第254話.令和の始まり

2019-05-01 23:05:05 | 日本人論
湖畔人です。

新しい時代、令和の時代が始まりましたね。誰かが“正月が二回来たみたい”、と言っていましたが、ホントそんな感じです。午前零時の時代の変わり目には正月と同じ気分を味わせていただきました。でも、その後は仕事をしていましたがね・・・。
上皇になられた明仁様は、退位礼正殿の儀の際、一連の儀式を終え退出する際に、立ち止まって室内の方を振りむいて室内の参列者に対し深く礼をするシーンがあり、そのシーンを見て感動したとか、映画のワンシーンのようだとか、感動の声が寄せられているようです。確かに、難しい時代に国民と共にあらんと頑張った上皇陛下ですので、その引退を惜しみ寂しく思う国民も多い事でしょう。次代の浩宮様、徳仁天皇陛下にも是非頑張っていただきたいですね。
それしにしても、皇室の存在をよしとしない左翼、反日勢力も多い日本ですが、皇室は世界最古の王朝であり、日本らしさの象徴でもありますので、これからも反日勢力から皇室を守って、末永くご存続頂きたいですよね。
では何故、天皇家が日本の歴史の中で特別な存在としてこれまで存続して来たのか、その理由をここでおさらいするとするならば、それはご存知の通り、日本の神話に出て来る日本神道の中心神、天照大神が天皇家の肉体祖先であるからです。天皇家は天照の肉体的子孫と言う訳です。天照の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、この地上界を支配せよとの天照の命を受けて、高天原から九州の高千穂峰に天孫降臨した後、ニニギノミコトは富士山の神様でもある木花開耶姫(コノハノナサクヤヒメ)と結婚をし、子を設け、更にその子の子供、またその次の代と、所謂ニニギノミコトから見て曾孫に相当するのが初代天皇の神武天皇です。神武天皇が近畿まで北上し天皇に即位してから126代、それから約2680年の時が流れましたが、世界最古の王朝として今の天皇家が存在しています。これは世界史的にも誇るべき古い王朝なのです。王権神授説と言う言葉がありますが、神の子孫ですから、地で王権神授を続けている形です。その後、天皇家はヤマトタケル等の活躍により日本の統一を果たし(とは言っても当時の支配域は九州から仙台辺りまでですが‥)、それ以降、日本のアイデンティテイ、日本の背骨として、存在して来たのが天皇家です。何せ高天原を統べる主宰神で、日本国民の総氏神とも呼ばれる天照大神を肉体先祖に持つ存在なのですから、その存在は特別です。この状況は、まるで神がこの地上を、この日本を神の意に適う地にすべく、“我が代わりにこの地を統治せよ”、と神の代理人として出した子孫達が天皇家であり、彼らの存在自体が神の意志の痕跡のような存在なのですからそれは特別な存在なハズです。大和朝廷、奈良、平安あたりまでは宗教と政治の両方に関わって来た天皇でしたが、鎌倉以降は、今の首相に当たる征夷大将軍が政治の代行をし、それ以降は国民の安泰と平和を願う祈り人、日本全国の神社を束ねるような組織の長ではないにしろ、日本神道の最高神官とも言えるような存在であったかと思います。以前もこのブログの“第22話.日本の定義”でも申し上げましたように、ある保守系のオピニオン誌では、以前、神道系の大学の先生のお言葉を載せており、そこでその方は、天皇の役割をこう述べていました。“天皇陛下の役割を一言でいえば、『祈り』です。陛下は神道に奉職する神職の中の神職。いわば総神職として、祈りを捧げていらっしゃる御存在です。” “特に天皇の『祈り』で大事なのは、宮中祭祀です。多くの祭祀は、国民の幸福と世界の平穏を祈るもので、これほど『公』の行為はなく、本来の"国事行為"と言うべきもの。歴史を遡れば、この宮中祭祀こそ、朝廷政治の根幹であり、日本文化の源でもありました。”と説明されていました。彼の定義によれば、宮中祭祀と言う天皇の祈りこそ、日本文化の源だと言うのです。私もそう思いますし、多分、天皇陛下の最大の役割は、“祈り”にあるようです。その意味でも、今の象徴と言うお立場は、祈りに専念ができるし、政治とは関わらない御立場ですので、先の大戦の時のように政府が勝手に突っ走った失態の責任を負わされるような事は無いはずなので、ある意味良いのかもしれません。ただ、同じオピニオン誌によれば、その祈りが憲法により制限されているのではないかと警鐘を鳴らしています。憲法が定める「政教分離」(20条)によって、宮中祭祀が形骸化され、神道の伝統儀式の継承が難しくなっているのではないか?と言うのです。例えば、1975年辺りから、天皇が1千年以上毎朝行って来たと言う神殿への朝の拝礼を公務員である宮内庁の役人が代理で行うようになってしまっており、また宗教色を薄めないと憲法違反になるからと言う理由で、その拝礼を洋服でやっているようなのです。これも形骸化の一例かも知れませんね。また、2009年には、元旦の早朝に行う四方拝と言う儀式があるようなのですが、これも宗教色を薄めないと憲法違反になるからと言う同じ理由で洋服でやるようになったようです。こうして憲法20条の制限により天皇の祈りが形ばかりになってしまっているのではないかとそのオピニオン誌は危惧しているのです。まぁ、そう言った点はあるかもしれません。憲法9条だけでなく20条もやっぱ変えないとダメですね。アメリカだって聖書に手を置いて誓いをたてて政治を行っています。政教分離の主旨は、本来神を敬う事を禁じるのではなく、国が特定の宗教に肩入れして、他の宗教を弾圧する状況を避けるのが目的であって、今みたいに政治から宗教色を排除する事が本来の主旨ではないはずだ!とそのオピニオン誌は指摘しています。全くの同感です。天皇を縛る20条やその他の法律を改訂し、天皇にとっても本業とも言える“祈り”に注力できるよう、今のように国事行為に関わる必要のない“文化的象徴”という位置づけに変えるべきだ、とそのオピニオン誌は指摘しています。確かにそうすれば天皇のご負担も減り、早期引退などしなくても済んだかもしれませんね。本来宗教家はその使命を神から授かっている立場故、勝手に辞める類の事柄ではないようですのでね。要検討事項です。

いずれにせよ、今後も末永く皇室に存続頂くには、この天皇家が天照大神の子孫であると言う点を信じられるかどうか、尊重すべき美しい神話として大切に守られるべきと国民が思えるかどうかにかかっているかと思うのです。また皇室の方々ご自身にも天照の子孫だという点を信じ切っていただく必要があるかと思います。それが出来ないと今後皇室の存続は厳しくなってしまいますしね・・・。
神々はイエスだろうがブッタであろうが直接人間の前に霊として現れて説法したりは基本しません。(例外もたまに有りますがね)あくまで生きた人間を通してインスピレーションを託して神々の思いを人間に伝えんとするスタイルがほとんどです。日本の神々の思いも、高天原から派遣された歴史上に現れた幾多の偉人たちの言動を見る事で感じとれるかと思うのです。ほぼどの時代にも神の使いは地上におりますが、特に幕末から明治維新そして日露戦争辺りに掛けて活躍した偉人達はまさに神の如き英雄達であったかと思いますが、彼らの言動を通しても神々の思いと言うものは感じられるかと思うのです。神々は派遣する天使達を通して実はかなり饒舌だと思うのです。神々の思いは、欧米による植民地支配をも打破しましたし、その後も神々の願いは奇跡的な経済発展を現し、その繁栄はアジア全体に今広がらんとしています。神々の思いは、戦後も興隆した経済界や、スポーツ界、科学技術の進歩や、政治、漫画を含む文化等を通して、そして天皇を含む宗教家達を通して実に明白なメッセージとして現れてきているかと思うのです。神々はまだまだ日本に多くを期待しており、更なる責任ある立場に立つ事を期待しており、そして世界をより良き方向へと導く役割を果たす事を期待しており、実は幾つかのルートを通してそれを命じているのです。であるならば、今後もこの日本神道の主宰神の子孫である天皇家を守りつつ、日本を世界にとっての見本となるような素晴らしい国にして行かんと決意し行動する事が重要かと思うのです。新しき天皇、徳仁天皇は、気さくなお人柄の大変立派な愛すべき天皇陛下です。今後、天変地異と言う意味でも、経済混乱と言う意味でも、地域紛争と言う意味でも平成よりもっと厳しい時代が来ると予想されていますが、そんな試練の中でも、新天皇を盛り立てつつより良き時代を作って行くべきかと思います。

因みに、初代天皇、神武天皇の母親は玉依姫、祖母は豊玉姫、何れも竜宮、即ち琉球(沖縄)出身の海神であると言われており、実は沖縄は天皇家とは縁が深い土地柄と言う事になります。ですから、沖縄独立なんて言う話も左翼の方々や中国共産党は好みますが、沖縄県民は、本来そんな話に乗せられている場合ではないのです。彼らこそ、天皇家の源流の一つに相当するかもしれないのですから、日本の源流としてもっと誇りをもって頂きたいものです。

最後に、令和と言う時代には様々な難しい問題が次々と起きて来そうな気配を感じてはおりますが、でも一方でその激動を楽しみつつ強く逞しく生き抜いて行ければ良いなと考えております。そしてただ生き抜ければ良いと言うだけではなくて、令和と言う時代を立派な時代、より良い時代にすべく何らかのお手伝いを積極的に出来れば良いなと、そんな事を考えている次第です。もう令和、頑張るしかないですよね。より良い時代にしたいものです。それでは。

湖畔人

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