チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

買取ブランド

2011年10月05日 11時23分31秒 | 日記
友人が買い取りブランドに自分の持っているブランド品を売り
その売上を東北の被災者の知人に寄付したという
寄付するくらいブランドを持っていたのだと
逆に驚いた

バブル期
水商売の女達は客にブランドバックをアレコレ貢がせて
すぐブランド買取商に持っていき
現金にしていた
そういうことを銀座のママに苦笑を交えて聞いたことがある

なるほどお金の稼ぎ方もイロイロあると感心した
ブランドに限らずマンションをもらった
外車をもらったという話は山ほどあった
まさしくバブル

その頃チャコちゃん先生は
船旅企画で大赤字をつくり
必死に講演しまくりで何とかその赤字も目鼻が付いた
バブルのお陰だ

ITバブルの頃
結婚をしていない30代の男性が愛人を2人も拵えて
そのマンションの風水鑑定を恵子さんと二人で
「すごいねえ」といいながら行ったこともある
其処の住民は20代前半の綺麗な女で
着るものから家具食器もちろんハンドバックも全てブランド品

「こういう生活していていいのかねえ」
おばさん二人はツイまともな生活をしないとなんて口を出し
IT長者からは二度と依頼は来なかった

わが友人は
正真正銘自分の稼ぎでブランドを買っている
「あなたケリー幾つ持ってるの?」
「12個」
「へっ」
「バーキンは?」
「6個」
「ふーーん」
他に特別に注文した旅行かばんやバックが4つ

このたびそれらをゼーーン部処分してお金に買えたのだという
なるほど
支援金になるな

「一つくらい私に寄付してくれてもよかったのに」
チャコちゃん先生情けないことを言ってしまう

「こういうことは一つでも人に差し上げるとなぜか気持ちも行くのね」
だから赤の他人に査定してもらうことがいいのだと
サッパリという

「最近は現金収入が少なくなったからこういう協力しか出来ない」
何か複雑な感じ

しかしこのブランド買取商は
「きもの類は一切ダメだったわよ取り扱わないって」
きものはいま箪笥人竿2000円といわれている

戦争直後は
このきもののお陰でどれだけの人が命をつないだことか
ブランドの王者だった
きものは命も守ったけど
日本の文化も伝承をしてくれた

何だか胸が痛い




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