最近強く思う
自分との約束は「神との約束」と一緒だなあー--と
神を実証せよ、神がいると思うから実証しないと我慢できなくなる
神はあるとわかれば神の存在は自明
あるとき
村上和夫先生とお話ししていた時
「比佐子さん人間は大腸菌一つ作れないんだよ」
「先生はお米の遺伝子を読めたんだから神業ではないですか?」
「いやちがうよその遺伝子を書いたお方がいる」
「先生はその方をサムシンググレイトとおっしゃってるんですよね」
「そう」
「科学者は神の存在を肯定してはいけないんですか?」
「---苦笑」
そのあと人間は何一つ自分の体の部品を自分の手で作っていない、つくれないすべて借り物である。という話に発展していき
「じゃあ先生、私たち人間は神そのものということですよね!」
とチャ子ちゃん先生勝手に結論付けて「私は神」と思い始めた(笑)
挙句神棚の中に自分の写真を入れて、毎朝拝んでいたらある日姑が
「比佐子さんこれはあんまりではないの?」と笑いながら私の写真を神棚から外し写真をひらひらさせて私に手渡す
「実はねお母さま」
と事の次第を説明すると、なるほどよくわかるけど「やることがあなたらしい」と大爆笑
「比佐子さん自身の中に神様がいらっしゃる、ということでどう?だから自分との約束は神様との約束という落ち着かせ方の方が自然かもね」
それ以来自分自身が自分に約束したことは必ず守る、それは神との約束だから
しかしずるくなってきて、自分との約束は出来るだけしないようにしている。でも自然にさせられるときもある。こういう時やはり神の存在を認識する
体の部品はすべて神からの借り物、そうすると常に清潔にしておかねばならぬ、ああー手術をした切り刻んでしまった、申し訳ない、綺麗にいsてお返しできないよ、と悔やむ
しかし旧約聖書には「神は今を大事に生きていれば過去がどんなによくなくても許してくださる」という意味のことが書いてあって、いいとこどり専門のチャ子ちゃん先生はそこを浮き彫りして読み胸を撫ぜ下す
所がそのあとに「どんなに善行をっ積んでも今この時悪事をすればその善行も消えていく」と書いてあった
つまりは毎日その瞬間を自分に正直に生きて自分との約束をきちんと守る、これだけだよね!結局は
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