昨日7日は、両親と一緒に、マイカーで熊山駅に向かった。
そして、車を無料駐車場に止めると、駅へ向かって歩いた。
それから、18きっぷに3人分の改札印を押してもらって、ホームに入った。
熊山駅からは、8時32分発の1307Mに乗車した。列車は、115系の4両編成で、その日は、A13編成が充当されていた。
車内は、ボックスシートとロングシートが設置されたセミクロスシートである。
相席であったが、座ることができた。
列車は、途中、万富、瀬戸の順に、各駅に停車した。
停車駅ごとに車内は混雑していった。
なお、その日、その列車の担当車掌は女性だった。
岡山駅に着くと、瀬戸大橋線ホームへ行き、快速『マリンライナー17号』に乗り換えた。
列車は、5000系と223系5000番台を併結した5両編成だった。
わたしたちは、早めに並んでいたので、座ることができたが、発車時には、立ち客が多数いた。
列車は、途中、妹尾、茶屋町、児島、坂出の順に停車し、終点の高松には、10時25分に到着した。
なお、児島からは、JR四国の女性の客室乗務員が車掌の代わりに乗務していた。
高松駅に着くと、琴電の高松築港駅へ行き、琴平線の一宮行きの電車に乗った。電車は、元京王の車両で2両編成だった。
高松築港を出た電車は、途中、片原町に停車し、その次に、瓦町駅に停車した。
瓦町駅に着くと、琴平線の電車を降りて、志度線ホームへ向かった。
そして、志度線志度行きの電車に乗り換えた。
志度線の電車が、八栗駅に止まると、わたしたちは、電車を降りて、八栗寺を目指して、歩いた。
上り坂が続く道を歩いていった。
その途中には、石材加工所や石材店が多い。
八栗寺のある高松市牟礼町(旧木田郡牟礼町)は、石材の町として知られている。
敷地に墓石や石灯籠などを置いているところが多数あった。
ところで、八栗寺目指して、坂道を上っていく途中、左手に、有名なうどん屋があった。
そのうどん屋で、昼食をとった。
その店は、元庄屋で、建物も長い歴史を感じさせた。また、庭園もすばらしかった。
うどん屋をあとにすると、八栗寺目指して、さらに歩いた。
その途中に、ケーブルカーの駅があるが、わたしたちは、それには乗らずに、歩いて、寺へ向かった。
ケーブルの駅の横の鳥居をくぐりぬけて、しばらく歩くと、自動車は通行禁止の道にはいった。
そのあたりは、坂道がかなり急だった。
それでも、きちんと舗装されていて、普通自動車でも通れそうだった。自動車は、標識で通行禁止にされているが、緊急自動車などが通ることがあるのだろうか。
しばらく歩くと、駐車している自動車が2台あった。
そして、その付近で、車が通れそうな道は終わり、石段となった。
石段を登ると、眺望がすばらしい場所に着いた。
その付近には、お迎え大師像という石像の姿があった。
その付近の標高は、219.10メートルだという。
わたしたちは、さらに歩いて、本堂などを目指した。
山門の手前にも鳥居があった。
山門を通り抜けると、本堂の前に到着した。
その本堂も、神社を思わせる造りで、神仏習合の色彩の濃い寺院である。
境内を歩き、各お堂をお参りしたあと、八栗寺をあとにした。
平日のせいか、参拝客の姿もまばらだった。
八栗寺をあとにすると、歩いてきた道を下っていった。
急な下り坂を歩いていった。
あとは、駅まで歩くのだが、その途中、石の民族資料館に入った。
その資料館は、様々な岩石や、昔の石工職人が使っていた道具などを展示していた。
石の民族資料館をあとにすると、八栗駅に向かって、坂道を下った。
八栗駅に着くと、琴電の瓦町行きの電車に乗った。
そして、瓦町駅からは、高松築港行きに乗り換えた。
高松築港駅で琴電を降りると、JRの高松駅へ向かった。
JR高松駅の飲食店で、その日2度めのうどんを食べて、それから、改札の中に入った。
高松からは、16時40分発の『マリンライナー48号』に乗車した。
その列車も、児島までは、車掌の代わりに女性の客室乗務員が乗務していた。
車内は、立ち客がいたが、坂出で、ある程度の下車客がいた。
坂出を出ると、瀬戸大橋を渡り、岡山県に戻った。
そして、児島駅に停車した。
児島では、乗務員交代があった。
児島を出ると、途中、茶屋町と早島に止まり、そのあと、終点の岡山駅に着いた。
岡山からは、1330M姫路行きに乗車した。
列車は、115系の4両編成で、その日は、A13編成が充当されていた。
その日は、2度、A13編成に乗ったのである。
帰宅ラッシュと18きっぷシーズンが重なったせいか、車内は混雑していた。
列車は、各駅に停車した。
熊山駅に着くと、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、18きっぷ消化目的のワンデーハイクを楽しむことができた。