107名の尊い命が失われたJR福知山線事故から今日で5年が経つ。
昨日には、既に起訴されている山崎前社長に続き、歴代の社長3人が強制起訴された。夜のニュースでそのことを知ったのだが、コメントを求められた法律家は、有罪に持ち込むのは難しいと言っていた。確かに、検察は2度起訴を断念していて、そこにはそれなりの理由があったろうから、そこを改めて否定するのは難しいということなのだろう。
遺族の方の心情を完全に理解することはできないが、歴代の社長を有罪にすることよりもむしろ、なぜあのような惨劇が起き、家族を奪われなければならなかったのかを知りたいのではないだろうか。彼らから、彼らの言葉でそのことを語ってほしいと僕も思う。
だが、当初から僕はこの事故について、複数の原因が複雑に絡み合っていることをもっと第三者が指摘し、追求していくものだと思っていたが、航空・鉄道事故調査委員会による調査を除いて、現在に至るまでそうした研究が行われたという話を聞いたことがない。
昨年秋に読んだ『JR福知山線事故の本質』という本の中で、制限速度を超過した場合、自動的にブレーキがかかり制限速度まで減速させるような信号装置をこの現場に設置していれば防げたということが書いてある。そこが、事故を防ぐ最後の砦となるべきであったのに、JR西日本はそれを怠っていた。まず、1997年の線路付け替えに際し、どのような検討がされていたのかを明らかにすべきである。
そして、そうしたハード対策を「必要ない」と判断した根拠はどのような内容だったのだろうか。
JR東西線の開通に伴う線路付け替えについて、その頃まだ毎月買っていた鉄道雑誌で読み、「かなり複雑だな」と思ったことを、あの事故の映像をテレビで見た瞬間に思いだした。列車1本の遅れで各方面へ影響が波及することを恐れていたのではないかと、まず思った。一昨年開業した東京メトロ副都心線でも、ある路線でのダイヤの乱れが、副都心線、有楽町線、東武東上線、西武池袋線の4線に影響する。
ダイヤを設定した際の各駅での停車時間が適正だったのか。停車時間に対し乗客が多すぎた場合、慢性的に遅れが発生するだろう。普段は大丈夫かもしれないが、降雨や、例えば接続するバスが遅れるなどの理由でも乗客数のバランスは大きく狂ってしまう。
毎朝、その電車に乗ろうと必死で駆け込む人や、閉じかけたドアをこじ開けて乗り込もうとする人を見かける。そんなことで電車は遅れを大きくされてしまう。乗客の側にも自制が求められる部分であるが、それを整理するための駅員配置は適正に行われていたのだろうか。
さまざまな要素を整理すると、この路線の運転士には「定時運転」を確保するために相当なプレッシャーがかかっていたのではないかと推測する。それに対しJR西日本は、かなりの批判を受けた「日勤教育」をはじめとした締め付けにより定時運行を厳守させようとしたのだろうか。
こうしたことを考えながら、この事故が発生した原因を追求る上で、「運転士に対する業務要求が過大ではなかったか」という労働管理上の問題が指摘されてしかるべきだと思う。
この本を読んでからすぐ、航空・鉄道事故調査委員会による報告書をWEBで閲覧した。ここに記された、事故列車の運転士に関する記述を読みながら、もちろんそれがすべてではないのかもしれないが、休日に運転室後ろに陣取り運転中のポイントを再確認するなど、彼の運転士という仕事に対する真摯さが伝わってきた。一時とはいえ、そんな彼に「加害者」のレッテルを貼り、自らの責任を免れようとしたJR西日本の体質に、「作業環境管理」、「作業管理」、「健康管理」という労働安全衛生上のアプローチがされていないとしたら、それは労働行政の怠慢ではないかとも思える。
過労死や過労自殺といった問題も、労働時間だけでなく、任せられた業務とそれに対する労働者の裁量や能力とのギャップなどについてメスが入れられてしかるべきではないだろうか。
論点があちこちに飛んでしまったが、亡くなられた方々の無念を思うと、せめてこの事故が、様々な示唆とともに各種の安全対策を推進するきっかけとなることを願う。
そして改めて、犠牲となられた方々のご冥福と、被害者の方々や遺族の方々の心身の傷が癒されることをお祈りする。
昨日には、既に起訴されている山崎前社長に続き、歴代の社長3人が強制起訴された。夜のニュースでそのことを知ったのだが、コメントを求められた法律家は、有罪に持ち込むのは難しいと言っていた。確かに、検察は2度起訴を断念していて、そこにはそれなりの理由があったろうから、そこを改めて否定するのは難しいということなのだろう。
遺族の方の心情を完全に理解することはできないが、歴代の社長を有罪にすることよりもむしろ、なぜあのような惨劇が起き、家族を奪われなければならなかったのかを知りたいのではないだろうか。彼らから、彼らの言葉でそのことを語ってほしいと僕も思う。
だが、当初から僕はこの事故について、複数の原因が複雑に絡み合っていることをもっと第三者が指摘し、追求していくものだと思っていたが、航空・鉄道事故調査委員会による調査を除いて、現在に至るまでそうした研究が行われたという話を聞いたことがない。
昨年秋に読んだ『JR福知山線事故の本質』という本の中で、制限速度を超過した場合、自動的にブレーキがかかり制限速度まで減速させるような信号装置をこの現場に設置していれば防げたということが書いてある。そこが、事故を防ぐ最後の砦となるべきであったのに、JR西日本はそれを怠っていた。まず、1997年の線路付け替えに際し、どのような検討がされていたのかを明らかにすべきである。
そして、そうしたハード対策を「必要ない」と判断した根拠はどのような内容だったのだろうか。
JR東西線の開通に伴う線路付け替えについて、その頃まだ毎月買っていた鉄道雑誌で読み、「かなり複雑だな」と思ったことを、あの事故の映像をテレビで見た瞬間に思いだした。列車1本の遅れで各方面へ影響が波及することを恐れていたのではないかと、まず思った。一昨年開業した東京メトロ副都心線でも、ある路線でのダイヤの乱れが、副都心線、有楽町線、東武東上線、西武池袋線の4線に影響する。
ダイヤを設定した際の各駅での停車時間が適正だったのか。停車時間に対し乗客が多すぎた場合、慢性的に遅れが発生するだろう。普段は大丈夫かもしれないが、降雨や、例えば接続するバスが遅れるなどの理由でも乗客数のバランスは大きく狂ってしまう。
毎朝、その電車に乗ろうと必死で駆け込む人や、閉じかけたドアをこじ開けて乗り込もうとする人を見かける。そんなことで電車は遅れを大きくされてしまう。乗客の側にも自制が求められる部分であるが、それを整理するための駅員配置は適正に行われていたのだろうか。
さまざまな要素を整理すると、この路線の運転士には「定時運転」を確保するために相当なプレッシャーがかかっていたのではないかと推測する。それに対しJR西日本は、かなりの批判を受けた「日勤教育」をはじめとした締め付けにより定時運行を厳守させようとしたのだろうか。
こうしたことを考えながら、この事故が発生した原因を追求る上で、「運転士に対する業務要求が過大ではなかったか」という労働管理上の問題が指摘されてしかるべきだと思う。
この本を読んでからすぐ、航空・鉄道事故調査委員会による報告書をWEBで閲覧した。ここに記された、事故列車の運転士に関する記述を読みながら、もちろんそれがすべてではないのかもしれないが、休日に運転室後ろに陣取り運転中のポイントを再確認するなど、彼の運転士という仕事に対する真摯さが伝わってきた。一時とはいえ、そんな彼に「加害者」のレッテルを貼り、自らの責任を免れようとしたJR西日本の体質に、「作業環境管理」、「作業管理」、「健康管理」という労働安全衛生上のアプローチがされていないとしたら、それは労働行政の怠慢ではないかとも思える。
過労死や過労自殺といった問題も、労働時間だけでなく、任せられた業務とそれに対する労働者の裁量や能力とのギャップなどについてメスが入れられてしかるべきではないだろうか。
論点があちこちに飛んでしまったが、亡くなられた方々の無念を思うと、せめてこの事故が、様々な示唆とともに各種の安全対策を推進するきっかけとなることを願う。
そして改めて、犠牲となられた方々のご冥福と、被害者の方々や遺族の方々の心身の傷が癒されることをお祈りする。