今朝の佐賀新聞は、70年前の終戦を伝える復刻版を使って伝えています。
ポツダム宣言の受諾にあったっての様子が生々しく伝えているのに興味深く読みました。
中立国であったソ連政府に平和の斡旋を依頼し、「この努力は不幸にして失敗した」こと。
受諾に当たっては、「最高統治者としての陛下の大権を損なういかなる要求も包括しないとの了解の下に発せられた」と天皇護持の姿勢が明確に示されています。
昨日、安倍首相が発表した「戦後70年談話」はこれまでの村山、小泉談話の2倍以上の文章ですが、心に伝わるものになっていません。
村山、小泉談話の基調は、「政府は」とか「私は」ではじまるものですが、安倍首相の談話は、「私たちは」ではじまっています。
これでは、政府の行為で出される文章とはとても思えません。
しかも、歴代内閣が謝罪してきたことを紹介する形で「お詫びの気持ち」を書いています。
私が気になったのは、「戦争に関わりのない世代に、謝罪の宿命を背負わせてはならない」としているところです。
「謝罪に区切りをつける」つもりでしょうが、侵略戦争によって、アジアや世界の人々に多大な被害を与えたことは、未来永劫に相手に伝えたうえで、友好関係をつくるものであります。
今から、恒例の終戦記念日の街頭宣伝に出かけます。
議員になって21年、憲法記念日と終戦記念日には毎年欠かさずやってきたことです。