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四十九日法要

2008年02月28日 | ○○な話

お袋の「49日法要」の為、札幌へ行って来ました。

5年前に親父が亡くなった時には実家のある田舎での葬儀でした。

田舎は小さな村で、近所の町内会の人達が”昔からの仕来たり”に乗っ取って葬儀の準備をしてくれましたので、遺族としては段取りから何から殆どお任せ状態でした。

正直、訳もわからず、一先ず無事終わったと言う感じでした。

お袋の場合は、今年の正月明け早々で、雪深い田舎での葬儀では兄妹も親戚関係の人達も田舎まで来るまでが大変だろうと言う事で交通の便が良い札幌で催す事にしました。

従って、葬儀の段取りから全て兄妹で葬儀屋さんと相談して決める事になりました。

地獄の沙汰も金次第”と言う言葉がありますが、葬儀費用に関してもまさにその通りでした。

斎壇の仕様、
出席者の人数の把握、オードブルや食事・弁当の数、宿泊所の貸し布団の数、火葬場までのバスの手配・昼食の用意など、全て事前に打合せして手配しておかなければなりませんでした。

こう言ってはなんですが、結構勉強になりました。

今回は「49日法要」と言う事で、親族だけでやろうと言う事でしたので、気を使わずにすみました。

あなたは「49日」って何?と聞かれると答えられますか。

実は私も「49日法要と言う言葉は知っていましたが、その深い意味までは知らなかったと言うのが本音です。

この際ですので調べる事にしました。

49日とは

昔から人が死ぬことを「往生(おうじょう)といいます。

往生は「往(ゆ)きて生まれる」という意味で、「亡くなった時から死出の旅が始まり、四十九日後に他の世界に往って生まれ変わるという言い伝えにもとづいています。

故人が亡くなった日から数えて四十九日の間を中陰(ちゅういん)(中有(ちゅうう))といいます。

これは現世と来世の中間という意味で、死から新しい生へと生まれ変わるのに必要な期間で、四十九日目を満中陰といいます。

仏教では、死者が冥土に行くと、七日目ごとに閻魔大王を筆頭にした十王によって、生前の善行、悪行を問われ、審判が行われる考えられています。

また、この審判の日に遺族が供養することにより、そこで積まれた善業(ぜんごう)が故人にも及ぶ教えています。

亡くなった人のために善業(ぜんごう)を積み重ねることを追善といい、故人ができるだけ善い世界に生まれ変われるようにとの親族の素朴な願いから、葬儀のあと七日ごとに追善供養をするようになりました。

最初が初七日(しょなのか)で、この日に故人が三途(さんず)の川の畔(ほとり)に到着するといわれます。

川の流れは激流急流緩流の三種類あるため、緩流を渡れるようにとの願いを込めて営む法事です。

その後、

二七日(ふたなのか)(十四日目)、三七日(みなのか)(二十一日目)、四七日(よなのか)(二十八日目)、五七日(いつなのか)(三十五日目)、六七日(むなのか)(四十二日目)、七七日(なななのか)(四十九日目)と続きます。

この間が忌中(きちゅう)で、

閻魔大王の裁きを受けるのが三十五日

そして、

生まれ変わる世界が決定するのは四十九日で、

すべての審判が終わった故人の魂は、仏様の世界にとどたどり着くことが出来ます。

遺族も「忌明け(きあけ)として、

仏様に世界(極楽浄土)入って安心ということで日常生活に戻ることが出来ます

そこで最後の締めとして親戚 や故人と親しかった友人・知人と故人の功徳が報われて極楽往生できるようにと祈る法要を行います。

これが「49日法要」の大まかな意味だそうです。

葬儀は無いに越した事はありませんが、生ある者は何れは死にます。

場合に拠っては葬儀を催す立場になる事もあるでしょう。

若い人はあまり興味が無いかもしれませんが、いずれは経験する事になるかもしれませんので、知識として知っておいてもよいのでは。

コメント
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