チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

泥縄

2011年07月26日 09時45分06秒 | 日記
いつもいつも泥縄で俳句を作り
句会に出席するのでなかなか進歩が無い
腰の引けた状態で年四回足掛け10年を数える

古い本を読むと
恋は短歌で始まり短歌で終わる
扇に短歌を書き記して相手に渡し
その心根に響くものがあったら返歌がくる

短歌で贈答を繰り返し結ばれたり振られたり
艶っぽい

一方俳句は短歌よりもっと枯れた感じだ
5・7・5の中また季語もある
そういう制約の中で何かを語る
基本的に俳句は写生だそうだ

頭を使う

チョッと安心するのは
あの夏目漱石大先生の俳句
友人の正岡子規にケチョンパにやられている
だからといってチャコちゃん先生と比較しているわけではないが
でもなんだか嬉しい
あの文豪もねーーー
という感じで

わが句会は「むそうの会」と命名されている
色んな職業の男性5人と女が2人
超厳しい宗匠に9年間鍛えられ
(それにしてはチャコちゃん先生成長が無い)
今は仲間だけで持ち回り宗匠をやることにして二回目

箍が外れたのか
のびのびとしたいい句が多く「選」が苦痛
どれを落とすかに悩む

そして昨日気がついたのだが
句を目で追うのと
声を出して音にするのではイメージがぜんぜん違う

日本語は「言霊」だという意味が良く分かる
音が心地よいのがいい句ということだ

短歌も必ず声を出して詠む
歌会始のあの調子が「言霊」を気に載せているのだと分かった

其れともう一つおかしなこと
最近は「土用」うなぎではなく
近代俳句では「土曜」うなぎでもいいのだそうだ

昨日は長いこと外国で仕事をし外資の会社に勤め公用語が英語
という若い人が宗匠役をやり
「土曜」のうなぎと兼題に書いてきたので
「ミスプリントね」
と指摘したら今は「土曜」も使うと返された

コレでは土用とうなぎの持つ五行の意味が全く消える

俳句の世界でも確実に日本語は壊されていくのだとーー
日本の文化もこうやって胡散霧散してしまうのかとーー

ことしまた土用鰻の長い列

一選もされなかったチャ子ちゃん先生の句
コメント
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