いまさら18日のことを記事化してすみません。
今月18日は、愛車に愛機α33を載せて、午前9時過ぎに自宅を出発した。
途中、何度かトイレ休憩をとりながら、県北津山市加茂町物見へ向かった。
その日は、美作加茂駅付近まではよく晴れていたが、そこを過ぎると、次第に曇り空になり、加茂町物見では、雨に遭遇した。
物見トンネルの上に三脚を立てて、撮影するつもりだったが、あきらめて、車の車内から、物見トンネルへ向かう列車を撮影した。
撮影した列車は、678D列車である。キハ120形気動車1両編成の列車だった。
そのあと、美作河井駅へ行き、駅トイレの取材などをした。
そして、そのあと、美作河井~知和にある有名な鉄橋を渡る列車を撮影するために、鉄橋付近へ向かった。
そして、鉄橋より少し南の歩道の上から、鉄橋を渡る列車を撮影した。撮影した列車は、677Dで、それも、キハ120の1両編成だった。
それから、車で美作加茂駅付近へ向かった。その途中、知和駅に寄り、トイレ取材を行った。
その日は、車で美作加茂駅の前までは行かず、美作加茂駅前を通らない新道沿いの駐車場に車を止めて、美作加茂駅を目指して歩くことにした。
車を止めて、はじめに、山と空の写真を撮影した。
山と空の写真を撮影後、カメラを持って、加茂町桑原地区の踏切に向かって歩いた。
その踏切には、近年は貴重になりつつある、汽車のマークの踏切ありの標識が残っていたからである。
標識の写真を撮影後、美作加茂駅を目指して、さらに歩いた。
美作加茂駅でも、トイレ取材を行った。
そのあと、駐車場へ戻るのだが、その際は、踏切を通らず、陸橋を渡っていった。
そして、車に戻ると、美作滝尾駅より少し南にある加茂川の橋梁を渡る列車を撮影するため、清泉小学校付近まで、車を走らせた。
そして、道端の適当な場所で、写真撮影をするために、カメラをセットし、列車を待った。
そこで撮影した列車は、679Dで、それもキハ120の1両編成だった。
その撮影をもって、その日の列車撮影は終了した。
そして、国道53号線などを南下し、帰宅した。
こうして、その日は、因美線の列車などの撮影を楽しんだのである。
今月18日は、愛車に愛機α33を載せて、午前9時過ぎに自宅を出発した。
途中、何度かトイレ休憩をとりながら、県北津山市加茂町物見へ向かった。
その日は、美作加茂駅付近まではよく晴れていたが、そこを過ぎると、次第に曇り空になり、加茂町物見では、雨に遭遇した。
物見トンネルの上に三脚を立てて、撮影するつもりだったが、あきらめて、車の車内から、物見トンネルへ向かう列車を撮影した。
撮影した列車は、678D列車である。キハ120形気動車1両編成の列車だった。
そのあと、美作河井駅へ行き、駅トイレの取材などをした。
そして、そのあと、美作河井~知和にある有名な鉄橋を渡る列車を撮影するために、鉄橋付近へ向かった。
そして、鉄橋より少し南の歩道の上から、鉄橋を渡る列車を撮影した。撮影した列車は、677Dで、それも、キハ120の1両編成だった。
それから、車で美作加茂駅付近へ向かった。その途中、知和駅に寄り、トイレ取材を行った。
その日は、車で美作加茂駅の前までは行かず、美作加茂駅前を通らない新道沿いの駐車場に車を止めて、美作加茂駅を目指して歩くことにした。
車を止めて、はじめに、山と空の写真を撮影した。
山と空の写真を撮影後、カメラを持って、加茂町桑原地区の踏切に向かって歩いた。
その踏切には、近年は貴重になりつつある、汽車のマークの踏切ありの標識が残っていたからである。
標識の写真を撮影後、美作加茂駅を目指して、さらに歩いた。
美作加茂駅でも、トイレ取材を行った。
そのあと、駐車場へ戻るのだが、その際は、踏切を通らず、陸橋を渡っていった。
そして、車に戻ると、美作滝尾駅より少し南にある加茂川の橋梁を渡る列車を撮影するため、清泉小学校付近まで、車を走らせた。
そして、道端の適当な場所で、写真撮影をするために、カメラをセットし、列車を待った。
そこで撮影した列車は、679Dで、それもキハ120の1両編成だった。
その撮影をもって、その日の列車撮影は終了した。
そして、国道53号線などを南下し、帰宅した。
こうして、その日は、因美線の列車などの撮影を楽しんだのである。