あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

不思議

2014-06-08 09:42:00 | 憤る
政権交代後、経済が上向きになっていると言われるが、豊かになったという実感は全くない。円安により物価はじわじわと上がり、消費増税が追い討ちをかけるという状況に、生活防衛を真剣に考えている。

このような状況のなか、いくら鈍感な日本人とはいえ、ここまで追い込まれればペテンに気づくのではないかと思うけど、現政権の支持率は下がることがない。その値に「偽装」を疑いたくなるものの、これだけ振り込め詐欺の被害が後を断たない国なので、それもやむなしといったところだろうか?

そんな中、彼は次に「集団的自衛権」なるものに熱を上げている。元々は憲法改正を狙っていたようだけど、それが難しい…ではなく、アメリカにダメ出しされたからか…となると、今度は憲法解釈を変えることで改憲と同様の効果を得ようとする。彼の党は、以前の会見論議の中では9条以外についても触れていたと思うけど、結局狙いはそこだけだったようで、「馬脚を現す」というのはこういうことだという、国語辞典的には好事例となった。フリップを使った記者会見を少し見たけど、毎度ながらセルフラブなお坊っちゃまといった印象しか受けなかった。

ところで、最近ニュース番組に対する信用をなくしてしまったからか、あまりニュースに触れなくなっている。だからなのかもしれないけど、戦後からこれまで、集団的自衛権があったら上手くいったケースについて言及される報道はあったのだろうか。たぶん悪意を持ってそれを進めようとしている政権も、そんな説明をした方が伝わったのだろうけど、そんな事例は実はないということなのかな。。

「日本人も血を流すべき」といった話がよく出てくるけど、「誰もが戦いによって血を流すことのない世の中を作る」ことこそ日本の役割ではないか。まあ、国を動かしているのは守銭奴なので、そんなことは頭の片隅にもないのだろう。だからといって、「だったらあなた方がまず先に!」というのは、彼らの血によって彼らの狙いが実現に近づくという意味で、放ってはならない言葉だと思う。

声を上げても変わらないと諦めるのではなく、それでも声を上げることの大切さを考えていこう。

遅れついでに

2012-01-23 07:29:30 | 憤る
今朝はいつもより目覚めがよく、順調な滑り出しだと思った途端、途中駅で閉まったドアが再び開き、「線路内に人が立ち入った」という知らせを繰り返し止まり続けた。

ようやく動き出したものの、約10分ほど遅れている。朝の通勤時間帯は「たかが10分」と済ませられるほど気持ちに余裕はない。腹立たしくなるが、怒るだけ無駄な気もして諦める。

いつもの電車に乗り継げず、急ぐ意味もないので、各駅停車に乗った。途中駅で後の電車の待ち合わせがあり、その電車に十分な空席があったにも拘わらず。

まあ、こんな日はゆっくり本でも読みながら行こう。

推認

2011-09-27 22:17:48 | 憤る
昨夜そのニュースを聞いた時、思わず耳を疑った。だが、それは事実であったらしく、テレビでも新聞でも、その判決に対し疑念を表明する内容はごく一部だった。

いわゆる陸山会事件で、一審の東京地方裁判所は小沢一郎代議士の元秘書ら3名に執行猶予付きの有罪判決を下した。それを伝える昨夜のニュースを見ている間、一体何を根拠に有罪となったのかが良くわからなかった。今朝の朝刊を読んで、ようやくそういうことなのかと理解ができたが、では、この中のどの部分が事実なのだろうかという疑念が湧いた。

判決文の内容は事実に近いのだろうと思いつつ、これが判決文なのだと言われても、まるで出来損ないのサスペンスドラマのエンディングを見せられているようだ。

「疑わしきは罰せず」から「疑わしいから罰する」へと大きく舵が切られた。「推認」という言葉を使えば、いくらでも有罪判決を生むことができる。その標的が自分になる時まで、この判決の恐ろしさが理解できないようだ。

ならば、東日本各地に放射性物質を撒き散らした原子力発電所について、それを推し進めた元与党をはじめとした面々について、その責任を推認してほしい。彼らがいなくても被災地の復興や原発事故対応が遅れることはないから、執行猶予は要らないだろう。

両論併記

2009-12-14 22:29:30 | 憤る
アメリカ軍の普天間基地移転をめぐり日米の関係がこじれ、また連立政権内でその対応策が揺れているというニュースが連日流されている。

そもそも辺野古沖への移設が論議されてから10年以上経って一向に進んでいないということは、移設案の実現性がほとんどなかったと言えなくもなく、また「時のアセス」という観点からも、政権交代という契機からも、見直しは当然である。それこそ、「東アジアの軍縮」を徹底的に論議することも必要である。

それなのに、僕が知る限り、マスコミの大半の主張は「日米関係を守るために、合意を守れ」というものに聞こえる。第二次大戦中、日本軍は沖縄の人々を守らなかったということを聞くが、自由な時代となったこの今、自由な社会を守る言論人たるマスコミが自国民でなくアメリカの顔色をうかがっているというのがどうにも解せない。いや、それ以前に自分も含め沖縄県民以外の人々は彼らに思いを馳せているのかと思うことが多い。せめて、それが「平等」とはかけ離れていたとしても、両論を並べて扱ってほしい。ただ、話がこじれればそれだけ、普天間の危険性が改善されないという問題がある。それについても論議を尽くすべきである。

そういう僕も、行ってみようと思いこの本を買ってから10年近く経ってもなお沖縄を訪れていない。現実を知るために、そして沖縄そのものの魅力を楽しむために、来年こそは一度行ってみよう。そう、先日仲間の結婚式で出会った着付師の方を訪ねてもみたいし…

抑止力

2008-06-09 23:51:50 | 憤る
昨日の事件に対し、法務大臣が死刑制度について語ったようだ。

死刑制度の是非については、正直自分自身の気持ちも揺らぐ。こんな事件があると、やはり死刑も必要なのでは…と思える。けれども、単に死刑にすることが、被害者にとっても、また犯罪の抑止という観点からもいいのだろうか?

犯人は死刑を望んでいたという。最近起きた他の無差別殺傷事件でも、同じように犯人は「死刑になりたかった」という言葉を口にする。その言葉を額面どおりに受け取っていいかという疑問はあるものの、その言葉は死刑制度の根幹を揺るがしているように思えてならない。「死刑になりたい」というのは、「死刑を恐れる」ことが当たり前といったような考えを完全に否定しているからだ。
遺族の方の気持ちはわからないが、犯人に死んでもらいたいと思う気持ちもあると思うが、犯人が死刑になったところで気持ちが治まるものだろうか?

ふと、むかし歴史で習った「ハムラビ法典」を思い出した。「目には目を」というフレーズが印象的だが、抑止というにはそうした刑罰も検討してもいいのではないかと思った。だが、もしかしたらそれは死刑よりも残酷かもしれない。

僕はむしろ死刑廃止論に肯定的な立場だが、終身刑の導入も含め、さまざまな検討が必要だと思う。
難しい問題と逃げられない。そう、裁判員制度の運用は迫っているから。

やりきれない

2008-01-23 23:22:47 | 憤る
昼休み、検索サイトを開いてすぐにある文が目に入った。
先日、生まれたばかりの乳児を強盗に殺された母親が亡くなったというそのニュースを開くと、歩道橋から飛び降りて車に轢かれたと書いてあった。

乳児が殺されたことに、強い悲しみを感じたことをここでも書いていたが、そのとき、母親の悲しみの深さに不安がよぎった。だが、僕には何もすることはできない。
たぶん、彼女と結ばれる男性も、彼女のお母さんも、そして周囲の人たちも気遣っていたに違いない。けれど、それでも救いきれないほど深い悲しみの中に、彼女は堕ちていってしまったのだろう。

彼女が自ら死を選んだことを、とても悔しく、とても悲しく思う。だが僕は、彼女の選択を批判することはできない。一年近くかけて自分の体の中で育ってきて、生まれてからも泣いて彼女を求める乳児が、自分の目の前で命を奪われるという、あまりにも残酷な仕打ちに対し、何の救いがあるだろうか… いや、救いはあったのだろうが、若く純粋な心の持ち主だったのだろう。

何よりも、母子のご冥福を、そして、残された家族に救いがあることをお祈りする。