kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

祈り

2011年03月31日 | 日記
      

              千の風になって

       
          私のお墓の前で 泣かないでください
          そこに私はいません 眠ってなんかいません
          千の風に 千の風になって 
          あの大きな空を 吹きわたっています

          秋には光になって 畑にふりそそぐ
          冬はダイヤのように きらめく雪になる
          朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
          夜は星になって あなたを見守る

          私のお墓の前で 泣かないでください
          そこに私はいません 死んでなんかいません
          千の風に 千の風になって 
          あの大きな空を 吹きわたっています

          千の風に 千の風になって 
          あの大きな空を 吹きわたっています

  2011年3月が今日で終わろうとしている。
 11,532人の尊い生命を奪い、なお16,000人以上の方が行方不明という
 大惨事が起きた3月11日を、決して忘れはしない。地震、津波だけでなく
 福島原発事故、その追い討ちをかける風評被害にまで襲われた被災地の
 人々の哀しみ、苦しみは筆舌に尽くしがたい。
  しかし人間には、どんな困難にも打ち勝つ生命力がある。多くの人々の
 支援・サポートもある。無縁社会と思っていた現代にも、連帯・思いやり・
 共感・善意は健在であった。今の世の中、そう捨てたものじゃ無いかも…。
  明日から4月、被災地にも希望の春が訪れるよう祈るばかりです。
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佐藤忠良氏の訃報に接して

2011年03月30日 | 日記
           
 彫刻家の佐藤忠良氏が、98年の生涯を終えられた。幼少期に父と死別し
母の故郷であった北海道で20歳まで過ごされた縁があり、道内に幾つかの
作品が残っている。そのひとつが1972年に開催された札幌冬季オリンピック
記念に製作された、『雪娘』と名付けられたブロンズ像
少年と見間違うスリムな体型の女性像で、遥か彼方へ眼をやり両手を高く
伸ばした若々しい彫像は、オリンピックを迎える喜びに満ちているよう。
 あのオリンピックを契機に札幌は近代化を進め、国際都市の仲間入りを
果たした。地下街が出来、地下鉄が走り、真駒内地区が発展し、冬季の
スポーツが盛んになり、何ともハイカラな街に変貌した。
オリンピック期間中は穏やかな晴天の日が続き、外国取材陣が「日本人は
天候もコントロール出来るのか」と、驚いていたと話題になった。
日本選手の活躍では、日の丸飛行隊と賞賛された70mジャンプ競技…笠井
幸生・金野昭二・青地清二のメダル独占が、今も脳裏に鮮やか。
 札幌が世界中から注目されたあの日から既に40年近い。所用で真駒内へ
行った時、『雪娘』像が建つ五輪橋を通ることがある。いつもは何気なく通り
過ぎていたが、佐藤忠良氏の訃報に接し今度あの橋を通る時は、車を止め
じっくり鑑賞してみたいと思う。
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JFCチャリティーマッチ

2011年03月29日 | 日記
        
 今夜、大阪長居スタジアムで行なわれた、『東北地方太平洋沖地震復興
支援チャリティーマッチ』は、11日に起きた大震災、その後に続く原発事故
などで傷ついた人々を励まそうと、日本サッカー界が開催した慈善試合。
1月のアジア大会で優勝したザックジャパン対Jリーグ選抜という、豪華な
顔ぶれが揃い、期待に違わぬ試合展開を魅せてくれた。
 日本サッカー界を此処まで牽引してきた、カズこと三浦和良や小野伸二、
中村俊輔、川口能活、それに中沢祐二、闘莉王などで固めたリーグ選抜。
対して現在FIFA17位のザックジャパンは、W杯2014ブラジル大会を視野に
入れた若手の選手たち。結果は2:1でザックジャパンが勝利したが、今回の
試合だけは勝敗では無く、選手はじめスタッフ、サポーターなど関係者たちの
心意気・サッカー魂こそが尊いものだった。初めからシナリオがあったの
思わせるような試合運びで、2点を追っていた選抜チームが注文通りのカズ
ゴ~ル、あの愉快なカズダンスまで飛び出した。
 いやいや良かった良かった。選手たちの力いっぱい懸命なプレーは、きっと
被災地の皆さんにも届いたことだろう。
…元気を出して・希望を持って・前を向いて、みんなで頑張っていきましょう…。
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今年は吉右衛門の 『河内山』

2011年03月28日 | 日記
          
 札幌に居ながらにして歌舞伎鑑賞が出来るのは、幸せなことです。
今年は中村吉右衛門の『河内山』と『梶原平三誉石切』が観られそう。 
7月5日、札幌教育文化会館で昼夜2回興行が決定しました。
現在、建替中の歌舞伎座が完成したら是非、観に行こうと思っていたが
その前に札幌で吉右衛門を観られるとは…ラッキー
それも、鎌倉武将の知と情を描き、歌舞伎の様式美を遺憾なく発揮する
『梶原平三誉石切』と、茶坊主の軽妙洒脱を演じる『河内山』の二本立て。
どちらも吉右衛門の当たり役として定評ある役柄、楽しみなことです。
 『河内山』は、以前に片岡仁左衛門で観たことがありました。
“悪に強きは善にもと 世の例えにも言う通り…”と始まる、七五調タンカの
口舌爽やかだったこと、まぁ惚れ惚れしましたねぇ。
関西歌舞伎の色香と柔らかさが持ち味の仁左衛門、東京歌舞伎の代表格
吉右衛門。役者によって全く印象が変わる歌舞伎の面白さを堪能したい。
公演ポスターを見ると、染五郎が松江藩の殿様、芝雀が波路、ベテランの
歌昇が北村大膳を勤めるらしい。札幌教育文化会館は、歌舞伎座の豪華
絢爛な雰囲気には遠く及ばないけれど、地元でホンモノ歌舞伎演目を鑑賞
出来る機会は滅多に無いこと。
 漸く春めいた札幌に嬉しい知らせ、今から夏7月が待たれることです。
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伊達騒動の真実

2011年03月27日 | 日記
      
 江戸幕府を騒がせた伊達騒動。奥州伊達藩62万石のお家騒動に幕府が
介入して、時の大老・酒井雅楽頭邸に於いて幕府裁定が行なわれたのが、
1671年3月27日。今から340年前の話である。
 歌舞伎『伽羅先代萩』や、山本周五郎の『樅の木は残った』で知られるが
面白いのは、伊達藩重臣の原田甲斐宗輔が全く対照的に描かれていること。
長い間、お家乗っ取りを企んだ悪臣と見られていた原田甲斐を、伊達藩を守り
武士の忠義を貫いた、逆説的忠臣と捉えた山本周五郎。
徳川四代将軍・家綱の時代、幕府が跡目相続トラブルに乗じて伊達藩の取り
潰しを図った…というもの。
 些か気難しくヘソ曲がりだった…山本周五郎らしい解釈で、歴史の見方を
教えられた小説『樅の木は残った』。かなり以前の話だが、周五郎ファンだった
kimitsukuは、仙台城跡を訪れ感慨に耽った思い出がある。
 例え虚実ない交ぜの小説だとしても、この城を守るために命を賭した人々が
居たことは事実。解釈はどうであれ、歴史の重みを受け止めたのだった。
歴史というものは、常に勝者の視点で都合良く書かれてきたらしい。
340年前の今日、酒井邸で逆臣として惨殺された原田甲斐は、歌舞伎や小説、
ドラマで描かれる自分を、どう思っているのか聞いてみたい気がする。
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Prayers from Kibara for Japan

2011年03月26日 | 日記
      
  日本で起きた震災について、世界中の人々が心を痛めている。
 今日YouTubeで見つけた画像は、アフリカ・ケニヤの子供たち。
 10歳前後の子供たちが、日本のために祈りの唄を歌っている。
   …私たちは悲しんでいます 日本の方々を想って
     悲しまないで 元気を出して ご無事でいてね 
     祈り続けています 日本の方々を想って…
  貧しいスラムの子供たちというが、悲しみに遭った日本のために
 一心に、涙を浮かべながら歌っている姿に、感銘を受けた。
 親に虐待されたり遺棄された子供たちだそうだが、人の悲しみを
 共に受け止め、力になろうとする感情豊かな子たちなのだろう。
                    
  被災地の復興は、少しずつ進んでいるよう。今は哀しみを乗り越え
 前を向いて歩いてゆくしか無いだろう。
 『日薬』という言葉がある。一日一日、時が過ぎてゆくことが薬になる。
 残酷な言葉とも思うが、苦しみ・哀しみ・諦め・怒りが薄らぐには、時が
 必要ということ。忍耐強く一日一日を生きてゆくことが、明日への活力に
 なると信じたい。春の訪れが遅い東北だが、そのうち桜花も咲くだろう。
 大自然は時に酷い災害をもたらすが、季節が巡れば美しい花も咲き揃う。
 生きていりゃこそ…ですよね。
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ヘルパー講習会を終えて

2011年03月25日 | 日記
        
 昨年9月末から始まった、ホームヘルパー講習会が終了した。
週2日、総計132時間の講義と実習を終えた受講生は28名。
殆どの方が仕事を持ち、日中の勤務が終わってから駆けつける夜間コース。
昨夜の修了式では、半年間に及ぶ過酷な日々を乗り切った達成感と満足感に
溢れる良い表情を見せてくれた。途中で体調を壊したり心が挫けそうになったり
したが、仲間に励まされて今日を迎えることが出来たと感謝の言葉が聞かれた。
子育てをしながら半年間も通学するのは、大変な困難があったろう。親や子供、
また職場の人々に支えられた日々だったと思う。
現在『介護』を業としている人は、自分の仕事を意識的に振り返り自分が求める
『介護』を前向きに捉える機会にしてくれたらしい。強さと優しさを備え、しっかり
軸足を定めて、これからも仕事を続けてゆくことが出来るだろう。
一方、施設実習を通して始めて『介護』を知った人は、「高齢者との触れ合いが
楽しかった」、「自分にも何か出来るかも知れない」、「高齢者の役に立ちたい」等
感想が聞かれ、講師としても『介護の何たるか』を伝えられたという手応えを得た。
                  
 明るく元気なヘルパー、ケアワーカーの養成に、これからも力を尽くしたい。
『人と人が支え支えられる介護って、素晴らしい仕事』と言える日が、一日も
早く来て欲しいと願いつつ。
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或るハリウッド女優の死

2011年03月24日 | 日記
          
 類い稀れな美貌と、数多のスキャンダルで知られた一人のハリウッド女優が
23日に他界した。彼女の名はエリザベス・テイラー、79歳だったそう。
初めて観た映画は確か『若草物語』。南北戦争で出征した父の帰りを待つ4人
姉妹を描いたストーリーよりも、この世にこんな可愛らしい少女が居ることに、
驚いた記憶がある。それが3女ベスを演じていたエリザベス・テイラーだった。
その後も、『陽の当たる場所』、『ジャイアンツ』、『熱いトタン屋根の猫』、『クレオ
パトラ』、『いそしぎ』などの映画に出演、如何にもハリウッド映画黄金期の女優
らしい、華やかな話題を振りまいていた。演技力云々以前に、存在そのものが
あの当時のアメリカ映画界を象徴していたと思う。
        
 莫大な費用と製作期間をかけて撮影された、『クレオパトラ』。
現在では考えられない贅沢なスペクタクル大作。エリザベス・テイラーの
ために作られたような映画だった。アメリカ映画には『十戒』や『ベン・ハー』、
『クォ・ヴァディス』など、時間と費用をたっぷり使った歴史映画が多かった。
思えばハリウッドにとっても、希望に満ちた良き時代だったのだろう。
 kimitsukuの青春を彩ってくれた女優がまた一人、消えていった。
きっと今頃は、かつて競演した男優たち(M・クリフト、J・ディーン、R・ハドソン、
P・ニューマン、R・バートン)と再会し、あの魅惑的な笑みを浮かべているだろう。
彼女は、豊かで華やかで夢多きハリウッド映画そのものだった。晩年はエイズ
撲滅に関わり、スクリーンからは窺い知れない熱心な社会活動家でもあった。
無類の美貌、それにも増して心映えの美しい女性だったのかも知れない。
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『がんばろう日本!』 を合言葉に

2011年03月23日 | 日記
          
 『がんばろう日本』を合言葉に、第83回選抜高校野球大会が開幕した。
被災者を悼み半旗が翻る甲子園を、元気な足取りで行進する32校。特に
甚大な被害を受けた茨城や青森、そして宮城の代表校選手に温かい拍手。
東北高校の選手に笑顔は見られなかったが、気持ち良く送り出してくれた
故郷の人々を思い出しながらの行進だったろう。
    
 選手宣誓は、阪神大震災の年に生まれた岡山創志学園の野山主将。
「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることが出来ると
信じます。私たちに今できることは、この大会を精いっぱい元気を出して
戦うことです。がんばろう日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で
正々堂々とプレーすることを誓います」。
力強い宣誓の言葉に、思わず胸が熱くなった。
そうだよねぇ、人は支え合って生きているんだよ。一人じゃ無いんだよ。
生かされている命に感謝して、精いっぱい生きなくちゃ…。
この言葉は、想いは、願いは、きっと被災地の人々にも届いただろう。
心ひとつに、『がんばろう日本』だよ。

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再び機内食について

2011年03月22日 | 日記
        
 ふと思い出し、昨年3月22日のマイブログ、『kimitsuku独り言』を開いてみた。
アンチエイジング目的に始めたブログだったが、まぁ毎回ショーモナイ戯言を
書き散らしていた。尤も現在だって、相変わらず…というか進歩なし…というか
お恥ずかしい次第ではありますが…
 さて一年前の今日の話題は、海外旅行時の機内食について。
あまり豊富とは言えない経験ながら、アリタリア航空の食事が美味しかったと、
感激してルル述べている。6月に予定していたクロアチア旅行を念頭に、再び
美味イタリアンを期待していたのだろう。クロアチア旅行は日航チャーター便で
機内食はちょっと予想と違ったけれど、確かにクロアチア食はイタリアン風味。
厚い生地のピザ、種類豊富なパスタ類、チョー美味なジェラートなどなど。
あの旅行で増えた体重は未だ元に戻らず、現在もイタリアマンマ体型を堅持
         
 上写真はスイス航空の機内食。美味しそうなパスタ&茶そば&野菜サラダ。  
いいじゃないのぉ…、今年はスイスに決めましょ
この夏、新千歳空港発着のチャーター便が出るそうで、散々迷っていたけれど
この機内食を見て「よぉし行くぞぉ…」モードに、スィッチオン。
 世の中イッスン先は分からない。少年老い易く&佳人薄命&後悔先に立たず。
行きたいところへ行き、したいことをし、食べたいものを食べる。
残りの人生時間どれだけ有るやら知らないが、分からぬのを幸いに楽観主義で
楽しく参りましょう。



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