湖畔人です。
今回の、西日本豪雨の中でも、特に被害が大きい土地としてニュースによく取り上げられている場所に岡山県倉敷市真備町がございますね。本当に現地で被害に遭われている皆様には心よりお見舞い申し上げます。
この地名を聞くたびに何か聞き覚えがあるな、何だっけ?と何度か思ったのですが、この地はあの有名な遣唐使、吉備真備を輩出した街だったのですね。今は倉敷市真備町ですが、嘗ては、岡山県吉備郡真備町だったそうで、もろ吉備真備の名を使った地名だったのです。
この吉備真備と言う方は、実は陰陽師に興味がある人も、もしくは兵法に興味がある人も必ずその名を目にする、日本にとっては、地下水のように日本の歴史を流れ続けて来た陰陽道と兵法と言う二つの重要な伝統の流れの源流に当たる御仁なのです。まあ、どちらも伝承、言い伝えレベルのお話ではあるのですが、伝承によれば、日本の陰陽道は、中国から伝わった陰陽五行説をベースに神道や道教や仏教、修験道等様々な要素が交じり合って日本独自の形に発展を遂げた呪術や占術の技術体系のようでして、そのべースとなった物が、真備が唐から持ち帰った陰陽道の聖典『金烏玉兎集』と言われているのです。ですから真備は陰陽道の始祖のよう存在なのです。一説によれば、真備は持ち帰った秘伝を常陸国筑波山麓にいる、彼と同じ遣唐使仲間の阿倍仲麻呂の子孫に教えようとした、という伝説が残っているようです。実際、筑波山麓の明野町では、明野こそが安倍晴明の出生の地であると、信じている人も数多く、謎の多い安倍晴明ですから、筑波にて陰陽師としての基本をマスターしてから京に上ったとしても何の不思議もありません。筑波は修験道のメッカで天狗たちが法力比べをする場所ですので念の制御の鍛錬にはベスト?な環境だったかもしれません。また、安倍晴明と共に同時期に活躍した陰陽師、賀茂光栄も、1735年(享保20年)に編纂された『古戦場備中府志』によれば、賀茂光栄は、吉備真備の子孫と言う風に書き記されているようです。と言う事は平安後期には、朝廷の花形部門であった陰陽道における二大宗家として天文道の安倍氏と暦道の賀茂氏が君臨しておりましたが、実は両家とも吉備真備をオリジンとして持っていた。真備無くして両家とも存在しえなかった。両家にとっては思想的または肉体的源流にあたる人であった、と言う事になります。(本当であればですが・・・)
また、劉邦に仕えた有名な軍師、張良が持っていたという『六韜三略』の兵法を日本に最初に持ち来たらしたのも真備でして、その事から真備は日本の兵法の祖とも言われています。孫子に傾倒した武田信玄も秀吉の軍師・黒田官兵衛も、その源流を辿ると兵法の始祖として真備に行き当たる訳です。
プラクティカルな武力の運営方法を教える兵法と、念や霊力、法力等、魔術での戦いを教える呪術としての陰陽道、実際の戦いには両方実は必要ですが、その二つの源流に真備がいる訳です。大変な御仁ですね。強い武将は兵法も呪術も両方マスターしているはずです。ヘルメスもそうだし上杉謙信もそう。みんな政治家で武将で魔術師です。その大事な御仁である真備は中国との架け橋にもなっており、彼の出生地がこれだけ大変な被害を受けると言う事は一体何を意味しているのだろうかと、色々とその意味が気になってしまうのです。もちろん、そんな事が分かった所で被災者の負担や苦しみが減る訳でもないし、ある意味不謹慎なのも判ってはいるのですが、まあ、色々と考えてしまうのです。まあ、性分ですね。失礼しました。
湖畔人
今回の、西日本豪雨の中でも、特に被害が大きい土地としてニュースによく取り上げられている場所に岡山県倉敷市真備町がございますね。本当に現地で被害に遭われている皆様には心よりお見舞い申し上げます。
この地名を聞くたびに何か聞き覚えがあるな、何だっけ?と何度か思ったのですが、この地はあの有名な遣唐使、吉備真備を輩出した街だったのですね。今は倉敷市真備町ですが、嘗ては、岡山県吉備郡真備町だったそうで、もろ吉備真備の名を使った地名だったのです。
この吉備真備と言う方は、実は陰陽師に興味がある人も、もしくは兵法に興味がある人も必ずその名を目にする、日本にとっては、地下水のように日本の歴史を流れ続けて来た陰陽道と兵法と言う二つの重要な伝統の流れの源流に当たる御仁なのです。まあ、どちらも伝承、言い伝えレベルのお話ではあるのですが、伝承によれば、日本の陰陽道は、中国から伝わった陰陽五行説をベースに神道や道教や仏教、修験道等様々な要素が交じり合って日本独自の形に発展を遂げた呪術や占術の技術体系のようでして、そのべースとなった物が、真備が唐から持ち帰った陰陽道の聖典『金烏玉兎集』と言われているのです。ですから真備は陰陽道の始祖のよう存在なのです。一説によれば、真備は持ち帰った秘伝を常陸国筑波山麓にいる、彼と同じ遣唐使仲間の阿倍仲麻呂の子孫に教えようとした、という伝説が残っているようです。実際、筑波山麓の明野町では、明野こそが安倍晴明の出生の地であると、信じている人も数多く、謎の多い安倍晴明ですから、筑波にて陰陽師としての基本をマスターしてから京に上ったとしても何の不思議もありません。筑波は修験道のメッカで天狗たちが法力比べをする場所ですので念の制御の鍛錬にはベスト?な環境だったかもしれません。また、安倍晴明と共に同時期に活躍した陰陽師、賀茂光栄も、1735年(享保20年)に編纂された『古戦場備中府志』によれば、賀茂光栄は、吉備真備の子孫と言う風に書き記されているようです。と言う事は平安後期には、朝廷の花形部門であった陰陽道における二大宗家として天文道の安倍氏と暦道の賀茂氏が君臨しておりましたが、実は両家とも吉備真備をオリジンとして持っていた。真備無くして両家とも存在しえなかった。両家にとっては思想的または肉体的源流にあたる人であった、と言う事になります。(本当であればですが・・・)
また、劉邦に仕えた有名な軍師、張良が持っていたという『六韜三略』の兵法を日本に最初に持ち来たらしたのも真備でして、その事から真備は日本の兵法の祖とも言われています。孫子に傾倒した武田信玄も秀吉の軍師・黒田官兵衛も、その源流を辿ると兵法の始祖として真備に行き当たる訳です。
プラクティカルな武力の運営方法を教える兵法と、念や霊力、法力等、魔術での戦いを教える呪術としての陰陽道、実際の戦いには両方実は必要ですが、その二つの源流に真備がいる訳です。大変な御仁ですね。強い武将は兵法も呪術も両方マスターしているはずです。ヘルメスもそうだし上杉謙信もそう。みんな政治家で武将で魔術師です。その大事な御仁である真備は中国との架け橋にもなっており、彼の出生地がこれだけ大変な被害を受けると言う事は一体何を意味しているのだろうかと、色々とその意味が気になってしまうのです。もちろん、そんな事が分かった所で被災者の負担や苦しみが減る訳でもないし、ある意味不謹慎なのも判ってはいるのですが、まあ、色々と考えてしまうのです。まあ、性分ですね。失礼しました。
湖畔人