今さら10月のことを記事化してすみません。
10月21日の朝は、路線バスで瀬戸駅に向かった。
母親も一緒である。
瀬戸駅からは、8時06分発の1304M・相生行きに乗った。
115系の普通列車である。
わたしたちは、最後尾のクハ115-1234に乗車した。
列車が終点の相生に着くと、播州赤穂発姫路行きの普通列車に乗り換えた。
わたしたちが乗った列車は、8時57分発の942Mである。
その列車は、223系の4両編成だった。
その列車が、途中の網干駅に止まると、下車して、9時29分発の3242M・新快速に乗り換えた。
新快速は、途中の姫路までは、はりま勝原、英賀保の順に、各駅に停車したが、姫路からは、速達列車となった。
姫路から先の停車駅は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻の順だった。
高槻駅に止まると、下車して、いったん改札の外に出て、駅前のショッピングモールの中にあるそば店で、昼食をとった。
そのあと、駅に戻り、京都行きの普通電車に乗った。
その普通電車は、207系の7両編成で、わたしたちは、中間のサハ207-1に乗車した。
普通電車が、向日町駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、JR向日町発善峯寺行きの阪急バスを待った。
そのときは、絶え間なく雨が降っていた。
12時半頃、阪急バスが駅前の狭いロータリーに入ってきた。
バスの行き先は、善峯寺だった。
12時35分頃、善峯寺行きのバスは、出発した。
次は、阪急東向日である。
バスが阪急東向日駅前のバス停に着く少し前、阪急電鉄京都線の踏切を渡った。
そして、右折して、東向日駅前に入った。
そのときは、誘導員が一般車の流れを止めていたので、バスはスムーズに通れた。
それから、阪急東向日である。
なお、その付近の道路は、路線バス以外の大型車両は通行禁止になっている。
阪急電鉄の駅前である阪急東向日からは、運転手以外の乗務員も乗ってきた。
そして、バスは出発した。
しばらくバスは、住宅地などの道路を進んだ。
そのあとは、人家はまばらになり、田畑の広がる箇所を走った。
車内の乗客は少なくなった・
また、狭路を走る箇所も多くなった。
それから、山の中を進んだ。
そして、13時10分頃、終点の善峯寺停留所に着いた。
その日、善峯寺まで乗ったのは、わたしと母親の2人だけだった。
バスから降りたとき、雨が激しく降っていた。
赤い欄干の橋を渡ると、参道である。
しばらく、上り坂が続いた。
その日、その道には、サワガニが多数いた。
踏まないように注意しながら歩いた。
しばらく歩くと、東門である。
それからさらに歩くと、山門を通った。
善峯寺は、西国33箇所第20番札所である。
参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
そのときは、雨降りが激しく、あまり写真撮影ができなかった。
多宝塔のそばにある遊龍の松は、樹齢600年以上で、国指定の天然記念物に指定されている。
そのあと、幸福地蔵や白山社までは歩いた。
しかし、天候が良くなく、薬師堂や阿弥陀堂などへは行っていない。
そのあと、境内から出て、バス停まで歩いた。
ちょうどバスが止まっていたので乗車した。
バスは、善峯寺を出発すると、JR向日町を目指して走った。
バスが、終点のJR向日町に着くと、下車して、大阪までのきっぷを買って、15時11分発の普通電車に乗った。
その電車は、207系の7両編成だった。
電車が大阪に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、土産売り場で買い物をした後、梅田駅へ行き、地下鉄御堂筋線に乗った。
途中の心斎橋駅で御堂筋線を降りて、長堀鶴見緑地線に乗り換えた。
長堀鶴見緑地線の電車が、次の長堀橋駅に止まると、下車して、地上に出て、予約していたホテルに入った。
なお、夕食は、長堀橋駅付近の地下街の飲食店でとった。
そして、10月22日の朝、朝食などを済ませた後、ホテルをチェックアウトした。
それから、地下鉄堺筋線の天下茶屋行きの電車に乗った。
その電車は、大阪市交通局の66系だった。
堺筋線の電車が終点の天下茶屋に着くと、改札を出て、今度は、南海電車のホームに入った。
そして、泉北高速鉄道の和泉中央駅に行く準急行に乗った。
その電車は、泉北高速鉄道の車両で、わたしたちが乗った車両の車番は7507だった。
電車は、中百舌鳥までは南海の路線を走ったが、中百舌鳥から泉北高速鉄道に乗り入れた。
南海高野線内は、踏切が多数あったが、泉北高速鉄道線内は、トンネル以外は、高架の上を走り、踏切は一つもない。
電車が終点の和泉中央駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅構内のコンビニで昼食を買い、コインロッカーに大きな荷物を預けてから、バス乗り場に行った。
雨は激しく降っていた。
しばらく待つと、槙尾中学校前を通るバスが来たので、それに乗った。バスは南海バスである。
30分ほどバスに乗り、槙尾中学校前で降りると、コミュニティバス・オレンジバスの乗り場へ行った。
そのとき、ある親切な方たちが、「どちらまで行かれるのですか」と声をかけてこられた。
槙尾山・施福寺に行くことを言うと、「大雨だし、台風が接近しているから御朱印を受けに行くのは無理ですよ」
とその方たちはおっしゃっていた。
せっかく行ったのに、断念せざるを得なかった。
まあ、台風接近時に行こうとしていたわたしたちが無謀だったのかもしれない。
そこで、あきらめて、和泉中央駅に向かうバスで引き返した。
そのあとは、予定になかった、久保惣記念美術館に行くことにした。
そのため、美術館前行きのバスに乗った。
そのバスは、途中までは、若い人たちで混雑していた。
しかし、美術館前まで乗ったのは、わたしたちだけだった。
バスを降りた後は、美術館に入り、展示されている絵画などを観賞した。
しかし、台風接近のため、途中で臨時閉館することになった。
そこで、慌ただしく美術館をあとにして、バス停に行き、和泉中央へ向かうバスを待った。
和泉中央経由のバスが来ると乗車し、和泉中央駅で降りた。
そのあとは、駅構内のベーカリーカフェで少し休憩し、それから、コインロッカーの荷物をとって、南海新今宮までのきっぷを買って、改札を通った。
ちょうど、区間急行電車が停車していたので、それに乗った。
台風が接近していて、帰りの電車がストップしないうちに帰らなければ、その次の日の出勤ができなくなってしまう。
それを懸念していた。
和泉中央発の区間急行電車が、新今宮に止まると、下車して、JRとの連絡改札を通った。
そして、新今宮から大阪までは、関空快速と紀州路快速との併結列車に乗った。
大阪から姫路までは、新快速に乗った。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車に乗り、途中の相生で、山陽本線経由岡山行きに乗り換えた。
その列車は、115系の3両編成だった。
列車は、相生を出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に停車した。
船坂峠を通る列車は、たいてい船坂峠の上郡と三石との間で車掌が巡回に来るが、その日のその列車では、わたしたちが乗った先頭の車両には、その区間では車掌は回ってこなかった。
だが、珍しいことに、和気と熊山との間で、後ろから順に車内改札を行っていた。
なお、熊山駅が近づくと、途中で車内改札を中断し、万富と瀬戸の間で再開していた。
列車が、瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで帰路についた。
こうして、西国33カ所札所目的の旅行を終えることができた。
第4番札所の施福寺に行けなかったのが大変残念であるが、いつかはリベンジしたいと思う。
10月21日の朝は、路線バスで瀬戸駅に向かった。
母親も一緒である。
瀬戸駅からは、8時06分発の1304M・相生行きに乗った。
115系の普通列車である。
わたしたちは、最後尾のクハ115-1234に乗車した。
列車が終点の相生に着くと、播州赤穂発姫路行きの普通列車に乗り換えた。
わたしたちが乗った列車は、8時57分発の942Mである。
その列車は、223系の4両編成だった。
その列車が、途中の網干駅に止まると、下車して、9時29分発の3242M・新快速に乗り換えた。
新快速は、途中の姫路までは、はりま勝原、英賀保の順に、各駅に停車したが、姫路からは、速達列車となった。
姫路から先の停車駅は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻の順だった。
高槻駅に止まると、下車して、いったん改札の外に出て、駅前のショッピングモールの中にあるそば店で、昼食をとった。
そのあと、駅に戻り、京都行きの普通電車に乗った。
その普通電車は、207系の7両編成で、わたしたちは、中間のサハ207-1に乗車した。
普通電車が、向日町駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、JR向日町発善峯寺行きの阪急バスを待った。
そのときは、絶え間なく雨が降っていた。
12時半頃、阪急バスが駅前の狭いロータリーに入ってきた。
バスの行き先は、善峯寺だった。
12時35分頃、善峯寺行きのバスは、出発した。
次は、阪急東向日である。
バスが阪急東向日駅前のバス停に着く少し前、阪急電鉄京都線の踏切を渡った。
そして、右折して、東向日駅前に入った。
そのときは、誘導員が一般車の流れを止めていたので、バスはスムーズに通れた。
それから、阪急東向日である。
なお、その付近の道路は、路線バス以外の大型車両は通行禁止になっている。
阪急電鉄の駅前である阪急東向日からは、運転手以外の乗務員も乗ってきた。
そして、バスは出発した。
しばらくバスは、住宅地などの道路を進んだ。
そのあとは、人家はまばらになり、田畑の広がる箇所を走った。
車内の乗客は少なくなった・
また、狭路を走る箇所も多くなった。
それから、山の中を進んだ。
そして、13時10分頃、終点の善峯寺停留所に着いた。
その日、善峯寺まで乗ったのは、わたしと母親の2人だけだった。
バスから降りたとき、雨が激しく降っていた。
赤い欄干の橋を渡ると、参道である。
しばらく、上り坂が続いた。
その日、その道には、サワガニが多数いた。
踏まないように注意しながら歩いた。
しばらく歩くと、東門である。
それからさらに歩くと、山門を通った。
善峯寺は、西国33箇所第20番札所である。
参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
そのときは、雨降りが激しく、あまり写真撮影ができなかった。
多宝塔のそばにある遊龍の松は、樹齢600年以上で、国指定の天然記念物に指定されている。
そのあと、幸福地蔵や白山社までは歩いた。
しかし、天候が良くなく、薬師堂や阿弥陀堂などへは行っていない。
そのあと、境内から出て、バス停まで歩いた。
ちょうどバスが止まっていたので乗車した。
バスは、善峯寺を出発すると、JR向日町を目指して走った。
バスが、終点のJR向日町に着くと、下車して、大阪までのきっぷを買って、15時11分発の普通電車に乗った。
その電車は、207系の7両編成だった。
電車が大阪に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、土産売り場で買い物をした後、梅田駅へ行き、地下鉄御堂筋線に乗った。
途中の心斎橋駅で御堂筋線を降りて、長堀鶴見緑地線に乗り換えた。
長堀鶴見緑地線の電車が、次の長堀橋駅に止まると、下車して、地上に出て、予約していたホテルに入った。
なお、夕食は、長堀橋駅付近の地下街の飲食店でとった。
そして、10月22日の朝、朝食などを済ませた後、ホテルをチェックアウトした。
それから、地下鉄堺筋線の天下茶屋行きの電車に乗った。
その電車は、大阪市交通局の66系だった。
堺筋線の電車が終点の天下茶屋に着くと、改札を出て、今度は、南海電車のホームに入った。
そして、泉北高速鉄道の和泉中央駅に行く準急行に乗った。
その電車は、泉北高速鉄道の車両で、わたしたちが乗った車両の車番は7507だった。
電車は、中百舌鳥までは南海の路線を走ったが、中百舌鳥から泉北高速鉄道に乗り入れた。
南海高野線内は、踏切が多数あったが、泉北高速鉄道線内は、トンネル以外は、高架の上を走り、踏切は一つもない。
電車が終点の和泉中央駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅構内のコンビニで昼食を買い、コインロッカーに大きな荷物を預けてから、バス乗り場に行った。
雨は激しく降っていた。
しばらく待つと、槙尾中学校前を通るバスが来たので、それに乗った。バスは南海バスである。
30分ほどバスに乗り、槙尾中学校前で降りると、コミュニティバス・オレンジバスの乗り場へ行った。
そのとき、ある親切な方たちが、「どちらまで行かれるのですか」と声をかけてこられた。
槙尾山・施福寺に行くことを言うと、「大雨だし、台風が接近しているから御朱印を受けに行くのは無理ですよ」
とその方たちはおっしゃっていた。
せっかく行ったのに、断念せざるを得なかった。
まあ、台風接近時に行こうとしていたわたしたちが無謀だったのかもしれない。
そこで、あきらめて、和泉中央駅に向かうバスで引き返した。
そのあとは、予定になかった、久保惣記念美術館に行くことにした。
そのため、美術館前行きのバスに乗った。
そのバスは、途中までは、若い人たちで混雑していた。
しかし、美術館前まで乗ったのは、わたしたちだけだった。
バスを降りた後は、美術館に入り、展示されている絵画などを観賞した。
しかし、台風接近のため、途中で臨時閉館することになった。
そこで、慌ただしく美術館をあとにして、バス停に行き、和泉中央へ向かうバスを待った。
和泉中央経由のバスが来ると乗車し、和泉中央駅で降りた。
そのあとは、駅構内のベーカリーカフェで少し休憩し、それから、コインロッカーの荷物をとって、南海新今宮までのきっぷを買って、改札を通った。
ちょうど、区間急行電車が停車していたので、それに乗った。
台風が接近していて、帰りの電車がストップしないうちに帰らなければ、その次の日の出勤ができなくなってしまう。
それを懸念していた。
和泉中央発の区間急行電車が、新今宮に止まると、下車して、JRとの連絡改札を通った。
そして、新今宮から大阪までは、関空快速と紀州路快速との併結列車に乗った。
大阪から姫路までは、新快速に乗った。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車に乗り、途中の相生で、山陽本線経由岡山行きに乗り換えた。
その列車は、115系の3両編成だった。
列車は、相生を出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に停車した。
船坂峠を通る列車は、たいてい船坂峠の上郡と三石との間で車掌が巡回に来るが、その日のその列車では、わたしたちが乗った先頭の車両には、その区間では車掌は回ってこなかった。
だが、珍しいことに、和気と熊山との間で、後ろから順に車内改札を行っていた。
なお、熊山駅が近づくと、途中で車内改札を中断し、万富と瀬戸の間で再開していた。
列車が、瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで帰路についた。
こうして、西国33カ所札所目的の旅行を終えることができた。
第4番札所の施福寺に行けなかったのが大変残念であるが、いつかはリベンジしたいと思う。