あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

列車チャイム

2015-03-05 20:57:56 | 旅する
先日、夜中にスマートフォン宛へのメール着信で目が覚め、その後寝付けずにいた。そして、何か子守歌にでもと思いyoutubeで列車チャイムを検索して聴いていた。結局はその後寝付けずに過ごしたのだけど…

さて、元鉄道オタクの僕は今でもたまに鉄道を特集した番組を視ることがある。そんな時によく、ミュージシャンの向谷実氏が登場する。

始めのうちは面白い人だなあと思っていたんだけど、あまり頻繁に登場するとくどさを感じてしまう。まあ、それは彼にだけではないけど…

その向谷氏は、JR九州や関西などの私鉄各社の発車チャイムや列車チャイムを作られている。彼の作品だと意識して聴いたことはないけど、上記の番組などで何度か聴いていた。そして、冒頭でリンクしたyoutube画像の中にも「向谷チャイム」として九州新幹線の列車チャイムが入っている。

で、僕は向谷氏が作った列車チャイムより、昔からあるものの方がいいと思う。「鉄道唱歌」はタイトルもよく知られているけど、以前夜行列車に乗った時に聴いたメロディは「ハイケンスのセレナーデ」という曲には旅情を感じる。そして、僕は聴いた記憶がないんだけど、気動車で使われている「アルプスの牧場」という曲もいい。そう、総じてシンプルな音楽の方がいい。まあ、それは趣味の問題なのかもしれないけど…

そんな音楽を楽しめるような列車があったら、コアなファンが集まるかもしれない。僕も一度は乗ってみたい。出来れば、リクエストができたらとも思う。地方の鉄道でそんな企画を採用してくれたら嬉しい。そして、音源を作り直してもらえたらとも思う。
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探梅

2015-02-22 23:36:00 | 旅する
昨日、今日と、茨城県ひたちなか市で開催されたバレーボールの試合を観戦に行った。

昨夜は一駅となりの水戸駅近くのホテルに泊まり、今朝は偕楽園まで出かけてみた。
千。波湖(せんばこ)の湖畔を30分ほどあるいただろうか。曇り空の下、少し冷え込む中でも、その道はジョギングや散歩をする方々で賑わっていた。

そこから線路を跨ぐ橋を渡り、くねくねとした坂道を登りきると、お土産物屋さんが立ち並ぶ先に偕楽園の入口(東口)があった。

偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と共に「日本三名園」に数えられる。兼六園には20年以上前に、そして後楽園には4年前に訪れた。一番近い偕楽園が最後になったのは自分でも面白いと思う。

偕楽園では2月20日から「水戸の梅まつり」が開催されていて、昨日も行きの列車が臨時停車した偕楽園駅では、ボランティアの方々だろうか、列車から降りるお客さんにパンフレットを配っていた。

ところが、昨日宿泊したホテルのロビーには偕楽園の梅の開花具合が「7%」と表示されていた。フロントの方に諦め半分で伺ったところで蕾が緩む訳もなく、それでも予定は変えなかった。

園内には数多くの梅の木があったものの、「7%」という現実が突きつけられた。それでも、花を開かせた木々を見つけては、その小ぶりな花を写真に収めた。買い

次の予定があったので、梅の木が並ぶエリアだけしか観なかった。またもや「先達はあらまほしきことなり」を地でいった感じだろうか。それでも少し疲れたので、入口近くの休憩所に陣取り、しばし休むことにした。すると、地元の方々が何人か集まり賑やかに談笑されていた。今日は写真展の表彰式が行われたそうで、集まっていらしたのはその受賞者の方々だった。

耳だけ関心を寄せていたのに、声を掛けられお菓子や缶スープをごちそうになった。そして、一人の方とお話をさせていただいた。僕はもっと花が咲く頃に伺いたいという話をしたところ、この時期は花が少なく、それを探しながら楽しむことこそ最高の贅沢だというお話を伺った。「探梅」と言うらしい。なるほど、確かに今日は贅沢な花見だったんだなあと嬉しく思った。相変わらず自分は単純だなと思いながら…



そしてその方から、雨の後こそ美しいということも教わった。梅の木の幹が雨に濡れ黒く輝く姿が美しいそうだ。そして、古木が味わい深いと、ご自身の名刺に印刷された梅の古木を見せていただいた。確かにそうだなと思った。というのは、僕もいくつかの古木を見つけ、その佇まいに目を止めた。






短い時間ではあったけど意気投合し、楽しくお話をさせていただいた。そう、梅の開花状況を確認する方法も教わった。ご自身が携わるホームページに記載されていると伺い、帰宅後早速確認してみた。
http://www.kairakuen.u-888.com/

今年はもう一回行くことは出来ないだろうけど、次回伺う時には事前に確認しておこう。

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佐賀

2015-02-02 21:57:42 | 旅する
昨日も書いたけど、先週末はバレーボールの観戦に佐賀へ行った。

学生時代の締め括りに九州を訪れた際、鳥栖で乗り換え長崎に行き、また長崎から熊本、鹿児島に向かう際に通過したことはある。けれども、佐賀を目的地にしたことはなかった。

佐賀と言えば、はなわさん、「がばいばあちゃん」、そして、吉田修一さんの『悪人』を思い出す。有田とか伊万里とか有名な焼きものの産地もあるけど、正直、存在感が希薄だ。

さて、土曜日はバレーボール観戦後に会場からホテルまで1時間以上てくてくと歩いたのに、賑わいのある場所は駅の構内くらいだっただろうか。一見客にはわからない場所があるのかもしれないけど、それにしても寂しい。昼間,、乗り合いタクシーの車窓から眺めただだけたけど、映画『悪人』に登場した佐賀駅前がそのままあったくらいしか印象にない。

結局、夕食はホテルの和食処でいただいた。一流ホテルの系列だけあって、料理は美味しく、また女将さんはじめ店員さんのサービスも良かった。それは、食事代に課されるサービス料以上だったと思う。それでも、地元に根付いたお店の暖簾をくぐってみたかった。

翌日、ホテルからすぐ近くの巨大な建物が目に留まった。佐賀県庁だった。城跡に建てたからだろうか、街並みと比べてあまりにも立派なのに驚いた。



一方で、中心市街地と言えるような場所は前の晩歩いていてもなかなか見つからなかった。こちらはその時に訪れたアーケードを日曜の朝に撮ったものだけど、朝だからシャッターが閉まっているのは当然としても、寂しい。昔は右側の空地(駐車場)にも店舗が立ち並び、



行ったのは随分前になるけど、熊本・天草の本渡や高知の中村などと比べても、街に賑わいがない。もしかしたら気づかなかっただけなのかもしれないけど、どこで食事をしようかと観光情報やGoogleマップなどを見ても確認できなかった…

駅前も再開発の考えがあるのかもしれないけど、広い駐車場となっている現状はやはり寂しい。九州新幹線長崎ルート開通の暁にはこの場所に新たなビルが建設されるのかもしれない。でも、それではただの点になってしまう。



一方で、広い道路を隔てた反対側、市役所のすぐ脇には、話題のJAがあった。公共事業と農業、どちらもカンフル剤として税金を注ぎ込む仕組みは同じなのかもしれない。



何となく、この県の位置づけが見えた感じがした。JAについては僕の中で賛否がはっきりしていないけど、原発やオスプレイの配備などに頼らざるを得ないというか、これらを含めた公共事業を拡大することで経済を回しているのだろう。またそのおこぼれで政治家が甘い汁を吸っているのではないかと想像してしまう。

このような状況だからこそ、日本中で同じ問題を抱えている街の先陣を切ってその解決に取り組むことが出来るかもしれない。だから、部外者であることを承知の上で、敢えて書かせていただいた。
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沖縄へ その8

2013-12-31 21:32:02 | 旅する
最終日。少し早く起きると、昨夜飲んだビールやらの空き缶を見てちょっぴり反省しつつ、てきぱきとシャワーを浴び、荷物を整えホテルを出た。そして、ゆいレール旭橋駅でゆいレールとバスの一日券を購入し、まずは空港に向かった。



とりあえず荷物をコインロッカーに入れ、帰りの便のチケットを発行してから再びゆいレールに乗った。たまたま空いていた1番前の席に座り、那覇の景色を楽しんだ。

初日にも乗って感じたんだけど、走行中に車内に流れる琉球音楽が素敵で、中でも県庁前に差し掛かる時に流れる曲を聴いていたらグッときてしまった。いくらなんでも弱すぎだろうと思いつつ。。そんなことも旅行から戻るとすっかり忘れていたけれど、昨日ふと思い出し調べていたら『てぃんさぐぬ花』という曲だった。改めて聴いてもいい曲だと思う。

それた話を軌道に戻すと、ゆいレールは30分ほどで終点の首里に到着した。少し寒いかなと思うくらいだったけど、そこから首里城までは少し歩くことになり、また日も射してきて、結局持っていた上着は邪魔になってしまった。



守礼門は、なぜか子どもの頃から知っていた。その頃は沖縄と言えばこの門を連想した。そして、40代も半ばになりようやくこの門をくぐることができた。ちょっとだけ、心の中で子どものように気持ちが跳ねた。そう、紅型を着飾った女性との記念写真サービスがあり、帰りに寄ろうと思っていたのに、別の道を帰ってしまい、こちらも次の楽しみにしよう…って、そんな僕を隣で呆れる人が一緒だったら。。



首里城に入る前、休憩スペースを兼ねた場所でガイドの方がいろいろと親切に教えてもらった。11時からイベントがあるので是非見ていってとのご案内もいただいた。でも、時間が読めず先を急ぎ失礼してしまった。後で「観ておけば良かった…」と後悔した。首里城は朱が映える美しい場所だった。一昨年訪れた北京の紫禁城をコンパクトにしたような印象を受けたが、外れではないだろう。ゆっくりと見たかった。けど、ここでも大勢の修学旅行生と遭遇し、その騒々しさを避けるように早足で回ってしまった。


帰りにまたガイドの方のところに寄り、アンケートを書いたりした。修学旅行生の話をしたら、またいろいろと教えてくれた。これもまた次回に活かそう。







王族の募陵である玉陵(たまうどぅん)に寄り、石畳の坂道を降り、そして、王家の庭園である識名園を見て回った。思っていたよりも小さな印象だけど、回遊式庭園は楽しい。

ここでは花の蜜を求める蝶を見かけた。そのメスを狙うオスとのやり取りを見ながら、僕も好きな人に果敢に向かっていかなきゃと思った…って、単純だな。。

修学旅行の小グループを案内していた方の話を隣で聞いていたら、この蝶はオオゴマダラという、沖縄でいちばん大きな蝶だそうだ。立ち止まって耳を傾けなければ、知らないまま帰ってきてしまっただろう。



壺屋やちむん通りを散策し、アーケードの商店街を抜け、前夜に諦めた牧志公設市場の食堂で食事をとった。もちろん、生ビール付きで! 刺身は切り置きされたものであまりいただけなかったが、いい雰囲気を楽しんだ。次に来るときは別のメニューを頼もう。



国際通りでお土産を買い求め、また大道芸を見たりしていた。沿道には子どもたちがたくさんいて、大道芸のお兄さんの再三の呼び掛けで集まってきて、彼のパフォーマンスを楽しんでいた。

空港に向かう途中、小禄という駅で途中下車した。沖縄のスーパーマーケットを見てみようと思いつつ、結局はここにある全国区のイオンしか見なかった。ミミガーとか沖縄らしい品揃えもを見かけたけど、それくらいしか違いがわからなかった。もっと地元に密着していそうなスーパーは見かけたけど、寄っていく余裕がなかった。

駅でゆいレールを待っていると、おばあさんに連れられた小さな姉妹の妹の方が僕に微笑みかけてきた。楽しくて微笑み返すと、照れくさいのかおばあさんの後ろに隠れたりしていた。那覇空港に着き、おばあさんに尋ねてみると、今日はお母さんが出掛けていて、普段は車しか乗らない孫たちをゆいレールに乗せ、飛行機を見せに来られたとのこと。そんな彼女たちに笑顔で手を振り別れた。



ラウンジで一時間近く、ビールを飲んだりしながら過ごし、機内へと向かった。たぶん最後の搭乗となるだろうジャンボ、あえてプレミアムクラスを選んだ。確かに高いけれど、ゆったりしたシートだけでなく、ラウンジサービスや機内での食事や飲み物など、新幹線のグリーン車よりも遥かに値打ちがある。





さて、慌ただしく駆け足で回った3日間だったけど、初めての沖縄はとても魅力的だった。できれば足しげく通いたいが、ならばLCCの利用も考えよう。
普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古沖の埋め立てを県知事が容認するなどの疑問に思う動きがあるなか、それを沖縄は容認しているのだからと突き放すのではなく、そうせざるを得ない状況に追い込んでいるのは誰かということを考えながら、これからも関心を持っていたい。
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沖縄へ その7

2013-12-31 21:13:29 | 旅する
辺野古の美しい海を頭の中に焼き付け、那覇へと向かった。この文章を書く数日前、沖縄県の仲井真知事は辺野古埋め立ての申請を許可した。それでもまだ僕は、この海がこれからもこの美しさを保ち続けていることを信じている。米軍基地との境界であるフェンスも取り払われ、子どもたちが笑顔でビーチをかけ回る姿も想像してみる。Tシャツを売る掛け声があっても、そこでは笑顔で一枚買い求めよう。

いくら東京より西にあるとはいえ、沖縄も冬なので日が暮れるのは早い。前の車に注意しつつ、左側に映る景色を楽しんでいた。と、道路脇に駐車場を見つけ、車を止めカメラを構えた。

帰り道の途中、うるま市の宮森小学校に立ち寄った。ここには54年前の195年に訓練中の米軍機が墜落し、小学生を含む多くの犠牲者を出したそうだ。それを知ったのはこの秋に沖縄を訪れようと思ったときだったが、僕はいかに沖縄を知らなかったかと反省する。

再び車を走らせ、石川ICから高速に乗り那覇を目指す。が、電気の残量がギリギリだったので、途中の中城SAで急速充電し、自分もデザート風のパンとコーヒーで充電し、改めて走り出した。

少し早く着けるかなと思っていたけど、やはり渋滞に巻き込まれ、結局約束した返却時間のちょっと前に出発地点のビル駐車場に到着した。ETCカードを差し込んだままだったけど、係員の方がチェックして持ってきてくれた。
初めて走る場所だったのと、交通事故が多いと聞いていたけど、結果としてスムーズに運転することができた。電気自動車だったから無理をしなかった…できなかったというのもあるだろう。ただ、思っていたよりも高くついてしまったので、次回は軽かリッターカーにしよう。



タクシーでホテルまで行き、荷物を置いてすぐに出掛けた。少し距離があったけど、国際通りにやってきた。で、庶民的な店に入ろうと第一牧志公設市場に向かったものの、20時を過ぎ店じまいということで、いつものように夕食を探してあちこち歩き回ることになってしまった。



途中、いいかなと思う店も数軒あったけど、一人だと入りにくいところもあり、結局は無難なお店に入りアグー豚をいただいた。ビーフステーキも捨てがたかったけど、豚肉の脂のほんのりとした甘さがたまらないので…

ビールを2杯飲んだところで、運転の疲れもあったのでホテルに戻った。途中、コンビニでビールとチューハイとおつまみを買い、シャワーを浴びてからそれを楽しんだんだけど、そのあとはすぐに眠ってしまったらしい。

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沖縄へ その6

2013-12-25 22:00:39 | 旅する
本部半島から南に向かった。距離は短いものの島を横断するわけだから、当然のように峠があった。で、上り坂が続くなか、速度計脇の走行可能距離がみるみる短くなっていくのをヒヤヒヤしながらチェックしていた。それでも、事故さえ起こさなければ永遠に登り続けることはなく、やがて下り坂に差し掛かる。

さて、しばらく走ると道沿いには民家を見かけなくなり、濃い緑が広がる。とたんに嬉しくなるはずが、ここではそうはならなかった。それは、米軍の演習場内を抜ける道を走っているからだった。やがて、ナビの指示で脇道に入り、静かな市街地を抜けると、漁港に到着した。そこで車を止め、白いテントに向かう。目の前に広がる美しい海を眺めながら、その白いテントに入ると、数人の方々が話をしていた。僕は遠慮なく空席のパイプ椅子に座り、会話に加わった。



名護市辺野古、ここはもう10年以上前から、米軍普天間飛行場の代替施設建設候補地とされたものの、今に至るまで膠着状態が続いている。そして今、高い支持率を背景に現政権が決着をつけようと画策していて、間もなく県知事の決断が下されようとしている。報道によると「受け入れ」に傾いているというが…

行きの飛行機から窓の外を「あそこか? ここか?」と眺めていた。眼下に広がる海は、どこであっても傷つけてはいけない美しさで僕を迎えてくれた。そして、撮った写真のうち一枚がその場所を捉えていた。



座り込みを続ける方々にお話を伺った。普天間飛行場の代替施設というだけでなく、港湾施設も併設するという話は初耳だったが、果たして僕はこの島の現状に耳を傾けていただろうか。そう思いながら改めて海を眺めた。

キャンプシュワブと辺野古を隔てる柵は、まるでここが国境であるかのように存在していた。いや、この柵の先には今も沖縄を、そしてこの国を占領している「宗主国」の軍隊が駐留している。福生や座間、横須賀、そし首都の中心に位置する麻布でも同様の光景を見かけるが、沖縄のそれは規模が違う。そして、すぐ近くに広がる美しい自然とのギャップが大きすぎる。

さて、果たしてこの場所に基地を作るべきなのか? そこにはいくつかの論点が絡み合っている。
1.市街地の中にある普天間飛行場の危険性を早急に取り除く
2.東アジア有事の際の防衛拠点として基地は必要
3.日米安保条約などで日本はアメリカに協力する義務を負っている
といったことが思い浮かぶ。いや、それくらいしか思い浮かばない。

1.については誰も異論はないだろう。「基地が出来れば豊かになれる」とニンジンをぶら下げ、住民を賛成と反対に分断するやり方は、水俣病などの公害事件や原発立地と同じ手口だが、普天間の危険性を根拠に、反対する人たちを「普天間移設を妨げている張本人」と位置づけするのはかなり巧妙…というか狡猾な手口だ。ただ、仲井真知事をはじめ「何とかしたい」という地元の方々の気持ちも真実で、無視することはできない。だから、難しい。

2.について、まず東アジアに有事が起きるのかという点を論議しなければならないだろう。確かに、中国や韓国が日本との関係を硬化させている。勇ましさを志向する総理大臣を戴く日本も、一部には「もしかしたら…」とも思う。けれども、平和のための努力をせずに有事が起きることを考えるのはちょっとおかしいんじゃないだろうか。「日本に駐留するアメリカ軍の存在が東アジアの緊張をもたらしている」という捉え方もある。

3.については、日米安保条約について改めて考えてみる必要があると思う。「専守防衛」を掲げる自衛隊がいればいいんじゃないか。それでも不安なら、米軍の代わりに国連軍に駐留してもらうのも…というのは以前聞いたことがあるが、悪くないと思う。現在のように広大な基地を必要とせずとも、さまざまな国の人が混在するということでのいい意味での緊張が、結果として平和をもたらすことを期待する。

まあ、何を言っても「現実を見ていない」とか「理想論だ」と返されてしまうのがオチだが、それでも言い続けなければ現実は変わらない。基地に頼らずとも、その豊かな自然と世界に開かれた立地を活かした未来が描けないか、同じ国の仲間として考えたい。
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沖縄へ その5

2013-12-25 07:07:49 | 旅する
沖縄の道はアップダウンが多い。下り坂はいいけど、上り坂になると途端に電費が悪くなる。ハイブリッド車を運転したことはないが、それもガソリン車も同じだろう。だけど、電気自動車はヒヤヒヤする。なので、次の目的地まで持つかと思ったけど、途中の道の駅に寄り急速充電した。

充電の準備をしていると、女性のタクシードライバーさんに「見学させて」と声を掛けられた。減るもんじゃないし…って、古くさい言葉だね…見てもらった。ケーブルをセットしたら、建物内に行き操作盤で手続きをしなければならず、少し面倒に感じた。まあ、ついでに自分も充電しようと、コーヒーとパンを買い充電した。

人間の方が早く充電を終え、道の駅内を散策していると、修学旅行の女子高生グループがソフトクリームを持って写真を撮ろうとしていた。こういうとき、シャッターを押してあげたくなってしまう。もちろん、女子高生だからという訳ではなく。。

ようやく充電が終わり、出発しようとすると、女子高生たちがタクシーに乗り込んでいた。で、運転するのはさっきの女性で、軽く会釈して見送った。

だんだんと走行する車の数が少なくなってきたのと呼応するかのように、トイレに行きたくなった。だけど、頼りのコンビニが見つからない。なんとか我慢してようやくトイレを見つけた。

目的を遂げ、せっかくだからとお店を覗き込むと、「寄っていって」と主に声を掛けられた。なんでも、本部町の産品を取り扱うアンテナショップだという。なぜこんなところにと思いつつ、彼の話に耳を傾けた。

本部町はアセロラの産地だそうだ。アセロラというとドリンクしか思い出せないくらいの知識しかないが、いろいろな品があった。特別欲しいというわけではなかったけど、ヨーグルトにかけるようなアセロラのソースと、亀の形をしたガラスのペンダントを買った。

再び車を走らせ、美ら海水族館の駐車場に到着した。普通充電ができる区画があり、ゆっくり充電させることにして、駐車場からさらに先を目指した。そう、目的地は美ら海水族館…ではなく、その先まで歩いた。



前の晩に一緒になった女子大生から伺った場所に行くことにした。備瀬という集落は、緑豊かな福木並木が続く街並みには木漏れ日が射し込み緑の幅を広げていた。木々の間に見えるキラキラと輝く海を眺めながら、思いきって沖縄に来て良かったと心から思っていた。

さすがにここまで来る修学旅行生もほとんどいないようで、静けさに包まれた街並みの散策を楽しんだ。



帰り際、街並みの入口にある食堂に入り、沖縄そばをいただいた。東京でも何度か食べたことがあるけど、現地で食べるというトッピングの効果とともに、鰹節が効いた汁とやわらかく煮込まれたソーキの味を堪能した。

駐車場に戻る際は、海沿いの道を歩いた。キラキラと輝く海を眺めながら、ある意味「沖縄らしい場所」を楽しんでいた。ここには女子高生も来ていて恥じらいなく海を楽しんでいたので、逆にこちらが目を逸らすこともあった。



駐車場に戻り、充電ケーブルを片付けて車を出した。充電レベルはまだまだで、那覇に帰るまでにあともう一回は必要だと思った。

次の目的地は比較的近かった。今帰仁城跡は緩やかなカーブを描く石垣の城壁が印象的な場所だ。その中に分け入ると、そこは花が咲く緑が広がる、まさに「強者どもが夢のあと」という感じがした。



出入口から外に出ると、サトウキビの搾り汁を売っていた。入る前にも気にはなっていた。で、冷やかし半分で覗いてみたら、キャラの濃いお父さんの口上に誘導され、結局一杯いただいた。ハブ酒まではいかないけど少し生臭い感じがして、なかなか進まなかった。すると、お父さんが煮詰めた搾り汁を煮詰めたものをお湯で割った…って、長い説明だな…を出してくれて、これがなかなか美味しく、交互に口にしながらなんとか飲み干した。



そろそろ時間が気になりだし、展示施設を見学せずに先を急いだ。
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沖縄へ その4

2013-12-25 06:47:44 | 旅する
朝になり、体内時計で目が覚めた。ハブ酒のせいばかりではないけど喉が乾いたのと、海を観てみたいのとで、少し散歩することにした。知花さんとの約束の時間まではまだ少しあったものの、海まで歩いていくには足りず、結局自販機で水を買ったくらいで引き返した。

庭のベンチに腰かけると、ワンちゃんが寄ってきた。僕を警戒して吠えてくるんだけど、表情は穏やかで、何かコミュニケーションを求めていたんだと思う。きっと。僕が犬語3級くらい持っていたらと、ちょっぴり残念だった。

客室上のバルコニーから空を見上げているうちに、知花さんの呼び声と女子大生たちの起き出す音が前後して耳に届いた。部屋に戻りカメラを抱え、知花さんの後を歩き出した。

しばらく進むと、ガマの入口に着いた。静かな場所だった。知花さんに懐中電灯をお借りし、ガマの中へと入っていくと、かなり広い空間が広がっていた。でも、奥に行くとともに暗くなり、また、滑りやすい箇所もあり、知花さんの案内がなければ無事に行って帰ってくることはできないと思う。

ここシムクガマは、ハワイから帰ってきた方がいたおかげで、アメリカ軍の呼び掛けがきちんと伝わり、結果として犠牲者を出さずに済んだという。多くの犠牲者を出したチビチリガマとは対称的だ。「先達はあらまほしき…」と吉田兼好は言ったが、戦前に日本を率いた先達の酷さを思った。まあ、それは今も変わらないのかな…



やがて、フッと湿気が強い場所に着いた。僕ガマはまだまだ先に続いていたけど、ここで引き返すことにした。それにしても、こんな場所で過ごさなければならなかったなんて、相当な辛さであったと思う。でも、実際の辛さはその上に「死への恐怖」がのし掛かるものだったのだと思うと、想像が追い付かない。

ガマを出ると、そこはかつて「象のオリ」があった場所だという。前夜に知花さんから伺った通り、区画整理の最中…作業中ということではなく…だった。ここにどんな街ができるかはわからないけど、きっと未来に繋がっていくだろう。



宿に戻ると、もう奥さんが食事を準備してくれていた。フレンチトーストをメインに、派手さはないけど心のこもった朝食を味わった。加えてレモングラスのお茶、女子大生のみんなには知花さんが摘んできたハイビスカスの花が添えられた。花を入れたカップにお茶を注ぐと少し黒ずんだ色になったけど、レモンを絞り入れると、目覚めるように鮮やかな赤に変化した。まあ、僕みたいな無粋者には似合わないけど、好きな人を連れていくことがあれば、ぜひご馳走してほしいと、ちょっとだけ妄想してみた。



心地よい空間で、知花さんご夫妻と娘さん、そして女子大生との話が弾み、あっという間に時間が過ぎていった。名残惜しいけど、ならばまた来ればいいと重い腰を上げた。せっかくだからとみんなで記念写真を撮った。まだお送りしていないけど、年内には送りたい。

女子大生たちを先に送り出し、奥さんの誘導で門を出た。カーナビに次の目的地をセットすると、到着予定時刻が想定外で、慌てて目的地を目指した。で、目的地の一つだったチビチリガマに行き忘れてしまったけど、次に行く理由ができたと思い、そのまま先を急いだ。
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沖縄へ その3

2013-12-24 21:57:28 | 旅する
沖縄でぜひ泊まりたい宿があった。その宿を知ったのはいつだっただろうか。でも、ご主人のことは20年以上前に知り、一度お会いしたいと思っていた。その思いを強くしたのは、16年前に観た『海の沸点』という舞台がきっかけだった。津嘉山正種さんが演じたのが、この宿「何我舎(ぬーがや)」のご主人、知花昌一さんだった。

知花さんを一躍時の人としたのは、1987年に沖縄で行われた海邦国体での「日の丸焼き捨て事件」だ。当時、僕はまだ高校生だったが、知花さんの行為に何となくだけど共感した。沖縄のことはあまりよく知らなかったけど、沖縄にとって「日の丸」は特別なものなのだと、その後知った。

知花さんに対し…というより、お上の意向に従わない沖縄の人々に対し、右翼団体が執拗な攻撃を行った。国の威信を汚されたというのが理由だったのだろうが、強い違和感と恐怖を感じた。その後、多くの犠牲者を出したチビチリガマに建てられた「平和の像」が破壊されるという事件が起きた。国に楯突くものには制裁が加えられるという国なんだと、虚しさを感じた。

さて、コンビニで沖縄っぽいおにぎりや、お酒やおつまみを買い宿に戻ると、灯りのついた部屋に案内された。中には先客として女の子が3人、テレビを見ながら談笑していた。
知花さんと2人、その輪の中に入り、ちょうど放送されていたフィギュアスケートの話なんかをした。

しばらくして、知花さんがガラス瓶を取り出し、中味をぐい呑みに注いだ。瓶の中にははっきりとそのお姿が見え、「これがハブ酒か…」なんて思っていたら、当然のように勧められた。正直なところ勘弁してほしいと思いつつ、少し口に含んだ。何とも生臭い味が口の中に広がる。こうして書いていても思い出して気持ち悪くなる。でも、何か一つステージをクリアしたような感覚も持った。

やがて話は、今の沖縄の状況に関するものに変わっていた。僕は持ってきた『海の沸点』のプログラムを取り出した。知花さんは懐かしそうにそれを見ていた。女子大生たちはその頃まだ小学校にも行っていなかっただろう。でも、「観てみたい!」と興味を持っていた。

プログラムにも載っていた「象のオリ」が返還対象となったのは聞いていたが、その後どうなったのかは知らなかった。既に施設は撤去され、現在は区画整理が始まっているという。

「米軍基地のお陰でお金が落ちるだろう」という話があるが、沖縄は経済的に豊かになっているだろうか。基地が足かせになり、むしろ思うように政策を打てないのではないかと思う。そんな話に知花さんから、名護市の取り組みについて伺った。

国は基地を容認すれば予算を与え、反対すればその逆で、さらに、決まっていた予算さえ剥ぎ取るというやり方で「普天間基地の名護への移設」を進めようとしている。そんな中、移設反対の声を集め3年前に就任した稲嶺市長は、国の「兵糧攻め」にも屈せず、むしろ基地に頼らない経済を作っているという。「基地の存在が経済的な豊かさに繋がる」という、沖縄県民のというよりヤマトの勝手な思い込みが幻想でしかないことを、僕も半分信じていたので、反省した。

翌朝、朝食の前に「シムクガマ」を案内いただけることになり、嬉しさと長旅の疲れとを抱えながら、日付が変わる少し前に床についた。
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沖縄へ その2

2013-12-17 23:05:26 | 旅する
平和祈年公園を後にし、次の目的地に向かった。

少しでも充電しておいて良かった。こういう施設があちこちにあれば、立ち寄っている間に充電ができていい。

それほどかからずに、斎場御嶽に到着した…が、入口近くまで車を入れると「ここは駐車場ではない」と言われ、手前の物産館まで行き、車を止めチケットを購入し、改めて入口まで向かった。
「止めたのに行っちゃうんだから…」と誘導のおじさんに言われたけど、僕は焦ってたのかな…?



斎場御嶽は琉球最高の聖地で、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する場所のひとつだ。なので、入らせていただくだけでも有難いことだ。守るべきルールもあり、入口脇の部屋で説明ビデオを見てから見学する。

世界遺産であることを示す石碑から石畳の道に誘われ奥へと向かう。それまで日差しに暑さを感じていたけど、木々が生い繁り薄暗くひんやりしたその場所は、静謐と崇高を纏っていた。
海の先にはこちらも聖地として信仰の対象となっている久高島が見え、実際にこちらから遥拝されるそうだ。ふと、写真家の東松照明さんが撮られたミルク(弥勒菩薩)が登場する祭礼の写真を思い出した。沖縄を撮り続けた東松さんも昨年末に鬼籍に入られた。



煩悩の塊のような自分にとって、この場所で過ごした時間は何か大切なものに思えた。願わくは改めて訪れたい。その時、隣に誰かがいたら…なんて、煩悩だね。。

帰り際、素敵なカフェがあったので寄ってみた。この時点で既に宿に知らせてあった到着時間まで30分を切っていたけど、沖縄の地理に疎い僕でも慌てたところで間に合うはずがないのはわかっていたので、開き直った。

カフェ「海のイスキア」は、民家の中庭を開放したような、お店というより知り合いの家を訪ねたような気分になれるところだった。でも、海が見える庭を持つ知り合いなんてなかなかいない。その上、神の島・久高島が見えるんだから、何かいいことがありそうだ…って、一人ではなあ。。



コーヒーとかぼちゃ入りのケーキをいただいた。海から吹くやわらかな風が心地いい。風の流れと時間の流れを楽しんでいたら、斎場御嶽でお会いしたご夫婦が来られた。御嶽でもシャッターをお押ししたのだが、こちらのお店でも記念だからとカメラをお預かりして構えた。千葉から来られたというそのご夫妻とお店のオーナーと共に会話を楽しんだ後、再び車に乗り込んだ。

次の目的地は宿。到着予定時刻は…20時少し前?! まあ、仕方ないと思いながら走り出した。

一時間ほど走ってから高速に。と、その前にコンビニに入り宿に電話を入れた。「気にしなくていいよ」とご主人は言ってくれたが、正直気になる。早く宿に着きたいのと、何か美味いものを食べたいのと。ところが、そんな時に限って車はなかなか進まない。沖縄は車社会と聞いていたけど、こんなに渋滞するなんてと思っても仕方ない。安全第一だ。

沖縄南インターで降りる際にも随分と渋滞していた。最近は高速出口で渋滞することはほとんどないけど、まだ沖縄ではETC普及率は低いのだろうか、一般出口の渋滞をすり抜け何とか高速を降りた。でもまだ渋滞は続き、読谷方面に右折するまでにかなり時間がかかった。夜なので良く見えなかったけど、ここから米軍嘉手納基地の外周を大きく回って北上する。基地がなければスムーズに進むだろうにと思うが、そのために僕は何をしてきただろうか。。

その先も渋滞は続いたが、優秀なナビのおかげで宿の前までなんとか辿り着いた。すると、ご主人が門の前で待ってくれていた。少し大きめな車だったので、誘導していただきなんとか門の中に車を押しこむことができた。
さて、近くのお店にでも行こうかと思いご主人に情報を伺うと、10分ほど歩いたところにコンビニがあるくらいだと言われた。まあ、お昼もろくに食べていないし、このまま朝まで何も食べないのもきついなあと思いながら、荷物を部屋に入れ歩き出した。

知らない街で夜道を一人歩いた。考えてみたら、ハブなんかもいたんじゃないかな… まあ、ハブにはそのあと別の形で出会うんだけど…
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