浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

就職先選びで重視するポイント

2010年06月30日 21時52分56秒 | Weblog
わたしは、現在の所に勤めて、半年以上が過ぎました。
以前勤めていた所よりも労働環境はよく、正社員ではなく、高給ではありませんが、収入の安定性はあり、また、各種保険などにも加入しているので、長い年数勤めていきたいと思っています。
ところで、みなさんは、就職先を探すとき、重要視するポイントは何でしょうか?
給料、将来の安定性、勤務地、勤務時間など、人によって様々だと思います。
わたしの場合は、自分の能力や経験などから、人一倍の高収入を望むのは無理だと感じています。
それでも、毎月ある程度は安定した収入が保障されているかどうかと、労働時間が変形制の場合は、勤務時間や休日が月単位で告知されるかどうかを重要視します。
現在の勤務先は、その条件も満たしているので、良い関係を大切にして、長く働かせていただきたいと思っています。

ここからは、わたし自身の恥を晒すようですが、これから社会で働く若い方たちが、就職で失敗をしないためにも、わたしの失敗談を書かせていただきます。
わたしは、以前就職で大失敗して、経済的にも精神的にも大きな苦痛を受けたことがあるからです。
わたしは、7年前の12月、岡山に本社を置く某通信教育関係会社の学校向けの教材発送業務の請負をしているX社に入社しましたが、その会社に入社して、大きな苦痛を受けました。
その会社のその部署は、毎年秋から年末にかけて、発送業務の作業員を大量に募集します。「秋から年末にかけて」です。
そして、毎年、20代を中心に多数の若い人たちが入社してきます。
応募の際に、当然面接がありますが、形だけの面接で、よっぽど面接時の態度が悪くない限り、ほとんどが採用されます。
そして、入社後の労働契約や労働条件の通知は口頭だけで伝えられます。書類で契約を交わしたり、就業規則の書面を見せてもらえることは、まずありません。
また、その会社は、20代の人が男女多数いますが、30代以上の従業員が極端に少ないのも特徴です。
これで、何か気づかれた方も居られるかもしれませんね。
そう、毎年、特定の季節だけ大量に募集すること、新人と思われる若い人はたくさんいるが、ベテランと思われる人が極端に少ないことがポイントです。
これで、その会社がどういう所か気づかれた方も居られるでしょう。
その会社は、毎年、教材の発送の作業が忙しい時期に大量に採用して、その間は忙しいほど仕事があります。
残業もあり、その分は手当てが支給されます。
しかし、その発送業務の閑散期になると、急に勤務日や勤務時間を、会社側の一方的な都合で削られ、約束どうりに仕事をさせてもらえません。
そして、その分、収入も大幅に減ってしまいます。
さらに、質が悪いのは、会社側の一方的な都合で、こちらは出勤したいにも関わらず休まされたのに、次の出勤日について、会社側は、こちらには連絡を一切せず、わたしの方から電話をかけないといけないことになっていたのです。
昼過ぎにかけると、「まだわからないから、夕方かけなおしてくれ」と言われたうえ、夕方かけると、もう誰も出なかったということもしばしばありました。
本当に舐めているとしか思えない。
近年、雇用市場が買い手市場になっているのをいいことに、使用者が権利だけ主張して義務や責任を負いたがらないということは、よく聞く話ですが、その会社の体質、まさにそのとおりです。
こうして、収入は減り、少ない手取りは、通勤のガソリン代と車の保険料で消えてしまいました。
車のローンが残っていたのですが、ローン返済のために、別のところから金を借りるということもしてしまいました。
また、社内で受けたパワハラやモラハラも激しくなりました。
そのような酷い扱いで、精神的にも経済的にも大きな苦痛を受け、心身ともに不調に陥ってしまいました。
そのとき、世間は、アテネオリンピックで盛り上がっていた時期でしたが、わたしは、それを楽しむ余裕はありませんでした。
日がたってもそういう状況は改善せず、車のローンが残っていたにも関わらず、その会社を辞めてしまいました。
ついでにいえば、その年は、マイカーの車検のあった年でもありました。
そのせいで、何重にも苦しい思いしたことは、今でも忘れられません。
その会社が、そのような体質のところだと、予めわかっていたら、お人好しなわたしでも、応募しなかったでしょう(実は、応募当時、応募したい求人は他にもいくらかありました)。
なお、その会社に応募した経緯については、あえて、ここでは触れないことにします(触れると面倒なことになりそうなため)。

それから翌年の1月、某運送会社に就職しましたが、勤務スケジュールがハードで、わたしの体力や能力では勤務は困難だと思い、早々に辞退しました。

そして、その年の夏に、某清掃会社に就職しました。
その会社へは、職安の求人票を見て応募しました。
勤務スケジュールは変形制ですが、毎週週休2日と書かれていて、そのほか、都合に合わせて、勤務日を選べることなどが書かれていました。
それを見ると、「勤務はシフト制で勤務日も希望を受け付けてくれる」と思い込むでしょう。
しかし、実際に入ってみると、外部から仕事の以来がある限り、すべての曜日が拘束され、勤務スケジュールも成り行き任せでした。
休日も、週休二日だなんて嘘ばかりで、四分の二日の誤りではと思いました。
しかも、予め、どの日が休日になるかがわからず、それも成り行き任せでした。
酷いときになると、20日以上も続けて、勤務させられたり、「明日は休みだ」と言われたのに、夕方帰宅後、携帯電話が鳴り、休みの件を撤回させられたりしたこともあります。
しかも、勤務日は、たいてい8時間分の日給で10時間以上仕事をしていました。
出勤時間も、未明から夕方の6時までのことが珍しくありませんでした。
ところで、わたしは、田舎の丘陵地の新興住宅街に住んでいますが、仕事に行くため、家を出るときは、ほとんどいつも、隣近所のサラリーマンの家は、どこも寝静まりかえっていて、住宅街自体がゴーストタウンのようでした。
家から5kmほど、走っている自動車と1台もすれ違わなかったこともありました。
そして、帰宅したときは、隣近所のどのサラリーマンも、すでに帰宅していた時間でした。
また、夜勤も毎月かなりの回数ありました。
そのような激務に加えて、職場でのパワハラ、モラハラも頻繁に受け、体調を崩したことがしばしばありました。
そして、入社から3年後の秋、過労で倒れてしまい、そのまま退職しました。

そのようなことから、わたしは、就職の際のポイントは、高収入は望めない場合でも、将来の毎月の収入の安定性がどうかと、勤務スケジュールや休日の扱いはどのようになっているかを重要視しています。
当然ですが、社会人が就職するということは、中高生が「ちょっと遊ぶ金ほしさにバイトする」とは、全く違うのです。
就職して、安定した収入を得るということは、生活基盤を築くうえで最も不可欠なことです。
それは、わたしのように、今でも両親と暮らしている者であっても例外ではありません。
それに、「いつまでもあると思うな、親と金」ともいいますし。
みなさんは、就職先を選ぶ際には、どのようなことを重視されますか?
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更新情報

2010年06月29日 18時51分20秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
「鉄道写真展示室」に
特急『はまかぜ』の画像を2枚追加したことです。

道順は、
「鉄道写真展示室」→「関西・山陰特急列車」→「特急はまかぜ」
です。

今後も、浜崎ヒカル交通館を宜しくお願い申し上げます。
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更新情報

2010年06月26日 21時39分33秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
「駅トイレの部屋」に
播但線の福崎駅と長谷駅のトイレ情報を追加したことです。

道順は、
「駅トイレの部屋」→「兵庫県の駅トイレ」→「播但線」
です。

今後も、浜崎ヒカル交通館を宜しくお願い申し上げます。
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更新情報

2010年06月25日 16時05分34秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
「バス(実物)の部屋」に
奈良県のバスを掲載したことです。

道順は、
「バス(実物)の部屋」→「近畿地方のバス」→「奈良県のバス」
です。

今後も、浜崎ヒカル交通館を宜しくお願い申し上げます。
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播但線の駅トイレを取材

2010年06月24日 23時40分46秒 | トイレ
今日は、播但線の駅のうち、福崎駅と長谷駅のトイレの取材を行った。
まず、福崎駅の改札内のトイレを取材。
トイレは、男女別のきれいな水洗式だった。また、多目的トイレも設置されていた。
利用者がいないときに撮影し、内容をメモした。
それから、駅前公衆トイレを取材した。
そこも、男女別の水洗式で、多目的トイレも設置されていた。
そちらは、諸般の事情により、内部の撮影は見合わせ、建物外観の撮影と、内容のメモとりを行った。
長谷駅は、駅の出入り口のすぐそばにトイレがある。
男女共用の水洗トイレで、古ぼけた感じだった。多目的トイレは設置されていない。
利用者がいないときに撮影し、内容をメモした。

以上の2駅を取材してきました。
取材内容は、後日ホームページに掲載の予定です。
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またまた播但線列車の撮影

2010年06月24日 22時47分08秒 | カメラ・写真
今朝は、撮影機材を持って、マイカーで熊山駅へ行った。
熊山駅の無料駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
熊山からは、8時45分発の1306M列車に乗車した。ただし、今日は、数分遅れていた。
列車は、115系のD編成とK編成を併結した7両編成で、わたしは、K編成のモハ114-3506に乗車した。
その列車は、女性の車掌が乗務していた。
列車は、相生まで各駅に停車する。
相生に着くと、播州赤穂発姫路行きの普通列車944Mに乗り換えた。
いつもなら、相生到着と同時に入線するのだが、その日は、定刻より8分ほど遅れていた。
列車は、223系6000番台の4両編成だった。わたしは、最後尾のクハ222-6030に乗車した。
乗車すると、補助シートに腰を下ろした。
車内は混雑していた。停車駅ごとに車内の乗客数が増えていった。
姫路に着くと、ある事情があって、改札外に出たあと、再び改札内に入り、播但線のホームへ向かった。
姫路からは、福崎行きの5625Mに乗車した。103系2両編成のワンマン列車である。
わたしは、先頭のクモハ103-3502に乗車した。
姫路からは、車掌も乗ってきたが、なぜか次の京口駅で降りていった。
列車は、福崎まで各駅に停車する。
姫路の次の京口は、無人駅であるが、市街地にある高架駅でもある。
その次の野里駅は、周辺は、大規模な集合住宅が建ち並んでいるほか、ショッピングモールもあり、かなり市街化が進んでいる。
野里を出ると、次は、砥堀である。
砥堀駅の少し手前で、高架区間は終わり、踏切を渡って、砥堀駅に停車した。
そのあたりからは、田園風景が目に入ってきた。
終点の福崎に着くと、停車中の「はまかぜ1号」の姿のスナップ写真を撮ったり、改札内のトイレの取材を行った。
そして、改札外に出て、駅前公衆トイレの取材をしたあと、改札内に入り、5627M列車で、寺前へ向かった。
5627M列車も、103系の2両編成で、ワンマン運転である。わたしが乗車したのは、先頭のクモハ103-3503である。
列車は、寺前まで各駅に停車する。
福崎を出ると、沿線の家屋は徐々に少なくなり、ますます広い田園風景が目に入った。
終点の寺前駅に着くと、駅の外に出て、駅前のラーメン店で昼食をとった。
寺前駅周辺では数少ない飲食店で、店内にはかなりの客がいた。
昼食後、寺前駅から、長谷駅へ行くため、気動車に乗車した。
寺前駅は、電化区間と非電化区間の境界駅である。
寺前から乗車した列車は、和田山行きの1235Dで、キハ47を両運転台に改造したキハ41の単行運転である。今日は、「銀の馬車道」ラッピングのキハ41-2003が充当されていた。
列車は、13時5分に、寺前駅を発車した。
発車後、しばらくは、田園風景の中を走っていたが、だんだん山深くなり、山間の川沿いを走っていった。山岳路線の雰囲気だった。
車窓の風景は、杉の多い緑の山の中という感じだった。
13時15分頃、長谷駅に停車した。
島式ホーム1面の無人駅である。
長谷駅前に出ると、坂道を下り、市川の橋へ向かって歩いた。
橋を渡ると、川沿いを走る県道へ出た。
県道に入ると、県道の歩道を南へ向かって歩いた。
しばらく歩くと、神姫グリーンバスの「為信」というバス停があり、その付近に、市川の橋が架かっている。
橋を渡って、つきあたりを左へ進んだ。
一応、線路沿いに歩いているのだが、その道と線路の間は、背の高い植物に遮られ、道と川の間の木々にも遮られているので、列車の撮影はできそうになかった。
それでも、木々のトンネルを通り抜け、奥へ進むと、線路にも近く、障害物が少なく、列車の撮影にもってこいの場所にたどり着いた。
そこから列車の撮影を行うことにした。
線路からはある程度距離を置きながら、三脚を立て、カメラをセットした。
そして、まず最初は、予定になかった「はまかぜ3号」の後追い撮影をした。
その場所は、下り列車は、後追い撮影しかできない。
そのあと、1237D普通列車を撮影した。それも後追いである。
そして、15時10分を過ぎた頃、1236D普通列車を撮影した。それは、上り列車で、正面からの撮影となった。
そして、15時半頃、その日の一番の目的である「はまかぜ4号」を撮影して、その日の列車撮影は終了した。
それから、歩いてきた道を引き返した。
長谷駅に着くと、トイレの取材をしてから、ホームに入った。
長谷駅からは、1238D列車・寺前行きに乗車した。列車は、キハ41の単行で、それもまた、「銀の馬車道」ラッピング車の2003だった。
寺前駅からは、5652M列車・姫路行きに乗り換えた。
列車は、103系の2両編成を2組つないだ4両編成だった。もちろん、最後尾の車両には車掌が乗務していた。
わたしが乗車したのは、最後尾のクモハ103-3506で、「銀の馬車道」ラッピング車である。
列車は、姫路まで各駅に停車する。
途中の駅間で、車掌が巡回を始めたので、整理券を渡して、行き先を申告して、乗車券を購入した。もちろん、行き先は熊山である。
列車が姫路に着くと、山陽本線岡山方面行きに乗り換えるため、7番と8番の島式ホームに向かった。
その日は、ゆかた祭りのため、浴衣姿の女性が多数、駅構内を歩いていた。
山陽本線のホームに着くと、腹ごしらえにパンとコーヒーを買ってから、列車を待った。
乗車したのは、18時5分発の1333Mである。列車は、115系の4両編成だった。
帰宅ラッシュの時間帯のせいか、姫路を出てから、しばらくは、車内は混雑していた。
列車は、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を出ると、船坂峠を越えて、次は、岡山県の三石に停車する。
日の長い時期なので、その時間でも、車窓の緑の山々を見ることができた。
船坂トンネルを抜けると、岡山県に入り、三石駅に停車した。
三石を出ると、吉永、和気の順に停車し、熊山駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、マイカーで帰宅した。
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ウインカー出さずに直前に割り込んだ車

2010年06月23日 20時29分57秒 | 交通マナー
今日の午後6時半頃、わたしは、赤磐市桜が丘東地区の幹線道路を走っていた。
進行中、わたしの1台後ろにいた白いバネット・バンが追い越し、わたしの車の直前に、いきなり割り込んできた。
しかも、ウインカーを出していない。
さらに、前方の信号は赤で、信号待ちの車もいたので、そのバネットは、急減速した。
わたしは、慌てて急ブレーキを踏みそうになった。
その車のドライバーは、急いでいたのかもしれない。
しかし、人の車の前に入るときには、「これから前に入りますよ」という意味の合図をするのくらい、免許をもっている人の間では、常識である。
まして、ウインカー出さずに、走っている車の直前に割り込むのは、一歩誤れば、玉突き事故にもつながりかねず、大変危険である。
そういうドライバーは、「道路は自分のためのもの」という考えしか頭にないのだろうな。
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鉄道友の会の支部総会

2010年06月21日 22時19分07秒 | Weblog
わたしは、鉄道友の会東中国支部に在籍している。
昨日は、岡山駅の建物内で、年に一度の支部総会が行われた。
わたしも出席した。
まず、昨年度の行事と予算、決算について、報告があり、それに続いて、今年度の予算案についての説明があった。
そのあと、今年度の予定についての話し合いがあったり、会員の意見交換も行われた。
そして、会費の徴収も行われた。わたしは、支部会費、写真クラブの会費、虹会(鉄道模型のクラブ)の会費を支払った。
例年どおりだと、それから写真コンクールがあるのだが、今年は、会報「かもめ」に掲載してほしい写真の募集はあったが、投票によるコンテストは行われなかった。
そのあと、市街地の某中華料理店で、二次会が行われた。
わたしは、今まで二次会は不参加だったが、その日、初めて参加した。
そして、料理を食べたり、ビールを飲みながら、鉄道談話を楽しんだ。
こうして、みんなと楽しい時間を過ごすことができた。
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京急バスセットを購入

2010年06月16日 22時04分54秒 | 鉄道模型
今月の1日の正午から、バスコレの京急バスセットがネット販売開始された(現在は完売しています)。
わたしは、その日、2セット注文して、代金を振り込んだ。
その商品が、今日届いたのである。
都合により、配達希望日を指定したため、今日の配達になった。
受け取ると、注文どおり、バスのセットが2セット入っていた。
そのうち1箱を開けると、バス2台のほか、行き先表示を変えるシールが入っていた。
2台のバスは、いずれも、バスコレらしく、細部の再現もきれいだった。
まだ、商品の状態そのままで、手を加えてはいない。
それらのバスは、いずれ、運転会やジオラマの上で大活躍するでしょう。
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一青窈コンサート花蓮街

2010年06月14日 21時58分58秒 | Weblog
昨日の夕方は、岡山市民会館で、一青窈さんのコンサートが行われた。
午後5時半から入場が開始になり、6時から開催された。
そのコンサートのステージは、花蓮街という架空の街という設定で、街角をイメージしたセットをバックに、一青窈さんの想いや感じたことを交えながら、次々と歌っていた。
生の歌声は、CDとは違い、独特の響きや迫力も感じたが、美しい歌声だった。
また、演出もかなり力が入っていて、バックに、コンピュータの動画が映し出されていて、歌と相まって、良い雰囲気だった。
衣裳も、途中でチェンジしたが、中盤での丈の短い黒いワンピースが良かったと思った。
また、会場では、コンサートツアーの記念グッズを販売していた。
わたしは、パンフレットを購入した。
一青窈さんの歌声のすばらしさを改めて実感した日になりました。
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