今さら、5月のことを記事化して、すみません。
5月9日の朝は、路線バスで岡山駅へ向かった。
岡山駅に着くと、ICOCA代用のPITAPAにチャージして、改札を通った。
そして、9時32分発の快速「マリンライナー17号」に乗車した。
その列車は、JR四国の5000系電車とJR西日本の223系5000番台とを連結した5両編成だった。
わたしは、3号車に乗車した。
普通車自由席の車両である。
その日の車番は5001だった。
JR四国の車両である。
岡山出発の時点では、車内が混雑していた。
快速「マリンライナー17号」は、岡山駅から発車すると、妹尾、茶屋町、児島の順に停車した。
児島駅では、乗務員の交代があり、JR四国の乗務員に代わった。
なお、その日、児島から高松までは、女性の車掌が乗務していた。
児島駅を発車すると、鷲羽山のトンネルを通り抜けて、瀬戸大橋を渡った。
そのあと、坂出駅に停車した。
坂出からは、車内はそれほど混雑しなくなった。
そして、10時26分、終点の高松駅に到着した。
高松駅に着くと、改札の外に出た。
そして、サンポートのビルにあるカフェでコーヒーを飲んで休憩後、高松駅前を発着する路線バスの撮影をした。
路線バスの撮影後は、サンポートのビルにあるうどん店へ行き、早い昼食をとった。
そのあとは、女木・男木航路のめおん2など、フェリーの撮影をした。
めおん2の撮影の前後は、小雨が降っていた。
フェリーの撮影などを楽しんだあとは、宇高航路の乗り場へ行った。
その航路は、残念ながら、今月の16日から、運航休止になっている。
そのときは、まだ1日5往復の運航があり、第一しょうどしま丸が活躍していた。
わたしは、その航路のフェリーに乗るのが目的で、高松に行ったのである。
12時50分頃、第一しょうどしま丸が高松港に入港してきた。
乗船客や自動車が次々と降りてきて、それから、宇野行きの乗船開始になった。
出港は、13時05分である。
乗船後は、客室前方のリクライニングシートを確保し、それから、船の細部の写真の撮影を開始した。
ただし、車両甲板へは下船時まで降りることができないので、それ以外の場所(もちろん、旅客が立ち入り可能な場所に限る)の撮影をした。
13時05分頃、宇野行きの第一しょうどしま丸は、高松港を離れていった。
また、写真撮影だけではなく、船内の売店でホットコーヒーを買い、座席でくつろいだりした。
14時が近づくと、宇野港の姿がくっきりと見えてきた。
また、宇野に近づくにつれて、空が青くなっていった。
14時過ぎになると、下船の準備をして、車両甲板へ降りた。
到着時刻は、14時10分である。
宇野港に到着すると、下船した。
そして、船の外観の写真を撮影後、宇野駅前のバス乗り場へ向かって歩いた。
宇野駅前からは、岡山駅行きの渋川特急バスに乗った。
両備バスが運行しているバスである。
わたしが乗ったバスは、宇野駅を14時20分頃、出発する便で、その日の車両のナンバーは、岡山200か・827だった。
バスは、宇野駅を出発すると、宇野港、築港銀座、両備玉野営業所の順に停車した。
両備玉野営業所では、運転手の交代があった。
そのあとバスは、宇野線の踏切を渡り、信号機のある三差路を左折して、しばらく県道を走った。
岡山市に入り、岡山市南区郡地区のある三差路で左折し、少し経つと、児島湾締め切り堤防を走った。
その道は、大型自動車は通行禁止だが、路線バスは通行可能である。
締め切り堤防を通過後は、築港地区に入り、築港新町のバス停に停車した。
そのあとは、天満屋バスステーションまでノンストップだった。
バスが天満屋バスステーションに止まると、下車して、それから、別の路線バスで帰路についた。
こうして、宇高航路乗船目的の外出を終えることができた。
記事化した現在は、その航路は運航休止になってしまった。
利用客の減少などでやむを得なかったのかもしれないが、残念でならないと感じた。
5月9日の朝は、路線バスで岡山駅へ向かった。
岡山駅に着くと、ICOCA代用のPITAPAにチャージして、改札を通った。
そして、9時32分発の快速「マリンライナー17号」に乗車した。
その列車は、JR四国の5000系電車とJR西日本の223系5000番台とを連結した5両編成だった。
わたしは、3号車に乗車した。
普通車自由席の車両である。
その日の車番は5001だった。
JR四国の車両である。
岡山出発の時点では、車内が混雑していた。
快速「マリンライナー17号」は、岡山駅から発車すると、妹尾、茶屋町、児島の順に停車した。
児島駅では、乗務員の交代があり、JR四国の乗務員に代わった。
なお、その日、児島から高松までは、女性の車掌が乗務していた。
児島駅を発車すると、鷲羽山のトンネルを通り抜けて、瀬戸大橋を渡った。
そのあと、坂出駅に停車した。
坂出からは、車内はそれほど混雑しなくなった。
そして、10時26分、終点の高松駅に到着した。
高松駅に着くと、改札の外に出た。
そして、サンポートのビルにあるカフェでコーヒーを飲んで休憩後、高松駅前を発着する路線バスの撮影をした。
路線バスの撮影後は、サンポートのビルにあるうどん店へ行き、早い昼食をとった。
そのあとは、女木・男木航路のめおん2など、フェリーの撮影をした。
めおん2の撮影の前後は、小雨が降っていた。
フェリーの撮影などを楽しんだあとは、宇高航路の乗り場へ行った。
その航路は、残念ながら、今月の16日から、運航休止になっている。
そのときは、まだ1日5往復の運航があり、第一しょうどしま丸が活躍していた。
わたしは、その航路のフェリーに乗るのが目的で、高松に行ったのである。
12時50分頃、第一しょうどしま丸が高松港に入港してきた。
乗船客や自動車が次々と降りてきて、それから、宇野行きの乗船開始になった。
出港は、13時05分である。
乗船後は、客室前方のリクライニングシートを確保し、それから、船の細部の写真の撮影を開始した。
ただし、車両甲板へは下船時まで降りることができないので、それ以外の場所(もちろん、旅客が立ち入り可能な場所に限る)の撮影をした。
13時05分頃、宇野行きの第一しょうどしま丸は、高松港を離れていった。
また、写真撮影だけではなく、船内の売店でホットコーヒーを買い、座席でくつろいだりした。
14時が近づくと、宇野港の姿がくっきりと見えてきた。
また、宇野に近づくにつれて、空が青くなっていった。
14時過ぎになると、下船の準備をして、車両甲板へ降りた。
到着時刻は、14時10分である。
宇野港に到着すると、下船した。
そして、船の外観の写真を撮影後、宇野駅前のバス乗り場へ向かって歩いた。
宇野駅前からは、岡山駅行きの渋川特急バスに乗った。
両備バスが運行しているバスである。
わたしが乗ったバスは、宇野駅を14時20分頃、出発する便で、その日の車両のナンバーは、岡山200か・827だった。
バスは、宇野駅を出発すると、宇野港、築港銀座、両備玉野営業所の順に停車した。
両備玉野営業所では、運転手の交代があった。
そのあとバスは、宇野線の踏切を渡り、信号機のある三差路を左折して、しばらく県道を走った。
岡山市に入り、岡山市南区郡地区のある三差路で左折し、少し経つと、児島湾締め切り堤防を走った。
その道は、大型自動車は通行禁止だが、路線バスは通行可能である。
締め切り堤防を通過後は、築港地区に入り、築港新町のバス停に停車した。
そのあとは、天満屋バスステーションまでノンストップだった。
バスが天満屋バスステーションに止まると、下車して、それから、別の路線バスで帰路についた。
こうして、宇高航路乗船目的の外出を終えることができた。
記事化した現在は、その航路は運航休止になってしまった。
利用客の減少などでやむを得なかったのかもしれないが、残念でならないと感じた。
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