チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 七五三

2023年11月15日 10時32分11秒 | 日記

氏神様に子供の成長を報告するという習わしはとても美しい

神との付き合い方の正しい姿だと思う

日本の国の神様は「すべてのものにかみやどる」ということで、人はそのモノに対しても感謝しながら日常を過ごしてきた

特に子供の通過儀礼はもっとも大事な行事

子供が育つことのうれしさは親はもちろん、その周りの大人たちの希望の星でもある

 

幕末日本に来た外国の文化人たちがこぞって日記に書いている文言は

「この国の子供たちは目がキラキラして元気がよくいつも笑顔に満ちている、大人たちはみんな子供を大切にしている。実にほほえましい姿だ」

常日頃は母親の手製の粗末な着物を着ていても、この通過儀礼の日は一気に晴れ着に手を通す

親たちはその晴れ着を購入するために、日頃から少しずつ少しずつお金を貯金してこの日のために新しいものを購入する

 

しかし

それは全くその場限りというのではなく、三歳の子が着た着物は、のちには裏や襦袢にする

五歳の祝い着は大人寸法に織り込んで仕立てをする、七歳の祝い着もそう。必ず後に役立つ仕立てをして決して一回きりの消費ではない

其のため肩揚げ、腰上げがある

帯ももうこのころからつけ帯だ、大人用のものをたたんで小さく見せている

今は既製品やレンタルが多いので一回限りの祝い着になっているが、モノを大切に着るという心配りが祝い着にも見える

 

祝いの膳も地方で様々だった

いろんな地方の取材をしたが、まるで婚礼の披露宴のような豪華な地方もあった

子供はみんなの宝という思いが強い時代があったのだ

 

今日のチャコちゅうぶはこういう話をしようと思う 20時から

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再販・増版

2023年11月14日 09時21分14秒 | 日記

「続・きものという農業」の増版が決まった

校正中なのだが何回見てもミスがある

基本的に読み返すことのないチャ子ちゃん先生の性格は担当者が大変

今回は「きもの」のことは全く分からない、今回だけではない前回もそうっだった、きものが日常に自分の周りにない若い編集さんにとって、他国の文化を知るような感覚らしい。そのため言葉の意味が解らないことが多く、大変な思いをしていらっしゃる

知らない言語が多いので、書いた原稿はそのままになることが多い。その書いた本人が間違っていればことが大変。特に最近は手で書かないので、パソコンの転換を鵜呑みにしてというより身もしないで、うってしまう。

きものにまつわる言語は、すべてに意味があり格言にも用いられていることも多い

糸を縒るという言葉が「縒りを戻す」なんてことに使われたりしている。こういう言葉が日本語にいっぱいある

 

きものの本は売れない、チャ子ちゃん先生ちょうど今回の本で35冊目の本を出版しているが、印税では全く食べていけない

増版になったのはそのうち4冊だもの。着付け専門の本はよく売れるらしい

昨日も「文化はビジネスにはならないよ」といわれたけどその通りだ

だけど着物が果たしている日本の文化を発信していきたい、黙ってひたすら糸を吐く蚕の気持ちを代弁したい。そう思う。蚕にしてみれば、そんな事構わないでというかもしれないが、あの小さな体から生まれる糸が、卵が日本を近代国家に導いたのだもの、それを語らずどうしてくれる。なんて意気込んでも仕方がないが

 

日本はモノづくりを他国へ渡してしまったが、今この時代はもう一度感性のある日本人の手でものづくりが始まりつつある。野菜や果物まずは食からその潮流がうまれた、着るものも石油繊維より自然素材という風潮が生まれつつある、きものもあるものをリメイクして、絹のすばらしさを肌で味わう、そういう風潮になってきたのがうれしい

 

これから先人たちの智慧が生きてくる社会になっていく、そういう時真摯にものづくりをしている人たちの姿が私たちに生きる光明を与えてくれるのではないかと感じている

きものを識ることでやはり日本が見えてくる。

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長生きしてください

2023年11月13日 10時24分22秒 | 日記

最近チャ子ちゃん先生に「長生きしてください」と声掛ける人が増えている

「えっ長生き?わたくし?」

自分のことが全く分かっていない!振り返るともう十分長生きしている。歳など全く気にせず生きてきたので、今さら年を認識させられ当惑気味

「そうなんだ私は年老いている人間なんだ」

年老いた人間がどういう生き方をすればいいのか、それは先人たちが身をもって教えてくれたことを思い出せばいい

そういう先人たちのことを思い浮かべると、ああ自分がなんて貧しい、しっかりしていないし、恥ずかしい。と身のすくむことばかり

振り返って若い人を見ると「みんな自信に満ち満ちている」いいよなあ

 

・謙虚であれ

・恥じらいを持ちなさい

この二つを叩き込まれた世代だ、先人たちのまぶしいばかりの人間力に包まれて生きてきたので、自分の立ち位置がいつも「教えを乞う」という姿勢にいる。そのため「長老」といわれると落ち着かない

だけど「長老」なんだよな、年だけは

先人たちの大人ぶりには程遠いが、彼らの生きた軌道を思い出しながら、自分が受けた幸せな時間と空間、更に日本人としての誇りを、次の世代に伝えられることは伝えていきたいと思う。そういう意味で長生きはいいのかも

 

彼らの教えの中にたくさんの宝が入っている、一番の宝は真実を伝えることだった。真実を勇気をもって伝えることの大切さを、今こそ示さなければならない

そして「日本人の常識」も大事にしていきたい、

今朝はいきなり寒くなった空を見上げていたら、こんな感慨を持ったまで

 

 

 

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焚書

2023年11月12日 09時01分52秒 | 日記

日本の重要な本がGHQの手によって焼かれたという話を聞いたのは兄からだった

大学の卒論の時テーマを決める相談をしていた時だ

西洋とかアメリカかぶれしている妹を苦々しく思っていたらしく、「ギリシャ神話に見る国の在り方」というテーマにしようと思う、と言ったら

「日本の古事記の方がよっぽど面白い、しかし本当の古事記の本は焼かれてしまっているけど」

「なにそれ」

「日本での良書はみんGHQに焼かれたんだ、日本の文化や歴史を勉強しないで何ふわふわしてんだよ」

「ふわふわとは何よ!ちゃんと勉強してるわよ」

「日本のこと何もわかってないだろう?なんだその恰好ちゃらちゃらして」

 

日本の歴史、日本の伝統文化、日本人の侍魂など叩き込まれている敗戦時14歳の兄は、い未だアメリカやヨーロッパの文化になじめないし、取り入れられない。チャカチャカ外国かぶれをしている妹を「まったくーー」という思いで眺めている

しかしその時兄が言った「良書が焼かれた」という言葉はずっと残っていた

 

そのころ民放テレビが誕生したりして、これから放送の時代かなと思い、卒論を急遽「放送芸術」にした

そして放送のことをいろいろ調べていたら「プレスコード」という言葉に出会い、それはGHQが放送に限らず、新聞ラジオ書籍において「告知前の検問」をするというものだった

いやーこれは大変な世界に踏み込んだ、と混乱し、放送の未来に視点を変えてお茶を濁してした卒論になったけど、まあ合格して卒業ができた

 

その後マスコミの世界に身を置き改めて「焚書」の話を聞く機会が多くなった

それが後年大嘗祭の本を執筆することになり「皇室って何だろう」と天皇陛下のお仕事っていったい何をなさっているのか、と徹底的に調べ始めたら、参考資料が少ない、少ないはずGHQによって500冊もの皇室関係の本は燃やされていた

焚書の研究家である澤龍氏によると焚書の数は7769冊にもおよぶそうだ。その対象になったのが、ユダヤ系の図書300冊 その他世界史、日本史、教科書、古事記、万葉集その他の論文があるという

しかし面白いことに日本人は読書が好きなので、家庭で読んでいた禁書が、昭和の終わりごろにぼつぼつ古本屋に出てきて購入することができるらしい、本好きの民族ならではの抜け穴

焚書は日本人の精神性や思考をずたずたにする戦略が功を称した一例かもしれないな

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比佐子塾

2023年11月10日 11時39分11秒 | 日記

友人の嶋田恵子さんが「比佐子塾」をひらいてくれた

「いつも私だけが比佐子さんを通じて知る、先人の叡智を聞いているのもったいないからね」

一回り以上も年の差があると、日本の教育がいかに変化していたかがわかる

人としての基本の作法が全く教えられていない

チャ子ちゃん先生も若いとき、先輩たちから

「えっ今の若い人こんなことも知らないんだ!」とあきれられていた

「自由、解放」のお履き違いが私たちの年齢にもあった

 

長幼の礼などくそくらえ、そういうことをする人が古い、みんな平等、女だってタバコを吸っていい、ズボンはいていい、女も仕事をもってもっと社会に出ていくべき、お茶くみなんてとんでもない、男も女も平等だ、と威勢がいい

きものを着るなんて古い女の衣装である、フランスのフアッションっ最高!

しかし社会に出るとそうはいかない

人としての嗜みがないとコミニケーションがうまくいかない

やはり日本人としての基本的なやさしさ強さの作法を身につけておかないと、人としての存在がおろそかになる

 

ここでは初めて家庭教育と諸先輩たちの助言が生きてくる

敗戦後の日本は日本人であることを捨てることから始まった。そしてそれが現代風であり、進歩的だといわれたのだ

そして70年を過ぎ私たちは忘れたり失ったものが多い

それを拾い上げ日本人の誇りを取り戻し、日本の文化を大事につなげていきたい

 

失ったもの忘れたもの、それはそのように教育されたことであった!ということがこのパンデミックで明らかになった

そこをお話しできる幸せを感じている、好きな日本のためにはじえmた「比佐子塾」明日二回目

 

 

 

 

 

 

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どう崩れるか見定めよう

2023年11月09日 08時00分35秒 | 日記

川邉サチコさんとの会話から

「最近顔に糸をつってしわを伸ばす技術ができたんですって?」と私

「うんそうよ」

「法令線も目の下のたるみも一気にもちあがるわけ?」

「そうよ」

「一生ものなの?」

「そんなわけないでしょう!」

「一度やったらずーーとやり続けるの?」

「そうよ」

「痛いのかな?」

「痛いに決まってるじゃあないの」

「高い?」

「うん」

 

「大体人が生きていれば老いていくのは当たり前、その当たり前の事実とどう付き合っていくかの方が本筋でしょう?あれこれ手を入れてた人たちをずっと見てきたけど、それはそれ。私は勧めない」とサチコさんのプロ意識

「見たねえ、彼女ひどいことになっていたものね」

「いろんな人の顔を触ってきたけど、結局自然に逆らわなかった人が最後まできれいよ」

「うん確かに、93歳で死んだ姉の肌はつやつやしていたな」

「ああのお姉様ね」

 

「でもだんだん崩れてくるよ、顔つりたくなる」と私

「仕方ないでしょう?どこまで崩れるのかそれを見極めるのも私は美容家としての仕事だと思ってる」

「そのための努力はするんでしょう?」

「当たり前じゃあないの!」

「教えてよ」

「崩れるのを隠さないことだと思うよ」

「サチコさんは腕のしわ丸出しで泳いでるもんね」

「比佐子さんもたるんだおなかでバレエやってるじゃあないの」

はははーと声上げて笑う二人

 

「まあ よく顔を洗い、髪の毛も体も清潔に保つことかな?心も体も自分の意志で整える」

「衣食も整える」

「おしゃれ心失ったら坂道転がり落ちるわね、男も女も同じよ」

「食べ過ぎるというのもよくないなあ」

 

「ね、今日何食べる?どこに行こうか?」

二人の会話のオチはいつもここ

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本日立冬

2023年11月08日 09時02分50秒 | 日記

二十四節気の中の立冬が本日

四立 立春,立夏、立秋,立冬

ニ至 夏至、冬至

ニ分 立春、立冬

 

本来日本人の暦は太陽暦ではなく「太陰太陽暦」を使っていた、つまり「陰暦」とか「旧暦」というやつ

それによると本日は9月の25日に当たる、お月様もちょうど日にちと一緒で今夜は25夜、25日待月といって月は#夜中に出てくる。恋しあう男女がこの月を眺めながら時を過ごす、という描写の古文があるけど、先人たちの生活は優雅、だから短歌や詩、物語も生まれ、歌や舞、言葉を使い体で表現し、みんなでいい時間をすごしたのであろう

 

思えば明治政府がいきなり明治五年の12月を「今日から明治6年一月一にする」というお触れを出し、日本国民は一気に「太陽暦」を使うようになった

この4年間のパンデミックのサンざまなことを見ていると、日本はこの明治維新からおかしな国に突入したのかもしれない

まず暦を変えられたことは漁業や農業の人たちにとってややこしいことであったことだろう

養蚕もこの陰暦で行っていたので、手順がくるってきた。そのため「人の思惑」が中心になり、いつんまにか「自己中」の生き方になってしまった。自然はそんな事お構いもなく、月の運航で生命を続けている

女の体も「月経」という28日周期の動きをしているが、それも最近は狂わされている

人の生死も潮の満ち引きであったが、今は薬やなんかでめちゃくちゃ

 

この本日の立冬の異常な暑さ

何かを感じさせる自然の問いかけかもしれない

さて

きょうも「チャコちゅうぶ」20時から

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今11月よねえ

2023年11月07日 16時26分05秒 | 日記

袷の着物を着て歩くと暑いじわっと汗が出る

西洋やアメリカのお客様は大体ノースリーブになっている

日本人は律儀だから、「11月は冬支度よね」という装いだ

生ぬるい風がほほをかすめる

「なんだか気色悪いね」と言いながら友と日比谷公園を散策

 

「ところでこの公園も1000本樹木を伐採するらしい」

「どういうこと?」

「そういうこと」

「ここはもともと松平備前守のお屋敷だったわけでしょう?江戸時代」

「そう桃太郎侍のお兄さんね」

「双子の兄弟なのよね、なんといっても昔の大名のお屋敷は広いね」

「住んでいる人の人数も半端ではないわね、100人以上でしょう?大会社だわ」

 

「そのころからの樹木もあるんでしょうねえ」

「あれなんかそうかも、幹が太いもの、楠?」

「もともと入江だったから松の木も多いねえ、いまも」

「そうだ松本楼でお茶しない?」

「いいねえ」

 

1000本伐採してビルとビルをつなぐ渡り廊下のようなものを作るのとか、動く歩道とかおかしいねえ

根を張り大きく葉を広げた樹木は、人を和ませる、そしてそういう生き方をしたいとも思わせる。そこに存在しているだけで、何かを深く語ってくれる

私たちの先人は、自然の姿をしっかり見ながら自分自身の成長の師と仰いだのだ

この地で生活した古の先人たちの姿を、それぞれに想像しながらのんびりお茶

それにしてもこの暑さいつまで続く?

 

 

 

 

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外国のお客様

2023年11月06日 09時56分27秒 | 日記

最近チャ子ちゃん先生電車の中で席を譲られることが多い

譲ってくれる100%の人が外国人

日本に来たら「老人や弱い人に親切に、席を譲ろう」と案内に書かれているのではないかと思うくらい、判で押したように席を譲る

自分のことを老人と認識していないチャ子ちゃん先生としては、譲られるのは複雑、せつない気持ちに陥る

「着物姿」ということもあるかもしれないがーー

 

一昔前は並ぶということを外国のお客様はやっていなかった。平気で先頭に立って顰蹙を浴びていた

それが今はきちんと列の後ろに回る

大声で話し合う人も多かった、しかし今は静かだ。それにスマホに向かっている人は少ない

 

デパートのブランド化粧品売り場は外国のお客様でおおにぎわい、口紅一つ買うのに何時間も待たされる。なのでこちらは必然的に自然化粧品の売り場に行く

「すごいね一階の化粧品売り場」と声をかけると、

「海外より40%はお安いんですよ、免税もありますから輸入品は」

「値段は比べることができるからわかりやすいですわね」

「ええ、あちらの売り場にも大勢いらっしゃいますよ」

見ると文房具売り場

 

円が強いころはこちらも化粧品や台所用品などは外国で購入することが多かったなあということを思い出す

日本円はそれだけ弱くなっている

化粧品売り場やデパ地下の果物売り場に、大きなキャリーバックをゴロゴロさせて買い物をしている。購入の仕方が爆買い

ホテルに泊まっても、食事は自分たちが購入したものを食べるらしい。バスも満員、必ずキャリバックを持って入ってくる

生活の仕方が賢い、100円ショップでも爆買い、100円は100円ではなく半額になるのであろうから、何としても安い

 

表に出ると毎日こういう風景の中。それにしても多い、外国の方それもいろんな国の方

先日は地下道で地に座っての礼拝をしているグループに出会った。なんだか通り抜けるのがはばかれる

日本どうなっちゃうのかなあ

 

 

 

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無条件の愛

2023年11月05日 10時23分31秒 | 日記

チャ子ちゃん先生は蚕の一生を見て、蚕が人に声明を当て和えつくすところをみて「無条件の愛」を教わったと公言している

自分の命を他のものに与えてそれが自分の満足,愛なのだと人間は思わない

モノ言わぬ蚕が人にささげている姿は尊い、だからこそわが先人たちは蚕にいただいた無条件の愛を、きものという形の中で「使いつくして」その愛に報いるという行動に出ているのだと思う

無条件の愛は「与えたら与えたことを忘れる」というものだと思っている

与えられた方がそれをどう生かしていくかを考える

ところが

この無条件の愛を「与えなければいけない」と思っている人が多いのに気が付いた

どんな目にあっても「無条件の愛」で相手を許す。そういう風に考えて自分自身を愛さない

これって絶対違う

私たち人間は「無条件の愛」など人に与えることはできない

 

それを体験した

自分が失敗したから相手に謝る

こうしろああしろと言われれば、相手に愛を持つことこそが大切と思い、条件を付けない愛を注ぎ、いわれたことを黙ってする

そうすると相手はどうしていいかわからず、逆に無理難題を押し付けてくる

それでも引き金は自分の失敗だから、自分が悪いんだからと相手の要求を無条件に飲んでいく

この繰り返しが「いじめ」や「暴力」の原因になっていく

愛を注いでいるつもりが、相手に傲慢さという武器を与えてしまう、相手も自分の落としどころがわからなくなってる

悪循環

 

無条件の愛は自分自身に与えないと、自分が壊れていく

蚕と日本の先人たちの関係って本当の「愛」を知っている同志だったのだなあとつくづく思う

 

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