻ったあとは、しばらくして、就寝したのはいうまでもない。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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男木島へ行った(その4)

2018年12月22日 21時45分27秒 | Weblog
今さら7月のことを記事してすみません。

7月26日の午前10時40分過ぎ、わたしは、香川県の男木島にいた。
母親も一緒である。

フェリーを降りると、港の待合所に寄ったあと、豊玉姫神社を目指して歩いた。



港のそばにある鳥居をくぐると、ほとんどが石段の道を歩いた。
石段の両側には、民家などが所狭しと建ち並んでいた。

7月の晴天の日のため、汗まみれになりながら、集落の道を歩いた。

港のそばの鳥居から6分ほど歩くと、まっすぐな石段と鳥居が見えた。



石段を昇り、海のほうを向くと、フェリーの姿を見下ろすことができた。



左側の船がその日運航していた「めおん2」で、右側の船は予備船の「めおん」である。
2隻の船の塗色は似ていても、外見は大きく異なる。





豊玉姫神社に着くと、拝殿を参拝した。
豊玉姫命を祀っている神社である。

豊玉姫神社を参拝後は、集落の細い道を歩き、しばらくすると、港に戻った。

そのとき、空腹感があったので、港から石段上の道を少し進んだところにある飲食店で昼食をとった。

そのあとも、引き続き、島内を歩いた。





しばらく歩くと、学校の横を通った。

それから、さらに進むと、神社がある。





加茂神社である。

加茂神社の参道の途中、海の眺めが良い場所があった。





加茂神社を参拝すると、港へ戻った。



そして、13時00分発の高松港行きのフェリーに乗船した。
船は、もちろん、「めおん2」である。

フェリーは、途中、女木島の港に止まって、それから、高松港へ向かった。
13時40分頃、フェリー「めおん2」は、高松港に到着した。

高松港に着くと、サンポートの商業施設で休憩して、それから、高松駅へ行った。

高松駅からは、14時40分発の快速「マリンライナー40号」岡山行きに乗車した。
わたしたちが乗った車両の車番は5208だった。JR四国の車両である。

快速「マリンライナー40号」は、途中、坂出駅に停車後、瀬戸大橋を通った。
そして、鷲羽山のトンネルをくぐり、少し経つと、児島駅に止まった。
児島駅では、乗務員の交代があり、児島から岡山までは、女性の車掌が乗務していた。

快速「マリンライナー40号」が終点の岡山駅に着くと、下車して、16時12分発の普通列車・1324M・相生行きを待った。
その列車は、福山発だが、岡山駅停車中に、大半の乗客が降りたので、わたしたちは座ることができた。
その列車は、115系の4両編成で、運転されていて、わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。車番はクハ115-1236だった。
列車は、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富、熊山の順に、各駅に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、男木島とフェリー「めおん2」目的の外出を終えることができた。
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通販で鉄道模型を購入

2018年12月22日 20時26分04秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。

鉄道模型製品を予約していて、それが入荷したからである。

今回購入したものは、トミックスの「JR 500-7000系山陽新幹線(ハローキティ新幹線)セット」を1セット。



外箱なども、ハローキティ新幹線にあわせた特別仕様になっている。

以上が、今回の購入内容である。

ユーザー取り付けパーツを取りつけて完成車にしたいが、それはまた後日。

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男木島へ行った(その3)

2018年12月21日 12時49分05秒 | Weblog
今さら7月のことを記事化してすみません。

7月26日の午前10時頃、わたしは、高松港と男木島とを結ぶフェリー「めおん2」の船内にいた。
母親も一緒である。

10時頃、フェリーは、高松港を出港した。

わたしは、船内の細部の写真をデジカメで撮影した。
将来、模型を作ることを視野に入れているからである。
また、船内で販売されていた「めおん2」のペーパークラフトを1つ購入した。

出港から7分後、四国フェリーの「第一しょうどしま丸」とすれ違ったので、その船も撮影した。



元々は、小豆島の土庄港と高松港との航路に使用されていたが、現在は、宇野と高松との航路に使用されている。

前方を見ると、島に近づいていた。



女木島である。
別名、鬼ヶ島と呼ばれている。

女木島では、大半の乗船客は降りていった。
わたしたちは、引き続き船内に残り、男木島へ向かった。



しばらくすると、男木島の港と、その背後にある集落が見えてきた。





そして、フェリー「めおん2」が、男木島へ到着すると、下船した。

下船後は、島の散策を開始した。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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