J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

石川県金沢市「兼六園」にて

2010年07月20日 | ドライブ・旅行
シリーズ続き
「能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島」
「能登半島一周、輪島~片山津温泉」

東京から新幹線で「湯沢」へ行き、そこから「北北線」に乗り換え「金沢」迄。
新幹線の乗車時間は1時間足らず、そこから「北北線」の行程の方がずっと長い時間が掛かる「直江津」を経由して海岸線に沿っての電車の旅は飽きることが無く景色を楽しませてくれる。



金沢駅でレンタカーを借り真っ先に兼六園を目指した。兼六園近くの市営駐車場に車を入れ近くの「紺屋坂」を登る、結構急な坂でした。
兼六園に入る入り口は7カ所ほど有るが、上の写真は案内所のある「桂坂」から入り園内で真っ先に見えてくる「霞ヶ池」周辺を撮影した物です。
タイトルになっている写真も「虹橋」をメインに撮し込みました。



虹橋から左を回り込み「霞ヶ池」を挟んで「蓬莱島」その右の建物は「内橋亭」です。

さすがに見応えのある庭園で、手入れも行き届き、この日も少なからぬ方達が手入れに専念していました。此の維持に膨大な予算が当てられているのかなと感じる次第です。
それでこそ此の場所が、これぞ日本の庭園、と言った趣を保つことが出来るのでしょう・・・・
加賀百万石のお膝元の貫禄充分ですね!
園内を一周するように更に奥へ向かいます。

兼六園は江戸時代の代表的林泉回遊式庭園で「金沢城外郭」として城に属していました。
加賀藩5代藩主(前田綱紀)1676年作庭、その後1759年金沢大火の後、11代藩主前田治脩(はるなが)復興、1822年前田斉広(なりなが)の時代で完成。
「兼六園」という名は中国宋の時代の詩人「李格非」の書いた「落陽名園記の文中から」宏大、幽邃、人力、
蒼古、水泉、眺望の「六勝」を兼ねる所から名付けられた(兼六園パンフレットより)



写真のように林の中は苔で覆われ沢山の種類の「広葉樹」が植えられています。
この辺り奥は「千歳台」と言われていて上流から流れ出る疎水と共に花菖蒲などが植えられていて幾つもの「橋」が掛けられています。




更に一段と高い場所で「山山」と言われる場所です。
一番高い場所に東屋が有りすぐ側に「御室塔」があります。
楓などの樹種が多く秋になれば「紅葉」も一段と美しいと思います。




兼六園を見学した後「蓮池門出口」から「江戸町通り」と言われる通り(おみやげ屋さんが軒を連ねる通り)此所から、隣にある「金沢城」へ回ります。

写真は「江戸町通り」から見る城門「石川門」本丸付近にある「三十間長屋」(国指定重要文化財)が残る程度ですが、その他「五十間長屋」が復元され整備されて公園としての機能が有り一部は無料開放されているようです。
天守閣、本丸は無く、今ではこんもりとした森となっていてますが城郭としては立派な物と思います。おもしろいのは内堀跡が今では四車線の道路となっていました・・・・・・・




写真がその「堀跡」の道路です。
この道路は「お堀通り」と名が付いているようで、写真右上側が「お城本丸跡」です。
本丸跡はこんもりとした林に成って居て城として残るのは各「櫓跡」と「城壁」など、見るべき物は少ない。




「お堀通り」をまたぐ橋を渡ると「石川門」だ。写真は石川門の櫓(重要文化財)この門をくぐると三の丸広場に出る、下の写真がそうですが、ここにはボランティアガイドさんの受付場所などが有ります。今回は時間もなく城内見学は諦めましたが下の写真は再建された「五十間長屋」右手の建物は「菱櫓」城壁の下は「堀」となっています。




その後「金沢市」を後にして、北陸自動車道を通り小矢部ジャンクションから能越自動車道を通り「氷見」まで行きます。そこから一般道に降り国道160号線の海岸線に沿って「七尾」まで行き和倉温泉でこの日の宿泊に成ります。
その後、七尾から「碌剛崎」を廻り「輪島」へ行き「輪島」から南下し金沢を通り過ぎて「方山津」「東尋坊」と廻り金沢へ戻り、東京へ。
能登半島一週の旅です。時間が出来次第Blogにアップしてゆきます。