今月25日の朝は、愛機α33を持って、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅からは、7時34分発の1302M普通列車・姫路行きに乗車した。列車は、115系の4両編成で、わたしは、最後尾のクハ115-1082に乗車した。
列車は、姫路まで各駅に停車した。
姫路からは、播但線に乗り換えた。
姫路で乗車した列車は、9時17分発の寺前行き・5619M列車で、それも普通列車である。列車は、103系の2両編成のワンマン運転だったが、車掌が乗務していた。
わたしは、先頭のクモハ103-3509に乗車した。
列車は、姫路を出たときは、多数の乗客がいた。また、途中の野里駅などでは、多数の乗車もあった。
砥堀駅を発車し、次の仁豊野駅に停車する直前、車掌が車内改札を始めた。ワンマン運転なので、放送やドアの開閉などは、車掌は行わない。
福崎駅では、多数下車して、車内は閑散とした。
新野駅に止まる前後、窓から遠くの山々を見ると、雪で白くなった山が眼に入った。
新野の次は、終点の寺前駅である。
寺前からは、和田山行きの普通列車に乗るのだが、乗り換えには時間に余裕があった。
そこで、改札外に出て、トイレ休憩をとってから乗り換えた。
寺前駅から乗車した列車は、キハ41形気動車の単行運転だった。オレンジ色1色に塗り替えられた車両で、車番は、キハ41-2001だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/f0/723022ad53da54eaef39319a8bb8898f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/99/cfcdb7f9b563f6f2b21156955b3c63d0.jpg)
その列車は、10時42分発の231Dだった。
発車直前、同じホームの向かいの番線に姫路から来た103系の4両編成の列車が到着し、多数乗り換えてきた。閑散としていた車内は混雑してきた。
その日は、月曜日だったが、大きな荷物を持った旅行者らしき人が多かった。
列車は、寺前駅を出発すると、ローカル線らしいゆっくりとしたスピードで北上していった。
次の駅は、長谷である。長谷までは、何度か乗車経験があるが、長谷以遠の乗車は、その日が初めてだった。
長谷を出ると、山岳路線らしい風景になった。
また、線路の近くにも雪が残っているのが眼に入ってきた。
長谷を出てしばらくすると、トンネルを通り抜けた。
トンネルを出ると、雪景色のきれいな山が見えた。
そして、しばらく走ると、生野駅に停車した。
生野の次は、新井である。車窓からは、屋根に雪の載った民家が多数見えた。
そのあとも、列車は、青倉、竹田の順に停車し、終点の和田山に到着した。
和田山駅に着くと、改札の外に出て、トイレへ行った後、円山川へ向かったのだが、そのトイレで、ついてないことがあった。
用便中(食事中の方ごめんなさい)、突然腕時計が外れて、便器に落ちてしまったのである。
仕方なく、腕時計なしで、駅をあとにした。
駅前から、東へ歩き、播但線の踏切を渡ると、まもなく、円山川の橋にかかった。
その橋を渡り、道路を横断し、円山川の東岸で、山陰本線の列車の撮影をした。
撮影した列車は、下り「こうのとり5号」と上り「こうのとり14号」である。
「こうのとり5号」は、新型車両である287系を使用した列車で、その日は、7両編成で運転されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9f/fdf94250cf0dcc8819ce72041326d6c4.jpg)
「こうのとり14号」は、3月のダイヤ改正で引退する183系の列車である。その日は、6両編成で運転されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ec/2e07f8dbaf26c3c479cdf9757e26514b.jpg)
その日は、183系の「こうのとり」の撮影が一番の目的だったのである。
その目的は果たすことができたので、「こうのとり14号」の撮影をもって現地をあとにした。
そのときは、雪が吹雪いていた。
撤収作業を終え、撮影地を去ると、橋を渡り、通った道を引き返した。
その途中、蒸気機関車マークの踏切ありの標識がある踏切が見えたので、踏切標識の写真も撮った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c8/bae1b4761e5aa8fb6f3bcfb9e595cd22.jpg)
そのあとも、駅へ向かって歩いたのだが、その途中、右側に、模型店があったので、寄ることにした。その店は、ホームページを出していて、時々拝見しているが、訪れたのは、その日が初めてだった。
店内は、鉄道模型から一般のプラモデルまでさまざまだが、商品などはきれいに並べられていた。
その日は、トミーテックの商品を購入した。
店をあとにすると、再び駅へ向かって歩いた。
そして、駅前に着くと、駅舎の1階にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、トイレへ行き、トイレ取材を行った。
帰りの列車まで、時間に余裕があったが、荷物が多かったのと、体調が崩れてきたため、駅から遠く離れるのはやめて、待合室で休憩した。
それから、改札を通り、播但線の乗り場へ向かった。
和田山からは、14時13分発の236D列車・寺前行きに乗車した。列車は、キハ40の2両編成で、わたりは、先頭の車両に乗車した。車番は、キハ40-2046だった。その列車もワンマン運転だった。もちろん、普通列車で、各駅に停車した。
列車は、ローカル線らしいゆっくりとしたスピードで走っていった。
寺前からは、15時15分発の姫路行きの5644Mに乗車した。列車は、103系の4両編成で、車掌が乗務していた。
わたしは、前から2両目のクモハ103-3504に乗車した。
その列車は、寺前を出たときは、車内は閑散としていたが、途中の駅で、高校生を中心に多数の乗車があり、車内は満員に近くなった。
姫路に着くと、駅中の書店で雑誌などを購入し、そのあと、山陽本線に乗り換えた。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車の969Mに乗車した。列車は、221系の4両編成だった。わたしは、先頭のクハ221-9に乗車した。
途中、相生に止まると、相生発山陽本線経由の普通列車の1329Mに乗り換えた。
列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1068に乗車した。その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
列車は、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に各駅に停車した。そして、熊山駅に着くと、下車した。
その日は、時計を落としたり、三脚をある列車で忘れ物したり(そのあと、無事に戻ってきました。JRの社員さん、ありがとうございました)、体調を崩したりで、ついてないことが多々あったが、183系の「こうのとり」を撮影することと、和田山駅のトイレの取材をするという目的は果たすことができた。
熊山駅からは、7時34分発の1302M普通列車・姫路行きに乗車した。列車は、115系の4両編成で、わたしは、最後尾のクハ115-1082に乗車した。
列車は、姫路まで各駅に停車した。
姫路からは、播但線に乗り換えた。
姫路で乗車した列車は、9時17分発の寺前行き・5619M列車で、それも普通列車である。列車は、103系の2両編成のワンマン運転だったが、車掌が乗務していた。
わたしは、先頭のクモハ103-3509に乗車した。
列車は、姫路を出たときは、多数の乗客がいた。また、途中の野里駅などでは、多数の乗車もあった。
砥堀駅を発車し、次の仁豊野駅に停車する直前、車掌が車内改札を始めた。ワンマン運転なので、放送やドアの開閉などは、車掌は行わない。
福崎駅では、多数下車して、車内は閑散とした。
新野駅に止まる前後、窓から遠くの山々を見ると、雪で白くなった山が眼に入った。
新野の次は、終点の寺前駅である。
寺前からは、和田山行きの普通列車に乗るのだが、乗り換えには時間に余裕があった。
そこで、改札外に出て、トイレ休憩をとってから乗り換えた。
寺前駅から乗車した列車は、キハ41形気動車の単行運転だった。オレンジ色1色に塗り替えられた車両で、車番は、キハ41-2001だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/f0/723022ad53da54eaef39319a8bb8898f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/99/cfcdb7f9b563f6f2b21156955b3c63d0.jpg)
その列車は、10時42分発の231Dだった。
発車直前、同じホームの向かいの番線に姫路から来た103系の4両編成の列車が到着し、多数乗り換えてきた。閑散としていた車内は混雑してきた。
その日は、月曜日だったが、大きな荷物を持った旅行者らしき人が多かった。
列車は、寺前駅を出発すると、ローカル線らしいゆっくりとしたスピードで北上していった。
次の駅は、長谷である。長谷までは、何度か乗車経験があるが、長谷以遠の乗車は、その日が初めてだった。
長谷を出ると、山岳路線らしい風景になった。
また、線路の近くにも雪が残っているのが眼に入ってきた。
長谷を出てしばらくすると、トンネルを通り抜けた。
トンネルを出ると、雪景色のきれいな山が見えた。
そして、しばらく走ると、生野駅に停車した。
生野の次は、新井である。車窓からは、屋根に雪の載った民家が多数見えた。
そのあとも、列車は、青倉、竹田の順に停車し、終点の和田山に到着した。
和田山駅に着くと、改札の外に出て、トイレへ行った後、円山川へ向かったのだが、そのトイレで、ついてないことがあった。
用便中(食事中の方ごめんなさい)、突然腕時計が外れて、便器に落ちてしまったのである。
仕方なく、腕時計なしで、駅をあとにした。
駅前から、東へ歩き、播但線の踏切を渡ると、まもなく、円山川の橋にかかった。
その橋を渡り、道路を横断し、円山川の東岸で、山陰本線の列車の撮影をした。
撮影した列車は、下り「こうのとり5号」と上り「こうのとり14号」である。
「こうのとり5号」は、新型車両である287系を使用した列車で、その日は、7両編成で運転されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9f/fdf94250cf0dcc8819ce72041326d6c4.jpg)
「こうのとり14号」は、3月のダイヤ改正で引退する183系の列車である。その日は、6両編成で運転されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ec/2e07f8dbaf26c3c479cdf9757e26514b.jpg)
その日は、183系の「こうのとり」の撮影が一番の目的だったのである。
その目的は果たすことができたので、「こうのとり14号」の撮影をもって現地をあとにした。
そのときは、雪が吹雪いていた。
撤収作業を終え、撮影地を去ると、橋を渡り、通った道を引き返した。
その途中、蒸気機関車マークの踏切ありの標識がある踏切が見えたので、踏切標識の写真も撮った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c8/bae1b4761e5aa8fb6f3bcfb9e595cd22.jpg)
そのあとも、駅へ向かって歩いたのだが、その途中、右側に、模型店があったので、寄ることにした。その店は、ホームページを出していて、時々拝見しているが、訪れたのは、その日が初めてだった。
店内は、鉄道模型から一般のプラモデルまでさまざまだが、商品などはきれいに並べられていた。
その日は、トミーテックの商品を購入した。
店をあとにすると、再び駅へ向かって歩いた。
そして、駅前に着くと、駅舎の1階にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、トイレへ行き、トイレ取材を行った。
帰りの列車まで、時間に余裕があったが、荷物が多かったのと、体調が崩れてきたため、駅から遠く離れるのはやめて、待合室で休憩した。
それから、改札を通り、播但線の乗り場へ向かった。
和田山からは、14時13分発の236D列車・寺前行きに乗車した。列車は、キハ40の2両編成で、わたりは、先頭の車両に乗車した。車番は、キハ40-2046だった。その列車もワンマン運転だった。もちろん、普通列車で、各駅に停車した。
列車は、ローカル線らしいゆっくりとしたスピードで走っていった。
寺前からは、15時15分発の姫路行きの5644Mに乗車した。列車は、103系の4両編成で、車掌が乗務していた。
わたしは、前から2両目のクモハ103-3504に乗車した。
その列車は、寺前を出たときは、車内は閑散としていたが、途中の駅で、高校生を中心に多数の乗車があり、車内は満員に近くなった。
姫路に着くと、駅中の書店で雑誌などを購入し、そのあと、山陽本線に乗り換えた。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車の969Mに乗車した。列車は、221系の4両編成だった。わたしは、先頭のクハ221-9に乗車した。
途中、相生に止まると、相生発山陽本線経由の普通列車の1329Mに乗り換えた。
列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1068に乗車した。その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
列車は、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に各駅に停車した。そして、熊山駅に着くと、下車した。
その日は、時計を落としたり、三脚をある列車で忘れ物したり(そのあと、無事に戻ってきました。JRの社員さん、ありがとうございました)、体調を崩したりで、ついてないことが多々あったが、183系の「こうのとり」を撮影することと、和田山駅のトイレの取材をするという目的は果たすことができた。