
昨日、故郷の町で母の49日法要を済ませました。101歳と10ヵ月の生涯でした。
亡くなったのは昨年12月29日の朝、葬儀は大晦日で何ともバタバタと慌ただしいことでした。
入院したと連絡を受け、見舞いに行くと意外に元気で「これなら…」と安心して帰宅したのに…
母らしい静かな最期だったそうです。見事な大往生と言うべきでしょうね。
欲を言えば、今月25日で102歳を迎えられたのに…が心残りです。
今、母が遺した日記帳を読んでいますが、最初の日付けは2010年11月5日
「今日、お姉ちゃんに日記帳をかってもらいました。まじめにかく事にします」と…。
その年の3月に父が亡くなり、寂しがる母を時おり札幌の我が家に連れて来ましたが
11月に来宅した時、小学校低学年用のノートを買って日記を書くようにと勧めたのです。
何を書いたらいいの
と聞くので、お天気とか、食べたものとか、会った人とか…と
話した記憶があります。根が真面目な母でしたから、さっそく書き始めたようです。
5日の続きには札幌に住む妹に会って楽しかったこと、セーターを買って貰って嬉しかったこと等
拙い文字ながら、漢字・ひらかな・カタカナ混じりで長い文章が書かれています。
翌6日には回転鮨へ行き、「とてもおいしかったです。サモンとまぐろとほたて。えび。
いくら。すじこ。そい。おいしかったです」と、元気な文字が躍っています。
この時には6泊しており「大根ナマスと金平ゴボウを作ってあげた」とも…。
いつも数日するとS町の自分の家が恋しくなり、帰りたがっていました。
9日の日記には「今日かへります。9時30分頃、出かけてきました」。
いつも途中のT町まで弟が迎えに来て、母を受け渡すことにしており
この時のことを、「H(弟の名)がむかえに来ました。S町に2時頃つきました。
やっぱり一人はさびしいです」と書いてあります。
11年前の初冬に書き始めた日記帳は4冊あり、読み進むにつれ万感の想いに
胸が熱くなったり後悔の念に苛まれたり…。
4冊目の最後のページは震えた筆跡で、はっきりしないけれど
平成30年9月5日でしょうか
弟の名前らしき文字が…。
思い掛けず母の晩年の日記を読み、改めて亡き母に感謝した不詳の娘でした。