kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

愛と命の介護短歌

2010年08月31日 | 日記
         

    戦地から 生きて帰った 僥倖を 妻の介護に 使い果たさん

    妻乗せて 押す車椅子 片寄るを こらえて支ふ 我が足萎えて

    母は肩 私は腰に 湿布貼る 互いに貼り合う 老々介護

                   NHK 介護百人一首より
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病葉を今日も浮かべて…

2010年08月30日 | 日記
          
…病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる…
 ひとむかし前に流行した、『川は流れる』。
 病葉とは、夏のうちに病気に罹り末枯れた葉。
 中曽根美樹の、けだるい歌唱が人の世の無常を感じさせ、何とも言えぬ
 虚脱感に襲われる歌だった。
『歌は世に連れ 世は歌に連れ…』とか言うけれど、そんな時代だったのでしょう。
                           
…花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身 世に経る ながめせしまに…
 小野小町のこの和歌も、嘆息まじりに詠んだ人生の虚しさ溢れる一首。
                         
 昨年の今日、第45回衆議院総選挙で民主党が308議席を獲得し、鳩山政権が誕生。
 あれから…もう orまだ 、あの時の高揚感は今いずこ   所在不明
 まぁ「反自民」「非自民」で寄り集まった集団でしょうから、今の騒ぎも想定内か。
        
     …祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…ってね。
 偉大な先人たちの境地に達するには、まだまだ修業が足りないkimitsukuです。
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タリス・スコラーズ…天上の歌声

2010年08月29日 | 日記
           
 タリス・スコラーズは、1973年イギリスで結成された声楽アンサンブル。
ルネサンス期の聖歌をアカペラで歌い、世界最高峰と評されている。
私も最近、知人に教えられ聴いたところ、忽ち虜になってしまった。
男女12名程の混声合唱で歌うミサ曲などは、『天上の歌声』そのもの
CDで聴いても素晴らしいが、大聖堂で聴けたら…無宗教の私も迷わず
俄かクリスチャンに
この世の穢れを吹き払い、邪悪な心を消し去り、何時までもこの透明な歌声に
包まれていたい…、そんな心境にさせてくれるタリス・スコラーズ。
       
 特に、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂のために作曲された『ミゼレーレ』。
この曲には深い感銘を覚える。この歌声に送って貰えたら天国に到達できるかも…。
有難いことに彼らの歌声は、YouTubeでも聴くことが出来る。
ヴァチカンで収録した画面もあり、ミケランジェロの筆による『天地創造』付き
興味がある方は一度お聴きになって下さいね。絶対お勧めで~す。
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目下の楽しみ…

2010年08月28日 | 日記
          
  例年なら初秋の兆しが見えても良い時期だが、相変わらずの猛暑に加えて、
政界の動きや所在不明の高齢者、昨夜の日ハム拙攻などで不快指数が急上昇
こんな時には一服の精神安定剤…といっても、私の場合は薬に頼りません。
好きな趣味に没頭する…、これに限ります。
 目下の楽しみ=ストレス解消法は、撮り溜めたFIFA試合映像を見ること。
今大会中は贔屓のスペイン優勝に歓喜したが、MVP&得点王に輝いたウルグアイの
ディエゴ・フォルランには注目していなかった。改めて録画を見てみたら何と見事な…
       
 ディエゴ・フォルラン、31歳、現在はスペインのアトレティコ・マドリードFWで活躍中。
正確なボレーシュートが持ち味で、W杯でもガーナ戦やオランダ戦で見事に決めた。
惜しむらくは3位決定戦、3:2でリードされていたドイツ戦でフリーキックに失敗したこと、
もしあれが成功していたら…、試合終了後のコメントが謙虚で良かったネェ。
「ウルグアイにとって40年振りの4強は夢のよう、W杯で7試合も出来たなんて幸せです」
試合中の獲物を狙うコンドルのような瞳が、穏やかに微笑んでいた。
ウルグアイ監督も「我々のように努力すれば何かが起きる。国民も喜んでくれるでしょう」
爽やかなスポーツマンシップに、しばしイライラ感が解消され元気を取り戻す。 
もう1ヶ月以上も過ぎたのに、未だFIFA南アフリカ大会の余韻に耽っているkimitsukuです。
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パウルくん 出番ですよぉ…

2010年08月27日 | 日記
       
  この写真は、いったい何時のことだったでしょう。
心のうちはいざ知らず、皆さんにこやかに微笑んで…。
どうやら、民主党の代表=総理大臣を選ぶ選挙が始まるらしい。
 昨年9月、16年ぶりの非自民党政権として鳩山内閣がスタート、
70%の支持率で国民の期待を集めたが、首相自身と小沢幹事長の
金銭問題で躓き、8ヵ月後には揃って辞任した。
その二人が再びタッグを組み、9月の代表戦に出馬するって…。
「やっぱり」と「びっくり」が入り混じり、「いい加減にしろ~」。
問題山積の国情を他所に権力争いの図には、呆れ果てるしか無い。
昔々、イタリアが短期政権しか続かず世界の笑いものになっていたが
自国の話になると、笑っている場合じゃ無いですよね。
世界各国から軽視され牛耳られ見放され、国民の政治離れが益々加速、 
一部の権力志向政治屋が甘い汁を吸う…何処かの国に似通ってゆく。
基本的には楽天家の私も、些かマイナス志向が働く。
                  
                  
 菅総理:小沢前幹事長、政界を渡り歩いた実力策略家:市民活動出身者、
老獪:清新、様々な見方があると思う。多分、どちらにも長所短所があるし
国民の目には触れない部分も多いだろう。日本の行く末を託せるのは…
 え~い面倒だ、此処は例のパウルくんに占って貰うってのは如何でしょう。
何の利害関係も無く遠く離れたパウルなら、巷の噂に惑わされず正しい判断を
してくれるかも…です。

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姿なき高齢者たち

2010年08月26日 | 日記
      
 調査するに従って全国に、『姿なき高齢者』が増えている。
大阪では152歳の男性が、生存していることになっているとか。
120歳以上の5125人が、戸籍上では生存している状態らしい。
北海道・帯広市でも128歳の女性が生きている…ことになっている。
行政の怠慢とばかりは言えないだろうが、何とも驚いてしまう。
死を隠し年金詐取で訴えられる家族が出たとは、全く言語道断な話。
 それとは別に、大都会では行き倒れで死亡する場合も多いらしい。
そんな時は身元不明で処理せざるを得ないだろうが、年間数千人など
聞くと、一体まぁどんな人生を送ってきた人なのかと溜息が出る。
                               
 私が勤務していた福祉施設にも、様々な高齢者が居られた。
全く家族と音信不通の人、絶縁状態の人、自分から避けていた人など、
複雑な事情を抱えた入居者が多かった。
家族の迷惑を思い、死後は献体すると決めている人も少なくなかった。
入居者が亡くなった場合、普段は音信不通でも所在が分かる時には
連絡を取って故人の慰留金品などを知らせ、葬儀の相談をする。
遠い親族が見えることもあるし、関わりたくないと拒否される場合もある。
多くの例を見て来て思うことは、『人間は生きてきたように死んでゆく』。
堪らないが、それが真実かと嘆息まじりでそう思う。
                                      
 私の友人に一人心配な男性が居る。大企業に勤めていたが突然行方不明、
何があったか知らないが、学業優秀・眉目秀麗な学生だった…。
クラスメートの数人は事情を知っているようだが、口を噤んで教えてくれない。
彼の名誉に関わることだろうと察し、無理に知りたいとは思わないが気掛かり。
世間にも家族にも顔向け出来ず姿を消した人たちは、何処で生きていくのか。
只でさえ生き難い現代社会に、道を踏み外した多くの人たちが生死・所在不明と
なってゆくのかと、Eくんの姿がオーバーラップして切ない。
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即席ラーメンの日

2010年08月25日 | 日記
          
 8月25日が『即席ラーメンの日』と、ご存知でしたか。
1958年に、日清食品が世界初の即席麺『チキンラーメン』を
発売した記念日だそう。
思い起こせば、私が初めて即席ラーメンなる物を知ったのは
今は存在しない映画会社大映の青春映画…あぁ懐かしや~、
川口浩が、ひとり侘しく作って食べていたシーン。
何やら固いものを小鍋に空けて、湯を注して煮立てていたっけ。
田舎の町では、まだ見かけない食物だったので印象に残った。
あの頃は、川口浩も野添ひとみも、そして私も若かったなぁ。
        
 現在は様々な研究により、無重量空間でも食べられる即席麺
『スペース・ラム』が宇宙ステーションで提供されているそうです
      
 介護認定調査の項目に、自分で即席麺を作ることが出来るかと
いう設問があり、炊飯や調理は無理でも即席麺なら…の設定。
殆どの場合、即席麺を食べる習慣が無いと答えているようだが
これからの高齢者の答は、違ってくるでしょうね。
 なお、今までの高齢者の施設入居に際して持ち込み希望品を
尋ねたところ仏壇や位牌が多かったが、最近はパソコンという
要望が多くなったと聞いた。時代ですねぇ…。
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『木洩れ日の家』にて

2010年08月24日 | 日記
       
 お盆を過ぎると秋色が深まる北海道、朝夕はめっきり涼しくなりました。
猛暑・残暑の今年の夏もそろそろ終盤、これからは実りの季節を迎えます。
今日は『木洩れ日の家』にて、ボランティア。高齢者介護の実習に来ている
学生や社会人が、1時間の昼休みを過ごしにやって来ます。
 その中に、かつて私が教えたヘルパー講習会の修了者ふたりが居ました。
現在ひとりは介護職に就いており、もうひとりは就活中だそうで、久し振りに
『先生…kimitsukuのこと』の話を聞きたいと、揃ってやって来たらしい。
 就業中のひとりは職場の人間関係や職務内容に悩んでおり、もうひとりは
介護職に就きたいが、条件が合う就職口が無いと言う。
「先生、生きるって大変ねぇ」。そうそう大変よねぇ 
「でも子供のためにも頑張らないとね」。母は強し、頑張って
ふたりとも悩みながらも現状は認識しており、方向性も分かっているよう。
特に私にアドバイスを求めている訳でも無いと知り、経験談など交えつつ
仕事を通して成長する楽しみや喜び、高齢者から多くを学ぶことが出来た
介護体験、自分自身の生き方を見つめ直す機会になったこと等々を話した。
ふたりは少し気が楽になったか、「また来ていいですか?」と、帰っていった。
実家の母に、愚痴を聞いて貰ったってところ 
kimitsuku先生としては乗りかかった船、私の顔を見て癒されるのなら何時でも
いらっしゃい。次第によっては、実家の母にも人生相談承り人にもなりましょうよ。
重ねた年齢と経験が無駄にならぬよう、私も人生の実りの時を心掛けたい。

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クロアチア・リエカの思い出

2010年08月23日 | 日記
           
 クロアチア旅行から2ヵ月が過ぎて、既に記憶もアヤフヤになりつつあるが、
未だに何となく気に掛かる一人の青年がいる。
 旅の5日目、イストラ半島の街リエカで見かけた20代後半くらいの青年だった。
普段は朝寝坊の私だが、旅に出ると早起きしホテル周辺を散策するのが楽しみ。
その朝も一人で早々と散策に出掛けた。リエカ・ボナヴィアホテルは街の中心地、
繁華街にも港にも近い最高の立地条件だった。首都ザグレブ、国際港湾都市の
スプリットに次ぐ大きな街で、造船業や交易、観光が主な産業とのことだった。
         
 まだシャッターが開いていない街通りのショーウインドーを覗いたり、コンビニを
ウォッチング。人の姿も疎らな通りを写していると、小路から一人の青年が出てきた。
出勤途中でも無さそうだし、観光客の街歩きでも無さそう。
 小さなショルダーバッグを肩に白いビニール袋を提げて、所在なさげに歩いている。
すれ違いざま、私を見て何か用ありげな顔で近寄ってきたのでドッキリ
私、道を尋ねられたって分かんないよぉ…違う人に尋ねてよ。
その青年は、私の後ろから歩いて来た中年男性に声を掛けた。
難を逃れた私が何気なく見ていると、出勤途中らしい中年男性は一瞬顔をしかめて
通り過ぎたが、考え直したふうに足を止めポケットから何かを出して青年に与えた。
幾許かの小銭だったのだろう。青年は表情も変えずそれを受け取り、また歩き出した。
 ただそれだけの光景だが、浮かれた気持ちで観光地の朝を楽しんでいた私は厳しい
現実に少したじろいてしまった。
以前にイタリアやモロッコでも見掛けたことはあったが、人々に喜捨を求めていたのは
ジプシー母子だったり老女だったので、若い青年の姿は意外だった。
 旅の途中で旅費が尽きたのかも知れない。失業中のクロアチア青年かも知れない。
たまたまカメラに写っていたあの若者は、今頃どうしているのだろうか…。
時折り頭をよぎるリエカの、ちょっと切ない思い出の一コマです。
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向田邦子忌

2010年08月22日 | 日記
      
    『花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る』
   
 1981年、台湾航空機事故により亡くなった向田邦子の墓銘碑文。
突然の逝去を悼んで、親交が深かった森繁久弥が選んだ言葉だそう。
膨大なテレビドラマ脚本・エッセイ・小説を残し、51歳で逝ってしまった。
TVホームドラマ全盛時代、毎週のように家族で楽しんだ数多くのドラマ、
『七人の孫』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などなど。
大家族がワイワイガヤガヤと食卓を囲む賑やかなシーンが、今も記憶にある。
あの頃は「個食」だの「孤食」なんて言葉、聞かなかったわねぇ…。
若き日の森繁はじめ、森光子・郷ひろみ・樹木希林・いしだあゆみ・浅田美代子
そうそうたるメンバーが出演していた。
 『阿修羅の如く』『あ・うん』『父の詫び状』『思い出トランプ』など、心に染み入る
日本人像をシリアスに描き、確かな人間観察眼に驚いたものだった。
現在も新春や終戦の時期に再放送されることがあり、しみじみと向田邦子の世界に
浸っている。
 今日は29回目の命日、惜しんでも惜しみ尽くせぬ才能の持ち主であった。 
もっともっと、あの冷静で辛辣な筆になる読み物を味わいたかったと思う。

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