タイトル写真は恵隆寺「立木観音」観音堂。
この日朝7:40分世田谷の自宅を出発して環八、外環道、東北自動車道、磐越自動車道を通り「会津坂下IC」で降りる。今回、息子一家と夕方直接ホテルで待ち合わせなので私達一家はその間、会津若松近辺を回る事にした。
時間的に丁度良さそうなのが「会津ころり三観音」を廻る事だった。
旅行から帰ってその日から風邪の症状が出て咳と微熱で寝込んでしまい。結局Blog記事を書く事出が来たのは1週間もしてからだった。。。。。。。。
会津三観音位置グーグルマップ ←クリックするとグーグルマップに成ります。
「会津ころり三観音」とは観音経の言う所の「三毒」仏教用語で貧(とん)、䐜(じん)痴(ち)。
むさぼる邪心欲、腹を立てる怒りの心、愚痴を言う不平等不満の心。この三つの悪心を三観音を巡拝し仏の慈悲にすがり消し去る事で仏の導きで心に安らぎが宿り諸病が無くなり、健康に恵まれ、長寿をまっとうし、やがて病に伏す事無く大往生が約束され、来世に極楽往生が出来ると言う・・・・
写真は一番最初に立ち寄った「立木観音」山門 。国指定重要文化財指定
磐越自動車道、会津坂下(ばんげ)ICを降りて国道49号線行く。
会津ころり三観音巡りをする場合東京方面からの場合恵隆寺「立木観音」から始めるのが一番近い。高速を降りてから15分ほどで到着した。
山門をくぐると参道の向こうに観音堂が見えてくる。
恵隆寺は会津三十三観音三十一番札所。西暦808年(大同年間)徳一大師によって開祖と言う事に成るらしい。武家政治が確立する前には会津一帯は思想、文化、経済に寺院政治が支配的で在ったらしい。
観音堂の右手には三重の塔(小金塔)があります。現在の塔は平成12年に再建された模様で、まだ真新しい。
写真は「観音堂」。内部は撮影禁止で写真はありません。内部などの写真は「立木観音堂」のホームページを参照して下さい。ここで有名なのは重要文化財指定のご本尊「十一面千手観音」。内部には「抱きつき柱」も有り、私も真似して抱きついてみました!(タイトルと同じ写真)
次に「鳥追い観音如法寺」。写真は仁王門。この如法寺も徳一大師開祖と言う事らしい。
この仁王門自体が福島県の重要文化財となっている。
上の写真と同じ仁王門を近くから撮った所。左右の金剛力士像、右が阿形像、左は吽形像(うんぎょう)、どこの観音堂も仁王門がありますが残念ながら撮影は条件的に無理で画像はありません。
写真は観音堂を一周する回廊のひさし部分に掘られた彫刻、慶長年間に左甚五郎作による隠れ猿が彫刻されている。三猿(難よりかくれ猿)(難をのがれ猿)(安楽に暮らし猿)
良く視ないと見付からない。
写真は次に向かった「中田観世音」参道入り口。何れも仁王門がありそこには大きなわらじがぶら下げてありました。
仁王門を抜けると観音堂が真正面に見えます。会津三十番札所。国指定重要文化財指定。
ここには銅造十一面観世音菩薩・脇侍不動明王・地蔵菩薩立像の三体があり、いづれも金剛仏として国指定重要文化財となっています。
自分としては宗教心は全く無くご利益などは全く思考の外ですが、文化的、歴史的、思想等先人の残した遺産を見て回る事がとても勉強に成ると考えています。
以上三観音を廻ると丁度良い時間となり、この後、本日宿泊の会津東山温泉へ直行します。こんかいホテルに連泊して明日は会津若松「鶴ヶ城」を見学、喜多方ラーメンなどのグルメ散歩の予定。
この日朝7:40分世田谷の自宅を出発して環八、外環道、東北自動車道、磐越自動車道を通り「会津坂下IC」で降りる。今回、息子一家と夕方直接ホテルで待ち合わせなので私達一家はその間、会津若松近辺を回る事にした。
時間的に丁度良さそうなのが「会津ころり三観音」を廻る事だった。
旅行から帰ってその日から風邪の症状が出て咳と微熱で寝込んでしまい。結局Blog記事を書く事出が来たのは1週間もしてからだった。。。。。。。。
会津三観音位置グーグルマップ ←クリックするとグーグルマップに成ります。
「会津ころり三観音」とは観音経の言う所の「三毒」仏教用語で貧(とん)、䐜(じん)痴(ち)。
むさぼる邪心欲、腹を立てる怒りの心、愚痴を言う不平等不満の心。この三つの悪心を三観音を巡拝し仏の慈悲にすがり消し去る事で仏の導きで心に安らぎが宿り諸病が無くなり、健康に恵まれ、長寿をまっとうし、やがて病に伏す事無く大往生が約束され、来世に極楽往生が出来ると言う・・・・
丁度「立木観音堂」に三観音の専用「御朱印帳」が有ったので買い求め各観音堂の「御朱印」を頂く事にした。
写真は一番最初に立ち寄った「立木観音」山門 。国指定重要文化財指定
磐越自動車道、会津坂下(ばんげ)ICを降りて国道49号線行く。
会津ころり三観音巡りをする場合東京方面からの場合恵隆寺「立木観音」から始めるのが一番近い。高速を降りてから15分ほどで到着した。
山門をくぐると参道の向こうに観音堂が見えてくる。
恵隆寺は会津三十三観音三十一番札所。西暦808年(大同年間)徳一大師によって開祖と言う事に成るらしい。武家政治が確立する前には会津一帯は思想、文化、経済に寺院政治が支配的で在ったらしい。
観音堂の右手には三重の塔(小金塔)があります。現在の塔は平成12年に再建された模様で、まだ真新しい。
写真は「観音堂」。内部は撮影禁止で写真はありません。内部などの写真は「立木観音堂」のホームページを参照して下さい。ここで有名なのは重要文化財指定のご本尊「十一面千手観音」。内部には「抱きつき柱」も有り、私も真似して抱きついてみました!(タイトルと同じ写真)
次に「鳥追い観音如法寺」。写真は仁王門。この如法寺も徳一大師開祖と言う事らしい。
この仁王門自体が福島県の重要文化財となっている。
上の写真と同じ仁王門を近くから撮った所。左右の金剛力士像、右が阿形像、左は吽形像(うんぎょう)、どこの観音堂も仁王門がありますが残念ながら撮影は条件的に無理で画像はありません。
写真は観音堂正面
写真は内部を外側から撮った物「会津三十三番札所番外結願所」
写真は観音堂を一周する回廊のひさし部分に掘られた彫刻、慶長年間に左甚五郎作による隠れ猿が彫刻されている。三猿(難よりかくれ猿)(難をのがれ猿)(安楽に暮らし猿)
良く視ないと見付からない。
観音堂から隣の広場に行くと写真の様な古いロータリー式とラッセル式除雪車両が保存されていた。
写真は次に向かった「中田観世音」参道入り口。何れも仁王門がありそこには大きなわらじがぶら下げてありました。
仁王門を抜けると観音堂が真正面に見えます。会津三十番札所。国指定重要文化財指定。
ここには銅造十一面観世音菩薩・脇侍不動明王・地蔵菩薩立像の三体があり、いづれも金剛仏として国指定重要文化財となっています。
観音堂正面と左側面
自分としては宗教心は全く無くご利益などは全く思考の外ですが、文化的、歴史的、思想等先人の残した遺産を見て回る事がとても勉強に成ると考えています。
以上三観音を廻ると丁度良い時間となり、この後、本日宿泊の会津東山温泉へ直行します。こんかいホテルに連泊して明日は会津若松「鶴ヶ城」を見学、喜多方ラーメンなどのグルメ散歩の予定。