チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

今日は小暑

2022年07月07日 08時03分06秒 | 日記
七夕でもありますね7月7日、旧暦だと今年は8月4日が七夕になるので、きっと天空のショーを見ることが出来る
明治5年いきなり太陽暦にしてしまった明治政府の蛮行は、自然を冒涜するものじゃ、と今更言っても仕方がないが、七夕の行事は中国からの輸入で、本家は今でも旧暦で祝っている

明治5年12月3日をもって
「今日から太陽暦この日を明治6年元旦とする」
とやられ国民はどんな反応だったのか、暴動も起きていないようだ
もうこのころから日本人はお上の言うことに、唯々諾々としたがってきたのだろう。現在のマスクランドのように

其れとも今のように情報が一気に広まるということはなかったので、「あらそうなの?」という感じでぼつぼついきわたったのであろうか?
暦というのはそれぞれの国で作られていて、日本にもいろんな暦があった。月の運行を基準にするのか、太陽の動きを基にするのかで、暦は微妙に変わってくる。日本は国旗が太陽で暦が月、なんとも不思議な国なのだ

さて
七夕の短冊に願いことを書くというのは平安の時代から行われている「星まつり」五行の五色の短冊、そして七色の糸を使うという決まりもある。祭りというのは神様に感謝するというのが根底にある
七夕は「棚機」という字を当てて、機織りや裁縫が上手になるようにいのり、また夏野菜などの収穫祭として神に感謝の祈りを捧げる
また夏蚕の糸を織り始める祭りでもあった

祈りと感謝の日であるのに、いつの間にか「願いこと」を神様に押し付ける日になっている
「かみさまー-今年の私のねがいはこれよ、いい子にしているから叶えてね」
「よしよし分かった、お父さんやお母さんの言うことちゃんと聞くんだよ」

チャ子ちゃん先生今年は「感謝」の短冊を22枚つるしている
本来の祈りと感謝の言葉が次々に出てきて、一気に気持ちも晴れた
皆様もどうぞ
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地球の磁場

2022年07月06日 06時52分41秒 | 日記
ここの所磁石が真北をささないので、大きな羅盤を持って歩き、風水鑑定をしている。正確な羅盤は台湾製が最もよい
さて
どうして普通の磁石が用を足さないのか、それを調べていたら、科学者の間でも「地球の磁場」が動いてるという証明が上がっているらしい
特に北磁極がシベリアの方に引っ張られているという事実が、研究者によって発表されている。磁石は真北を指すのであるから真北が動いていては針が安定しないのは無理もない

何故北が動いたか
もう一つ理由があって、地球が7次元に上昇してしまった。3次元に生きる人類を置いてきぼりしてしまった
そのため、人類は地球の次元上昇に適う生き方をする人と、三次元の方が居心地イイと思う人の二極化に向かっているという

三次元というのは
「今だけ、金だけ、自分だけ」(この言葉どこかの大学の先生がおっしゃったのよね)つまりお金を持っている人が権力を握れる世界、お金の力を妄信する人によって動かす世界
その世界が今目の前で崩れようとしているのだけどー--

七次元の世界ってどんな世界かまだ見たことも行ったこともないのでわからないけど、縄文時代のような争いのない共同体で、みんなが助け合って、喜び合って、自分のやりたいことを生かし合い、生きて行く世界ではないのかしら?

最もすでに太陽の輝きも植物たちも次元上昇しているらしく、いつもの年より美しいし生き生きしている、人間だけが「我」をもっているだけに上昇が遅れているのだろうか。

世界中にいきわたっているデジタルも、この磁北の狂いで安定度が薄れることもありそうだけど、それ以上に人間自身のレジタル化が進むのかもしれない。
京都大学の大学院理学研究科付属磁気世界資料センターが磁極の位置の編纂を研究しているので、こんご地球変化の様子が発表されるのか楽しみ

科学を通り越す人間の次元上昇もありそう


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泥の清掃はぼつぼつおわり?

2022年07月05日 08時31分20秒 | 日記
長いこと生きてきていて、こんなにいろんなことが明快になった時代はない
然も「うすうすの疑問」が「あーっはんなるほど」と解けていく
神の意志に反して
一握りの(しかも世界人口の5%)の人たちが自分の利権だけで地球を制覇しようとしていた、私達はその計画にまんまとはまっていた

しかし日本人は違ったのではないかと思う
心のどこかで何か自然でないものを感じていたのではないだろうか

農薬をジャンジャン使い、化学肥料も、人工甘味料も、昭和の初めにはなかった病気がどんどん増えて、そのほとんどは食と大気汚染

チャ子ちゃん先生は地方の取材に行くたびに「なぜこんなに休眠反があるのか」とその地の人に疑問を投げていた
「国の政策です」
農地を使ってはいけない、売ってはいけない、売っていい農地と売ってはいけないものがあり、売った農地には次々住宅が建ち、農作部tが出来なくなる

東京の西では養蚕が盛んで織物も多く作られていた
しかし朝鮮戦争でその傍の米軍基地から頻繁に飛行機が発着しその音や大地が揺れることで蚕が育たなくなり養蚕が出来なくなった。と同時に織物も衰退

美しい海辺の産地に行くと
「織織りより高い賃金をもらえる」と言って原発の工場へ働きに出る人が多くなり、原発建設で土地を売ってしまった人たちは、自分の生まれた場所から去っていく

きものの産地取材をしていて「何かこの国は変」と痛切に感じていた
だからトランプがアメリカの大統領になったとき「アメリカ フアースト」と国の産業に力を注ぎはじめ、国民に安どの顔が見えたとき、いづれ日本にもそのお考えが伝わってくると思っていた

しかし5%の利権屋は最後の悪知恵を駆使して図に乗って悪さを仕掛けたら、逆にすべてが暴かれて、泥沼に隠れていた悪魔もついに光にさらされてしまった。ウクライナで押収した生物兵器の記録のすべてがロシアに没収されて、それが近いうちに国際裁判にかけられるという

恐怖をあおって人を従わせる手法は昔からあった。日本でもむち打ちや火あぶりをして服従を強いる
今はその怖がらせの役をマスコミが真面目に務めている
その恐怖の呪縛から解き放たれる日ももう近い
何故なら5%の人たちの思惑がことごとく外れてきたから

恐怖から覚めたら
確り足を地に付けて、今できることに心を傾けて、身近な人達と喜び合って生きて行くことを考えたい

日本はもともとそういう国だった「足るを知る」国民
世界中の人たちの尊敬が集まる国が日本だと思う


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結魂

2022年07月04日 07時59分15秒 | 日記
結婚ではなく「結魂」を尊ぶ会を作りたいと友人の一人が言い出した
魂が結ばれるのが「結魂」なるほどと感心する
1997年に中野裕弓さんと「私が変わればまわりも変わる」三五館 という本を出版したとき、「親友」というより「心友」の方がこの本の内容にはぴったりする、と造語を作ったが、今度は「結魂」か

確かに結婚とは男女が二人で様々なことに出くわして魂を磨き、そのきれいな魂を残して、肉体だけがこの世から消える
結婚を人間道場とすれば「結婚」より「結魂」の方がぴったりかもしれない

この本を出した時期二人とも「インド哲学」を勉強をしていた
裕弓さこの時すでに「霊的」な感性を持っていらして、凡人のチャ子ちゃん先生をいろいろ導いてくださっていたし、「TM瞑想」の先輩でもある

さてこのインド哲学を勉強している時「心」と「魂」のありかについて学んだことで私の魂の位置関係がすっきりとした

心と魂を海の景色に例えると、心は波間に浮かんでいる船、その船は波の加減によっては時々海底で安定している魂に近づくこともある、心と魂が一体になったとき、人は悟るということになるのだそうな、瞑想は船を案内するお役目
心は上に行ったり下に行ったり、横に行ったり斜めに行ったり、一時もじっとしていないけど、魂は常に安定していて、あらゆることに通じている、その魂が砂に埋もれてしまわないために、魂の存在を意識して暮らすことが必要

魂を美しく磨きその存在に輝きを持たせるのは「愛」
もちろん自分に他人に動植物に物体に、ありとあらゆる見えるもの見えないものに「愛」を注ぐことで「魂」が磨かれる

いやはやなかなかできることではないです「我」ちうものがりますものね

だけどその友人は「結魂」を提唱する
いろんな結びつきにこの考えは生かせかもしれない




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聖徳太子の一万円

2022年07月02日 14時29分24秒 | 日記
一万円の価値がもっとも高かったのは「聖徳太子」のころ
「いやーよかったよね」
と言い合う昭和生まれ

チャ子ちゃん先生は学生のころ
「アルバイトをしたら仕送りはやめる」
と親に言われていたので、仕送りの中でやりくりをしていた
与えられた金額をどう使ったかを親に報告していた
当時は現金封筒でお金を送ってくるので、封筒を開けたときのうれしさおと感謝の気持ちは半端ではない。一万円あればひと月何んとか越せた

女子寮に入っていたのでもともと寮費は支払われている、食事も三食、日曜日はおやつも出る。学生定期は通常の半額で、これも半年分支払われている。衣服は既製品など少ない時代で、洋裁店で誂える。既製品はサイズが少なく選択内にはならなかった

洋裁店には自分が着たいスタイルの見本を持っていき、生地も自分で選んで仮縫い二回で縫ってもらう
今思うと学生の分際で生意気にもほどがあるが、それが当時の女子学生の姿だった。それは親が支払う

というわけで小遣いを使うのは
映画や音楽会、美術館、喫茶店、本代、歌舞伎などの古典芸能の鑑賞は叔母のお供をするとお小遣いももらえる、生まれて初めてラーメンというのを食べたときの料金は30円。下着やちょいちぃぎは自分で払う。月に聖徳太子一枚で充分だった

学生の中には百貨店や映画館、博物館などのアルバイトが人気、土日にアルバイトをしている人もいて、その日をめがけて映画館に行きただ券もらって映画を鑑賞。
部活が放送研究会というのに入っていたので、民間放送の準備で上級生は、女性アナウンサーとして試験放送によく借りだされていた、その時のアルバイト料が一か月聖徳太子二枚、下級生はその上級生におごってもらって尊敬度が高まった

お金の価値というのは時代によって異なっていくが、聖徳太子一枚で、いろんな勉強ができ遊びもできたという時代はやはり健康な経済状態だ
それにしても消費税のない時代になてほしい




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文月(ふづき)

2022年07月01日 08時29分01秒 | 日記
今年は夏本番が6月後半から始まってしまった
来週は「戻り梅雨」というのがあるらしい
気候や自然災害は今はもう人工的に起こされているという話をよく聞く
たとえ人工的であっても、起きたことは現実、現実を直視するしかない
「炎暑のみぎり」なんて言葉を聞かなくなって久しいなあ
「文」を書かないから時候の挨拶語は死語になっているやも

七月は「文月」ふみづきと読む人も多い
しかしチャ子ちゃん先生は先輩たちに「ふづき」と教わった
暑中見舞いや暑気払いなどの文が届くのはこの季節

中学や高校で「書」の講義が無くなって、ボールペン全盛の今はマールい可愛い字を書く人が多くなった。そういう字を見ても今は誰も何も言わない

怖かったよ50年前は(たったの五十年)
携帯電話などなく、電話で約束を取るなんてこんな無礼なことはないとされていた
取材したい相手に礼節をわきまえた文章で手紙を出し、返信のはがきを入れて約束をさせていただいた、もちろん二回目からは電話で平気

玄関に入る前に身を整え深呼吸をしてベルを押す
スーツなどをきてキチンとした風情を醸し出す
通されたら迷わず下座に座る、勧められるまで座布団の上には座らない
洋間だったら足は絶対に組まない、深く座らない

手土産は包みから出して、洋間の場合は机の端、日本間の場合は畳の上に差し出す。口上は「お口に合うかどうかわかりませんが召し上がってください」
「つまらないものですが」
と差し出したら
「つまらないものならい頂かないよ」と返されたという話を聞いたことが在る

でも
あっという間に取材する人の態度が粗野で傲慢になり、それと同時に人間そのものが下品になっていった気がする

日本人の社交術も変わった



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