「冬の旅」、「白鳥の歌」 「美しき水車小屋の娘」
フランツ・シューベルトは歌曲の王
一般的には「未完成交響曲」の作曲家として
あのパンチパーマをかけたような顔が音楽教室にあった
ウイーン生まれウイーン育ちそしてウイーンで死す
同じ時代にモールアルトやベートーベン、サリエリなど華々しい
あのヨハンシュトラウスと二人だけなのだそうな
ウイーンで生まれウイーンで亡くなったのはーーー
だからと言ってウーンっ子はヨハンシュトラウスのようには
はやさない
お正月に行われるニューイヤーコンサートの楽友協会
ここでシューベルトは作曲や合唱指導などしていたのに
シューベルトの曲が演奏されることはあまり無い
派手じゃあないのね音楽が
いまチャコちゃん先生シューベルトの歌曲に凝っている
というのは音域がバリトンで
テノールやソプラノ歌手は先ず歌わない
チャコちゃん先生の音域に合っている
しかし歌詞がゲーテやハイネのものが多く
その訳詩が昔の方の言葉で「ありき」とか「着きしが」とか
古語ですな
9月の発表会のとき
シューベルトのセレナーデを歌ったが
言葉は美しいのだがなかなか胸に入らず
矢張りといおうか本番ではしっかり歌詞が抜けて
即興で作詞をしてしまった あとで叱られたがーーー
詩として観賞するのはとてもいいのだが
其れを音と言葉に合わせ表現するとなるとなかなかうまくいかない
それだけ現代語の泥をかぶっていることだ
ウイーンというところはすごいと思うが
貧しい家の子シューベルトは早くから天才の名をとどろかせた
そういう家庭にあっても
父は男の子供達に自らヴアイオリン、チェロ、ヴイオラなど教え
家族音楽会をしていたという
しかも天才は周りが援助を惜しまない
学生同士であっても
シューベルトは同級生達から助けてもらっていたらしい
その代わり美しい歌曲をたくさん作曲してお返しした
わずか31歳でこの世を去る
日本でも昭和20年の敗戦までは
才能のある子供は豊かな人たちだけでなく
普通の人たちも何かとその子の才能の花を咲かせようと
援助していた
いま手仕事の技術が消えようとしている
どこからの援助も無くひっそりとその場を立ち去る人が増えた
シューベルトの歌曲のように
技術を続けさせたい
中谷比佐子を知る→中谷比佐子の粋モダン
お買い物はこちら→KOSMOS屋
自然素材のオリジナル商品
湯文字、絹の帯まくらなど
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同じ時代にモールアルトやベートーベン、サリエリなど華々しい
あのヨハンシュトラウスと二人だけなのだそうな
ウイーンで生まれウイーンで亡くなったのはーーー
だからと言ってウーンっ子はヨハンシュトラウスのようには
はやさない
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ここでシューベルトは作曲や合唱指導などしていたのに
シューベルトの曲が演奏されることはあまり無い
派手じゃあないのね音楽が
いまチャコちゃん先生シューベルトの歌曲に凝っている
というのは音域がバリトンで
テノールやソプラノ歌手は先ず歌わない
チャコちゃん先生の音域に合っている
しかし歌詞がゲーテやハイネのものが多く
その訳詩が昔の方の言葉で「ありき」とか「着きしが」とか
古語ですな
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言葉は美しいのだがなかなか胸に入らず
矢張りといおうか本番ではしっかり歌詞が抜けて
即興で作詞をしてしまった あとで叱られたがーーー
詩として観賞するのはとてもいいのだが
其れを音と言葉に合わせ表現するとなるとなかなかうまくいかない
それだけ現代語の泥をかぶっていることだ
ウイーンというところはすごいと思うが
貧しい家の子シューベルトは早くから天才の名をとどろかせた
そういう家庭にあっても
父は男の子供達に自らヴアイオリン、チェロ、ヴイオラなど教え
家族音楽会をしていたという
しかも天才は周りが援助を惜しまない
学生同士であっても
シューベルトは同級生達から助けてもらっていたらしい
その代わり美しい歌曲をたくさん作曲してお返しした
わずか31歳でこの世を去る
日本でも昭和20年の敗戦までは
才能のある子供は豊かな人たちだけでなく
普通の人たちも何かとその子の才能の花を咲かせようと
援助していた
いま手仕事の技術が消えようとしている
どこからの援助も無くひっそりとその場を立ち去る人が増えた
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