仙台藩代官屋敷の大庄屋敷の長屋門が現存。
仙台藩代官屋敷…羽田陣屋近くに武家門『大庄屋久保屋敷』
屋敷内に明神社
お城のデータ
所在地:東近江市上羽田町 (旧八日市市上羽田町) map:http://yahoo.jp/DvbQv9
現 状:宅地(末裔の個人宅)
遺 構:武家門
区 分:居館
築城期:江戸期
築城者:仙台藩
城 主:久保源右衛門
目標地:羽田神社
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.7.31
長屋門の内側門を入ると、正面に止め石!
武家門『大庄屋久保屋敷』の表札(読めませんが)
お城の概要
東近江市上羽田南方の久保家は仙台藩の大庄屋を世襲し、久保源右衛門は六十年間大庄屋を勤めたと伝わる。現在も久保氏の末裔がお住まいのようです。
仙台藩代官屋敷…久保家の武家門で往時を偲ぶことが出来ます。
歴 史
仙台藩の陣所は東近江市(旧八日市市)上羽田に置かれいました。
江戸時代、仙台藩(62万石)伊達氏の飛び地(領地)であったため、万石堤と呼ぶ。 ハートピア入口に説明板 仙台藩は、江戸時代に主として現在の宮城県全域と岩手県南部(北上市まで)および福島県新地町を領地とした藩である。旧字では[仙臺藩。 居城は現在の仙台市にある仙台城で、石高は62万石。江戸時代全期を通じて外様大名の伊達家が治めた。知行地には茨城県・滋賀県に数か所の飛び地があった。
江戸時代を通じて外様大名の伊達氏本家が治めた藩であり、伊達藩と呼ばれることもある。
関ヶ原の戦いの功績により、慶長5年(1600年)に刈田郡3万8000石の加増を受けるが、政宗は不服を訴え続け、慶長6年(1601年)には近江国蒲生郡内5000石、慶長11年(1606年)には常陸国信太郡、筑波郡、河内郡内1万石、寛永11年(1634年)には近江国蒲生郡内5000石の加増を勝ち取った。この結果、陸奥国内の一円知行地に60万石、陸奥国外の飛び地として近江国に1万石、常陸国に1万石で合計62万石となり、これが幕末までの仙台藩の基本的な石高となった。
飛び地の近江国
旧 国 | 郡 名 | 継目判物 | 旧高旧領取調帳 | ||
---|---|---|---|---|---|
村数 | 石高(表高) | 村数 | 石高(内高) |
近江国 | 蒲生郡之内 | 18 | 8,842.794 | 18 | 12,220.49600 |
野洲郡之内 | 2 | 1,157.206 | 2 | 1,157.20600 | |
小計 | 20 | 10,000.000 | 20 | 13,377.70200 |
近江国 - 蒲生郡と野洲郡とに9,999石2斗4升4合
蒲生郡内18ヶ村
- 現・滋賀県東近江市の一部(青葉町・石塔町・市辺町・今崎町・今堀町・沖野2丁目・春日町・上羽田町・小今町・幸町・栄町・昭和町・聖徳町・聖和町・中野町・西中野町・東今崎町・東中野町・ひばり丘町・蛇溝町・八日市金屋1~3丁目・八日市清水3丁目・八日市野々宮町・八日市東本町)
- 現・滋賀県近江八幡市の一部(桜宮町・末広町・鷹飼町・出町・友定町・西生来町・八幡町・安土町内野・安土町西老蘇・安土町東老蘇)
- 現・滋賀県蒲生郡日野町の一部(北脇)
- 現・滋賀県蒲生郡竜王町の一部(橋本)
- 野洲郡内2ヶ村
- 現・滋賀県野洲市の一部(市三宅・小篠原)
参考資料:滋賀県の城、郷土史、 ウィキペディア
本日も訪問、ありがとうございました!!!感謝!!