チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 182

2019年06月29日 21時17分12秒 | 日記

「装いの  横浜チャイナタウン」という華僑女性の服飾史をを浜ユーラシア文化館で観て来た

チャイナドレスは旗袍という文字であることを初めて知る

またそのチャイナドレスは1920年代に誕生した中国服なのだそうだ

それまではツーピースであって「清朝」が崩壊し中華民国成立の時中国も西洋のワンピースのような活動的なスタイルになったそうな

それと同時に「纏足」という習慣も廃止されたようだ

纏足は幼少の時から足を縛って発達を止める習慣だが、その足に着せる美しい刺繍の靴も展示されていたが胸にグッとくるものがあった

纏足については諸説あるが今回はこれ以上は書かない

2部式の服は日本の奈良時代のスタイルとよく似ている

中国では上流社会の女性を「旗女」と呼びその旗女が着用していた長い上着がワンピース風に変化したので「旗袍」チャイナドレスになった

特徴は立襟でストンとスッキリした形、それに刺繍を施すことがそれぞれの階級の証のようだ

また花嫁衣装は本来の2部式のドレスが生きながらえているのも興味深い

色は赤を使うのが祝い事 

黒の凶事用のチャイナドレスは日本に住む華僑だけの習慣のようだ

日本も黒が凶事用となったのは明治の終わりだ

日本に住む華僑の女性も日本に馴染むために黒のチャイナドレスを着用したのであろう色は黒にしたけど形は旗袍というのが自分を通す意志を感じる

 

男性のチャイナ服は1930年時代にもう影が薄くなっており、ほとんどの男は洋服を着用している

チャイナドレスは近年になるまで絹を使っているが最近は化学繊維のものも多い

今でも横浜華僑の女性はチャイナドレスを着ている人が多い

敢えて民族衣装に手を通す華僑の女性の心理は母国の文化を大切に思う気持ちが強いのではないかと思う。育った国の文化、習慣がしっかり身についている

 

民族衣装は私たちが育った家の味と相通じるものがあるように思った

その味は自分のルーツ であり軸、民族衣装もきっとそういうものなのだと思う

我が着物も佳境の女性のようにどこの国にいても誇りを持って着用したいものだ

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