お城のデータ
所在地::彦根市蓮台寺町 map:http://yahoo.jp/Pdoe7u
現 状:畑地・集落
遺 構:石碑・曲輪
区 分:居館(平城)
築城期:室町期
築城者:河瀬氏
城 主:蓮台寺房盛
目標地:蓮台寺、蓮台寺公民館
駐車場: 蓮台寺駐車場
訪城日:2014.8.12
微高地の畑地と城址碑
お城の概要
蓮台寺城は、蓮台寺集落一帯にあったとされる。
古図から考察される城館は、町名の由来となった蓮台寺の東側の路地で囲まれた一画に比定される。
またこの区画の北東に位置する畑地は一段高くなっており、こちらにも城館が比定できる。現在この畑地の南西端には「河瀬蓮台寺城址」の石碑が建つ。
蓮台寺
蓮妙寺
歴 史
蓮台寺城は、荘官から武士化した河瀬城主河瀬氏から派生した蓮台寺氏の居城とされ、河瀬氏・大宇氏と共に「犬上衆」と呼ばれていた。
河瀬氏から分派した河瀬壱岐守一族が、この地を居城とし、やがて蓮台寺氏を名乗ったとされている。河瀬氏は古くから佐々木京極家と血縁関係にあり、室町中期の出雲・隠岐・飛騨守護・京極高光の次男高房も養子に入っている。
蓮台寺氏は戦国時代に入ると京極氏に代わって江北を支配した浅井氏の傘下に入り、姉川の合戦などで活躍したが、織田信長による小谷城総攻撃のときに浅井一族とともに討死したと伝えられている。
川瀬 一帯は、中世になると河瀬荘 と呼んだ荘園が存在しまた。河瀬荘は川瀬馬場や南河瀬を中心、北は犬上川まで南は出町 、東は葛籠町、そして西は蓮台寺町辺りまで広がっていした。
その川瀬馬場の地に城主に城館を構えたと伝るのが河瀬氏でした。河瀬氏は、古くから河瀬荘の現地管理を荘園領主から委ゆだ ねられた荘管であったよう すが、しだいに川瀬馬場を本拠とて武士化し、城館築くようになったと考えられます。この河瀬氏は京極氏の流れをくみ、蓮台寺氏、 大宇氏、そして多賀社の神官を兼ねていた多賀氏など一族でした。ここでは、蓮台寺氏と大宇を紹介することにしまょう。
■ 蓮台寺氏と蓮台寺城■
蓮台寺町は、河瀬氏の一族である蓮台寺房盛が居城とした地です。
蓮台寺氏は、京極の零落の後は、 浅井氏の被官(家臣)として村落支配に当たっていました。
町名の由来ともなった 蓮台寺は、河瀬一族によて創建され臨済宗妙心寺派寺院ですが、織田信長による破却って衰え、 本尊の大日如来も行方知れずとなっていとなってい ま した。江戸時代になり本尊を確認して故地にもどし、現在の寺観が整えられたようでで す。
蓮台寺町の集落東端 には、今も周囲より一段高くなった畑地が残ています。明治時代初期に描かれた「蓮台寺村耕地絵図」を見ると、周囲を大小の道によって区画された地所を確認するこ された地所を確認すること ができ ます(点線) 。
この辺り一帯 に蓮台寺氏の平地城館が存在した と 伝えています 。昭和38年、その一隅に関係者によって「河瀬蓮台寺城址」と記された 石碑が建てられまし た 。
集落の西に城郭遺構のような竹藪が残存します。
竹藪遠望
参考資料;滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、わやしの町の戦国(彦根教育委員会)
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