城郭探訪

yamaziro

仙台藩代官屋敷 近江国(八日市)

2014年08月02日 | 居館

仙台藩代官屋敷の大庄屋敷の長屋門が現存。

仙台藩代官屋敷…羽田陣屋近くに武家門『大庄屋久保屋敷』

 屋敷内に明神社

お城のデータ

所在地:東近江市上羽田町 (旧八日市市上羽田町)    map:http://yahoo.jp/DvbQv9

現 状:宅地(末裔の個人宅)

遺 構:武家門

区 分:居館

築城期:江戸期

築城者:仙台藩

城 主:久保源右衛門

目標地:羽田神社

駐車場:路上駐車

訪城日:2014.7.31

長屋門の内側門を入ると、正面に止め石!

武家門『大庄屋久保屋敷』の表札(読めませんが)

お城の概要

東近江市上羽田南方の久保家は仙台藩の大庄屋を世襲し、久保源右衛門は六十年間大庄屋を勤めたと伝わる。現在も久保氏の末裔がお住まいのようです。

仙台藩代官屋敷…久保家の武家門で往時を偲ぶことが出来ます。

 

 歴 史

仙台藩の陣所は東近江市(旧八日市市)上羽田に置かれいました。

江戸時代、仙台藩(62万石)伊達氏の飛び地(領地)であったため、万石堤と呼ぶ。  ハートピア入口に説明板 仙台藩は、江戸時代に主として現在の宮城県全域と岩手県南部(北上市まで)および福島県新地町を領地とした藩である。旧字では[仙臺藩。 居城は現在の仙台市にある仙台城で、石高は62万石。江戸時代全期を通じて外様大名の伊達家が治めた。知行地には茨城県・滋賀県に数か所の飛び地があった。

江戸時代を通じて外様大名の伊達氏本家が治めた藩であり、伊達藩と呼ばれることもある。

関ヶ原の戦いの功績により、慶長5年(1600年)に刈田郡3万8000石の加増を受けるが、政宗は不服を訴え続け、慶長6年(1601年)には近江国蒲生郡内5000石、慶長11年(1606年)には常陸国信太郡、筑波郡、河内郡内1万石、寛永11年(1634年)には近江国蒲生郡内5000石の加増を勝ち取った。この結果、陸奥国内の一円知行地に60万石、陸奥国外の飛び地として近江国に1万石、常陸国に1万石で合計62万石となり、これが幕末までの仙台藩の基本的な石高となった。

飛び地の近江国

旧  国郡     名継目判物旧高旧領取調帳
村数石高(表高)村数   石高(内高)
近江国 蒲生郡之内 18 8,842.794 18 12,220.49600
野洲郡之内 2 1,157.206 2 1,157.20600
小計 20 10,000.000 20 13,377.70200

近江国 - 蒲生郡と野洲郡とに9,999石2斗4升4合

蒲生郡内18ヶ村

  • 現・滋賀県東近江市の一部(青葉町石塔町市辺町今崎町今堀町沖野2丁目春日町上羽田町小今町幸町栄町昭和町聖徳町聖和町中野町西中野町東今崎町東中野町ひばり丘町蛇溝町八日市金屋1~3丁目八日市清水3丁目八日市野々宮町八日市東本町
  • 現・滋賀県近江八幡市の一部(桜宮町末広町鷹飼町出町友定町西生来町八幡町安土町内野安土町西老蘇安土町東老蘇
  • 現・滋賀県蒲生郡日野町の一部(北脇
  • 現・滋賀県蒲生郡竜王町の一部(橋本
  • 野洲郡内2ヶ村
    • 現・滋賀県野洲市の一部(市三宅小篠原) 

参考資料:滋賀県の城、郷土史、 ウィキペディア

           本日も訪問、ありがとうございました!!!感謝!!