今日も、仕事が公休だった。
そこで、マイカーで県北の津山などへ出かけた。
まず、はじめに向かったのは、津山市にある津山まなびの鉄道館である。
9時に着くのが理想だったが、出発が遅れたので、現地には9時15分頃、到着した。
駐車場はほとんど埋まっていたが、警備員の方が、駐車してもよい場所へ誘導してくださった。
車から降りると、津山まなびの鉄道館に入館した。
本日は、DD13形ディーゼル機関車が転車台の上にのっていた。
転車台のDD13を撮影後、扇形庫で展示されている車両を眺めながら、撮影した。
かつて特急「やくも」で使われていたキハ181形とローカル線の2エンジン車、キハ52形が隣り合って、展示されていた。
なお、普段は庫内に展示されている、キハ58形、キハ28形、キハ33形は、留置線に移動して、展示されていた。
続いて、D51形蒸気機関車を眺めながら、撮影した。
D51形は、国内の蒸気機関車の同一形式では最も多くの車両が製造された。
主に、幹線で貨物列車などの牽引に使用された。
津山まなびの鉄道館では、唯一の蒸気機関車で、その機関車の前で記念撮影されていた方も多かった。
続いて、国鉄型電気式ディーゼル機関車のDF50形を撮影した。
それも、幹線を中心に活躍したが、DD51形などが誕生後は、次第に活躍範囲が狭められた。
続いて、DD15形ディーゼル機関車を撮影した。
除雪用の機関車である。
機関車本体は、DD13形ディーゼル機関車と似たカタチをしている。
その隣には、DD51形ディーゼル機関車が展示されている。
幹線用の液体式ディーゼル機関車で、かつては、山陰本線で、ブルートレインの「出雲」などをけん引していた。
全盛期には、四国を除く各地で使用されていた形式の機関車で、旅客列車や貨物列車の牽引に活躍した。
その隣には、入れ替え専用の貨車移動機が展示されている。
さらに進むと、DE50形ディーゼル機関車とDD16形ディーゼル機関車が隣り合って、展示されている。
DE50形は、国鉄時代に1両しか製造されなかった機関車で、伯備線で使用されたことがあるが、比較的早く、休車となり、国鉄民営化前に廃車となった。
DD16形は、簡易線用に作られた小型の液体式ディーゼル機関車で、一部のローカル線などで貨物列車などのけん引に使用されていたほか、300番台に区分される車両は、除雪用にも使用された。
そのあとも、車両などを眺めながら、撮影をした。
そして、売店で買い物をしたあと、まなびの鉄道館をあとにした。
そのあとは、津山駅に向かった。
駅前付近の有料駐車場に車を止めると、駅に行った。
駅前には、箕作阮甫の銅像があり、そのそばにC11形蒸気機関車が展示されている。
撮影後、駅舎に入り、入場券を買って、改札内に入った。
そして、かつての地下通路だったところに展示されているものを観た。
しばらく進むと、行き止まりになっていて、そこには、SAKU美SAKU楽の張りぼてが展示されていた。
レールもきちんと敷かれている。
そのあとは、駅舎の改札内に設置されたトイレを取材した。
そして、少し経ってから、改札から出て、駅舎の外に出た。
駅前に出ると、再度、C11形蒸気機関車を撮影した。
そのあと、駐車場に止めた車に戻り、駐車料金の精算をしたあと、道の駅久米の里に向かった。
その途中に、100円ショップがあったので、買い物をした。
道の駅久米の里に着くと、飲食店で早めの昼食をとった。
その時は、まだ11時台だったが、かなり人が多かった。
幸い空席はあった。
本日は、ホルモンうどんを食した。
そのあと、ガンダムのモビルスーツを眺めて撮影した。
本日は、祝日のため、人が多く、わたし以外にも撮影していた方がいた。
そのあと、わたしは、野菜などの買い物をして、道の駅久米の里をあとにした。
そして、国道181号線を西へ向かって走り、美作千代駅に行った。
古い木造駅舎が残る駅で、現在は、もちろん、無人駅である。
わたしは、トイレ取材が目的で訪れた。
そのあと、坪井駅にも行き、トイレが既になくなっているのを確認した。
坪井駅をあとにすると、県道や国道53号線などを走り、美咲町の亀甲駅に向かった。
そして、亀甲駅に着くと、トイレの取材を行った。
そのあとも、国道53号線を南下し、小原駅にも行った。
小原駅は、トイレが既になくなっていた。
そして、そのあとも、国道53号線をしばらく南下して、途中、道の駅くめなんで休憩した。
休憩後、車に戻ると、帰路に就いた。