城郭探訪

yamaziro

原城  近江国(彦根)

2014年08月23日 | 居城

 

 

お城のデータ

所在地:彦根市原町     map:http://yahoo.jp/-pLmJd

現 状:集落一帯・原八幡神社・彦根IC施設など

遺 構:

区 分:平山城

築城期:室町期

築城者:

城 主:

廃 城:

目標地:原八幡神社(中仙道)

駐車場:原八幡神社駐車場

訪城日:2014.8.23

お城の概要

原城は、中世城郭分布調査によると、名神彦根インターの北側、中山道沿いを中心に営まれている原町集落一帯に比定されている。

 集落北側には原八幡神社が鎮座しているが、その裏手には丘陵の森がある。これは北方の佐和山山塊と本来山続きだったものが、スポーツ公園施設建設などによって削り取られた残りである。

城はこの削り取られた山上に築かれていたのではないかと思われ、もしそうであれば城は消滅した。近江の名城佐和山城から続く峰の最南端に位置しています。

松尾芭蕉が、「昼顔に 昼寝せうとも 床の山」と詠んだとされる原八幡宮の裏手が城跡とされています。現在は、土取り場として山自体が取り崩されたため、遺構は消滅してしまっているようです。


中仙道

原城址南端(原八幡宮・芭蕉昼寝塚)。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、彦根市教育委員会、

 

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!

 

 

 

 
 
 
 
 

長江館  近江国(彦根)

2014年08月23日 | 居館

長江館(比定地)・・食い違い状道路・水路(堀)

お城のデータ

所在地::彦根市金沢町長江     map:http://yahoo.jp/lVJ-e2

現 状::集落

遺 構:道路・水路が食い違い状に折れ堀跡

区 分:居館(平城)

築城期:南北期

築城者:長江氏

城 主:長江権守家景(後に但馬守)

目標地:稲枝西郵便局

駐車場:路上駐車

訪城日:2014.8.23 

お城の概要

長江館は、金沢町南方で宇曽川西岸に営まれている長江集落内にあった城館。集落西側には道路・水路が食い違い状に折れ、堀跡の様相を呈している。

集落西端の水路に架かる橋は大手口のように見え、信行寺前やその南方の通路は食い違い状になっていて城館の雰囲気を随所に感じる。

すぐ南方には、肥田城が所在することから、肥田城との関連・・・・?。

 集落西側を流れる水路

信行寺前やその南方の通路は食い違い状に

信行寺前やその南方の通路は食い違い状に通路。

歴 史

近江愛智郡志には、長江氏は愛智家行の二男家景を祖とす家景長江に居す、因て氏とす。

稲枝村金澤の一部長江と称す地其の邸地在りし所なり。長江権守家景とし後に但馬守に任じ・・・云々

 また、沙沙貴神社所蔵「佐々木系図」によれば、平安末期の「源行真申詞記」に登場する愛智家次の弟に長江権守家景がある。

長江太郎義景により鎌倉平氏長江氏が成立したのとほぼ同時期であり、〈景〉の字を通字とする。平治の乱後の佐々木氏の東下と関係があるかもしれない。佐々木氏は鎌倉平氏の旧領のひとつ相模鎌倉郡長尾郷を領しており、鎌倉平氏を継承していた可能性はある。

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭、近江愛智郡志

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上西川館  近江国(彦根)

2014年08月23日 | 館跡

  

 お城のデータ

所在地:彦根市上西川町・下岡部町   map:http://yahoo.jp/mFEjuu

現 状:空地・田畑

遺 構:宅地や田畑に改変で消失か

区 分:居館

築城期:南北期

築城者:西川氏

城 主:西川氏

廃 城:佐々木氏が信長に攻略され、西川氏も敗れて出家し金前坊

目標地:稲枝北小学校

駐車場:下西川町自治会館無料駐車場

訪城日:2014.8.18

お城の概要 

上西川館は、中世城郭分布調査によると、稲枝北小学校の道を挟んで西側の民家・空地・田畑付近に比定されている。ここは上西川町と下岡部町の境にあたる。

城館らしき名残りは水路や畑地などに雰囲気が無くはないが、往時からの地形なのか?。

旧愛知川流路は町内を通っていたため、この地が要衝であったことは間違いない。

ここより約200m北西には下西川館、北方約300m先には中川館が比定されている。

大蔵寺(無住の寺)と大きな竹藪残存

歴 史

伝承

 彦根市上西川町に金前坊という名の小字があり、かっては雑木竹林であった。

金前坊とは、昔、佐々木氏の四天王の一人、西川氏の居住跡で、佐々木氏が織田信長に攻略され、西川氏も敗れて出家したのである。

その西川氏の奥方は堀に身を投げ大蛇となったが、この大蛇は、愛知川に大洪水があって堤防が決壊した時川に入って上流に上り、永源寺の奥に住みかを変えたという。そして、毎年六月の末になると更に上流をめざして、実った枇杷を食べると言われている。

上西川町の北東び大蔵寺・・無住の寺と大きな竹藪残存、城址かも(未整備のため)明確ではないが、土塁痕・堀痕が残存する、

移転のJAの支所裏の大蔵寺(無住)大きな竹藪残存

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭

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