湖畔人です。
東條英機と言うと日本が大戦に突き進んだ時の日本の首相であり、当時同盟を組んでいた日独伊の三国同盟のリーダーは、悪名高いヒトラーとムッソリーニであったので、どうしても、ヒトラーやムッソリーニの様な独裁者みたいな人物と思われがちなのですが、でも、どうもそうではないぞ、結構な人道家だったようだぞ、と言う事実が段々と見えて参りましたね。
その一例として、戦時中、満州においてもユダヤ人救出劇があったのですが、その救出をドイツからは再三抗議があったにも拘らず、それらの反対をかわして、その救出劇を黙認して来たのは、当時の関東軍の参謀長、東条英機、その人だったと言われています。
戦時中の美談として、ドイツのシンドラーが多くのユダヤ人の脱出を助けた話は有名ですが、最近では、日本の外交官、杉原千畝が命のビザを発行し数千名のユダヤ人の命を救った話も有名になって来ておりますが、杉原氏以外にも、ユダヤ民族に貢献した人々の名が刻まれていると言うエルサレムの『ゴールデンブック』に名前が記されている戦時中の日本の軍人が二名おります。一人は、樋口季一郎氏、もう一人は安江仙弘氏です。安江氏は、当時のユダヤの専門家であり、欧州での厳しい立場にいたユダヤ人に同情をし、上層部を動かして満州へのユダヤ人の入植を提案、実現した人物です。樋口氏は、安江氏の同期で、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めており、ナチスから逃れシベリア鉄道で逃げて来たユダヤ人達に、満州への入国を独断で許可し、多くのユダヤ人の満州への入植や上海経由でアメリカに逃げる道を開いたと言われる人物です。
樋口氏は、元々ユダヤ人とは縁があり、ハルビン特務機関長時代に、満州ハルビンで行われた第一回極東ユダヤ人大会にも同期の安江大佐と共に参加をし、ドイツのユダヤ人への酷い対応を批判していた人物でした。その後すぐに、ソ連と満州国の国境にある、シベリア鉄道・オトポール駅にナチスから逃れて来た多くのユダヤ人が来ており、満州への入国を懇願されてしまいます。ドイツとは同盟関係にあり難しい判断ではありましたが、樋口少将は、八紘一宇の精神を発揮し、独断で、即日ユダヤ人への食糧、衣類、燃料の配給と、要救護者への看護、満州国内への入植や上海租界への移動の手配等を実施しました。樋口少将は、当時の南満州鉄道の総裁の松岡洋右氏に直談判をし、上海への移動希望者に特別列車で運ぶ手配をします。累計で2万人とか、それ以上のユダヤ人を救ったと言われております。この出来事は、“オトポール事件”と呼ばれているようです。その後、この事件はドイツの外相から強い非難を受け、樋口少佐も処分の対象にされそうになりますが、当時の関東軍の参謀長だった東條英機中将の面接を受けた際に、樋口少将は“ヒットラーのお先棒を担いで弱いものいじめをすることは正しい事なのですか?”と東条に問い、事情を即座に理解した東条中将は、以後、樋口氏を不問とし、その後も、ドイツからの再三にわたる抗議に対しても、東条中将は“当然なる人道上の配慮によって行ったもの”と一蹴し、樋口少将を守り続け、同時に多くのユダヤ人の命を救う後ろ盾となっていたのです。よって、一部のユダヤ人達、ラビ・マービン・トケーヤー等のユダヤ人達には、東条英機はユダヤの恩人、英雄として認識されているようです。単にイメージだけで人を断定すべきではない、様々な人の証言に耳を傾けるべき、と言う事になりますね。東条氏はヒトラーでは無くむしろシンドラーに近い人格者であったようです。
湖畔人
東條英機と言うと日本が大戦に突き進んだ時の日本の首相であり、当時同盟を組んでいた日独伊の三国同盟のリーダーは、悪名高いヒトラーとムッソリーニであったので、どうしても、ヒトラーやムッソリーニの様な独裁者みたいな人物と思われがちなのですが、でも、どうもそうではないぞ、結構な人道家だったようだぞ、と言う事実が段々と見えて参りましたね。
その一例として、戦時中、満州においてもユダヤ人救出劇があったのですが、その救出をドイツからは再三抗議があったにも拘らず、それらの反対をかわして、その救出劇を黙認して来たのは、当時の関東軍の参謀長、東条英機、その人だったと言われています。
戦時中の美談として、ドイツのシンドラーが多くのユダヤ人の脱出を助けた話は有名ですが、最近では、日本の外交官、杉原千畝が命のビザを発行し数千名のユダヤ人の命を救った話も有名になって来ておりますが、杉原氏以外にも、ユダヤ民族に貢献した人々の名が刻まれていると言うエルサレムの『ゴールデンブック』に名前が記されている戦時中の日本の軍人が二名おります。一人は、樋口季一郎氏、もう一人は安江仙弘氏です。安江氏は、当時のユダヤの専門家であり、欧州での厳しい立場にいたユダヤ人に同情をし、上層部を動かして満州へのユダヤ人の入植を提案、実現した人物です。樋口氏は、安江氏の同期で、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めており、ナチスから逃れシベリア鉄道で逃げて来たユダヤ人達に、満州への入国を独断で許可し、多くのユダヤ人の満州への入植や上海経由でアメリカに逃げる道を開いたと言われる人物です。
樋口氏は、元々ユダヤ人とは縁があり、ハルビン特務機関長時代に、満州ハルビンで行われた第一回極東ユダヤ人大会にも同期の安江大佐と共に参加をし、ドイツのユダヤ人への酷い対応を批判していた人物でした。その後すぐに、ソ連と満州国の国境にある、シベリア鉄道・オトポール駅にナチスから逃れて来た多くのユダヤ人が来ており、満州への入国を懇願されてしまいます。ドイツとは同盟関係にあり難しい判断ではありましたが、樋口少将は、八紘一宇の精神を発揮し、独断で、即日ユダヤ人への食糧、衣類、燃料の配給と、要救護者への看護、満州国内への入植や上海租界への移動の手配等を実施しました。樋口少将は、当時の南満州鉄道の総裁の松岡洋右氏に直談判をし、上海への移動希望者に特別列車で運ぶ手配をします。累計で2万人とか、それ以上のユダヤ人を救ったと言われております。この出来事は、“オトポール事件”と呼ばれているようです。その後、この事件はドイツの外相から強い非難を受け、樋口少佐も処分の対象にされそうになりますが、当時の関東軍の参謀長だった東條英機中将の面接を受けた際に、樋口少将は“ヒットラーのお先棒を担いで弱いものいじめをすることは正しい事なのですか?”と東条に問い、事情を即座に理解した東条中将は、以後、樋口氏を不問とし、その後も、ドイツからの再三にわたる抗議に対しても、東条中将は“当然なる人道上の配慮によって行ったもの”と一蹴し、樋口少将を守り続け、同時に多くのユダヤ人の命を救う後ろ盾となっていたのです。よって、一部のユダヤ人達、ラビ・マービン・トケーヤー等のユダヤ人達には、東条英機はユダヤの恩人、英雄として認識されているようです。単にイメージだけで人を断定すべきではない、様々な人の証言に耳を傾けるべき、と言う事になりますね。東条氏はヒトラーでは無くむしろシンドラーに近い人格者であったようです。
湖畔人