ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

かいじゅうたちのいるところ

2010-07-12 | 観ること。



モーリス・センダックの絵本を映画化した『かいじゅうたちのいるところ』、
ようやくDVDで観ることができました。

この絵本は、内面を表現する手段としての絵本、あるいは
子どものためだけではない絵本というものの奥深さ、
などを教えてくれた、私にとって心に残る特別な一冊です。

だから映画化と聞いたとき(しかも実写!?)、どちらかというと
「映画化して原作のイメージを壊すのはやめてよね」という
気持ちのほうが強かったと思います。

でも、予告編でかいじゅうたちを見たとき、ん、なかなかいいかも、と
期待が膨らみました。
内容より、まず映像に魅かれたのです。
(期待通り、映像も音楽もとてもよかったです!)

そして、DVDを見終わって・・・やられました~
マックスに、あるいはかいじゅうキャロルにすっかり感情移入してしまって、
マックスが島を出るシーンでは涙がぽろぽろ。
(おばさんが泣く映画とは思えなかったのに)


誰も自分を相手しくれない、その淋しさ・孤独感から
何かをめちゃくちゃにしてしまいたくなる、そんな感情を
誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

私は子どものころ、両親は仕事で忙しく、姉たちは年が離れていて、
遊び相手もなくいつも淋しい思いをしていました。
ひとりで本を読んだり、絵を描いたり。
おとなしい子どもだと言われつつ、いったんキレたら
喧嘩相手の姉に噛みついたり引っ掻いたり、姉の学校のノートに落書きしたりと
けっこう凶暴なところもありました。
(体力では負けるので、いかにダメージを与えるか子どもなりに考えるわけです)

おまけに強情で謝らず、よくお灸をすえられたり、
反省するまで押入れに閉じ込められたりしました(笑)
ほんとは淋しくて、誰かにかまってほしかったのでしょうね。

そのときの性格はいまだに残っていて、時おり衝動的に何かを壊したくなります(笑)
欲しいのにいらないと言ったり、好きなのに嫌いと言ったり。
これまで築き上げてきたものを、いっぺんにひっくり返しかねない行動を
とってしまいそうになるのです。
それもこれも「ちゃんとこっちを見て!」という、心の表れなのでしょうけれど。
我ながら、困ったものです。

だから、ほんとはみんなと楽しくうまくやっていきたいのに、
それを伝えられなくて、自分のワイルドな感情をもてあましてしまう
マックスやキャロルの気持ちが痛くって・・・。
彼らの孤独感が、かいじゅうたちの表情や、あるいは
かいじゅうたちの島の風景などの映像からもよく伝わってきます。





マックスはかいじゅうたちの島で王様になって、最初はみんなで
楽しく暮らしますが、結局うまくはいかず母親のところへ戻ります。
この物語は、みんな最後はうまくいきましたとさ、めでたしめでたし、
みたいなハッピーエンドではないのですね。

マックスとキャロルは心を通わせることができたけれど、
それはずっと持続するものではなくて、一瞬にしてこわれてしまう。
トラブルメーカーのキャロルがこのあとみんなとうまくいくとは思えないし、
KWとどうなるのかもわからない。
そんな彼らを残して、マックスは来たときと同じように小さなボートに乗って
母親のもとへ帰るわけです。

中途半端な終わり方かもしれませんが、私はこの作品が、
みんなうまくいってめでたしめでたしで終わったり、
マックスがいい子になって帰ってきました、みたいな教訓的な終わり方でなくて
よかったと思います。
だって、だぶん、それは嘘だから。
そんなことあり得ないから。

日常生活においても、友達や恋人同士や家族や夫婦で、
うまくいくときもあれば喧嘩をしたりすれ違ったりもするわけです。
それをひとつひとつ解決しているかといえばそうではなくて、
なんとなくうやむやに過ぎてしまってることも多くありません?
そして、気まずいながらもお腹がすいたらみんなでご飯を食べたりする。
そんなもんだと思うのですよね。

お母さんと喧嘩して家を飛び出し、かいじゅうの島へ行ったけど、
やっぱりお母さんのところへ帰りたくなった、
というのは子どもの心理描写ではリアルなことだと思います。
大切なことは、マックスが抱えていたどうしようもなかった感情を
なんとか宥めて戻ってきた、ということなのでしょう。
それには、やはり自分の心を投影したようなキャロルの存在が
あったからこそ、なのですね。

この作品は、子供向けというより、子どもの心理描写を描いて、
子どもも、そしてかつて子どもだった大人も楽しめる映画だなあと思いました。



↓原作  我が家にはなぜかこちらの英語版があります

 
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アリス・イン・ワンダーランド

2010-05-03 | 観ること。



せっかくのGWなのに、子どもたちも帰ってこないし、
まだパジェロの後を継ぐ車も決まっていないし、
この分ではどこへも行かずに終わってしまいそう・・・

ということで、せめて映画でもと「アリス・イン・ワンダーランド」を
観てきました。


初めてルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を読んだのは
大学生のころだったでしょうか。
絵本でなんとなく知ってたアリスとは全く違うおもしろさや、
その奇想天外な世界にすっかり魅了されました。
で、この世界を映像で観たくて、古い『不思議の国のアリス』の
映画まで観に行ったこともありました。

そんなこともあったので、ジョニー・デップの
「アリス・イン・ワンダーランド」を見逃すわけにはいきません。
しかも、地元の小さな映画館も3Dになったということだし。

(「アバター」は結局DVDで観ましたが、
 3Dの感動がなかったせいか、
 なーんや「ダンス・ウイズ・ウルブズ」と 同じやん、
 と思ってしまい残念でした


さて、アリス・イン・ワンダーランドですが。
予告編を観てもわかるように、ジョニー・デップは
一見かなりイカれた感じですし、赤の女王たるや
ベラトリックスもびっくりの恐ろしさ(笑) 
白の女王も、優雅で優しそうだけれど、なんかヘン。

そう、この映画は、すっと受け入れられる人と
そうでない人に分かれるのかもしれませんね。
主人にも「この映画は・・・いいわ」とやんわり断られてしまいました(苦笑)

ストーリーは『不思議の国のアリス』の後日譚で、
再び白ウサギを追いかけてワンダーランドに迷い込んだアリスが、
救世主となって赤の女王と戦うという、実にわかりやすくシンプルな展開。

現実の世界では、好きでもない男性からプロポーズされ、
途方に暮れるアリスが、ワンダーランドでの戦いによって
自分の進むべき道を決めるという、ファンタジーの王道ともいえる
成長物語に仕上がっています。

内容がシンプルな分、映像はかなり見応えたっぷり!
アリスが穴に落っこちていくシーンから、
大きくなったり小さくなったりするシーン、
お茶会のシーンなど、どこもここも、
「あ~、もっと観たい!ここで止めて!」と
言いたくなるほど凝った映像満載でした。
まるで自分もワンダーランドへ迷い込んだような、
そんな感覚になるのも3Dならではなのでしょうか。

ジョニー・デップ扮するマッドハッターは、
アリスの保護者的立場なのかな、と思ったらそうでもなくて。
「なぜいつも君は小さすぎるか、大きすぎるんだ?」
なんてセリフ、けっこうウケました(笑)

ジョニー・デップって、どんなに奇妙奇天烈な格好をしていようと、
いえ、そういう外見だからこそ(?)
ちょっとした表情にときめいてしまうのですよねー

それにしても、アリスだけでなく赤の女王も白の女王も、
存在感たっぷりで、女性は強くてたくましい!
「自分は他の子とはどこか違う」と不安に感じていたアリスも、
ワンダーランドから戻ってきたら
(マッドハッターに、ここにいてもいいんだよ、っていわれたのに
 アリスはちゃんと戻ってくるのです)
現実的でしっかりした女性に成長してましたからねー


ただひとつ残念だったのは、字幕でなく吹き替えだったこと。
チェシャ猫の声がアラン・リックマンだったなんて・・・





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ブーリン家の姉妹

2009-09-28 | 観ること。



この週末は、久しぶりにひとりでした。
めったにないひとりの夜は、お決まりのDVD。
こういうとき観るのは、主人と一緒なら
絶対観ないであろう歴史物です(笑)

今回観たのは「ブーリン家の姉妹」。
イングランドの王ヘンリー八世をめぐって、
アンとメアリーの姉妹が繰り広げる愛と憎しみの物語。
・・・と書くとなんだか昼ドラチックですね(笑)


以前にも書きましたが、十代の頃テレビの洋画劇場で
「1000日のアン」を観てから、アン・ブーリンという
女性に興味を持ちました。
イングランドの女王という地位に上りつめながら、
断頭台の露と消えた女性。
一体どんな女性で、どんな生き方をしたのか。

この映画が封切られたとき、観たいなあと思いながらも、
なんだか王と姉妹のどろどろした三角関係の色合いが濃いようで、
DVDもあまり期待せずに見たのでした。

しかし。
史実にかなりの脚色はしてあるにしても、
ひとりの女性が、ひとりの女性の野望が、
結果的に国の歴史を変えていく過程や、
そんな大きな歴史の流れの中で描かれる
ヘンリー八世をめぐる姉妹ゆえの複雑な愛憎劇は、
充分見ごたえのあるものでした。

利口で気の強そうな姉のアンと、
家庭的で心優しい妹のメアリー。
外見も性格も違う対照的なふたりの姉妹が、
一族の富と権力のため王に差し出され、
同じような境遇にありながら、全く違った
人生を歩むことになります。

ふたりの人生の明暗を分けてしまったのは、
メアリーは心から王を愛したのに対し、
アンは王妃という地位に固執してしまったことでしょう。

この時代の女性は、結局一族の出世のための、
あるいは世継を生むための道具でしかありません。
アンは長女として(史実では姉か妹かはっきりしませんが)、
それをわかっていながら受け入れ、
積極的に利用しようとしたのでしょうか。

一方メアリーの方は、自分の心に素直で、
自分の幸せを大切にしたかっただけかもしれません。
その素直さに心打たれたヘンリー八世ですが、
結局はメアリーを捨てアンを選びます。

王の子を宿しながら、王を姉に奪われ、
城から追い出されるメアリー。
しかし、姉のため再び宮廷に仕えることになります。
女性としての感情と、妹としての感情。
・・・つらいところですね。

しかし、女王にまで上りつめ、強い女性であったアンが、
いつからか王を怯える弱い女性に変わっていきます。
断頭台に上がったアンは、もう気の強い女性ではなく、
哀れを誘います。
逆に夫を奪われ、また王からも見捨てられたメアリーが、
賢く強い女性になっていきます。
そして、アン亡き後、アンのひとり娘エリザベスを抱きかかえ、
宮廷を去っていく決然とした後姿がとても感動的でした。

結局、アンは自分で人生を切り開こうとしながら、
富と権力を求める男たちの枠組みの中で、
翻弄されただけだったのでしょうか。
一見弱い立場の女性であるメアリーの方が、
しなやかに自分の人生を選び取っていった、
そんな気もします。

まあそれにしても、洋の東西を問わず、
男たちって同じことをし、同じ間違いを犯すのですね。
この映画のヘンリー八世は、最初なかなかよかったけど、
アンに振り回され、だんだん威厳にも欠けてきます。
男子の世継のため(?)、見境もなく次々と
妻をかえていったヘンリー八世ですが、
結局、後にイングランドを治め、繁栄をもたらしたのは、
アンの娘エリザベス一世なんですよねー

「ブーリン家の姉妹」
    ↓
「エリザベス」
    ↓
「エリザベス ゴールデンエイジ」
という順で観ると、当時のイギリスの歴史が
よく理解できそうですね。
コメント (4)
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ハリー・ポッターと謎のプリンス

2009-08-28 | 観ること。



何かと忙しかったこの夏。
ハリポタの映画を観に京都へ行くことなど、
すっかりあきらめていました。

ところが、先日所用で京都方面へ出かけ、思ったより早く済んだので、
せっかくここまで来たのだからと、帰りに「謎のプリンス」を観てきました



  ・・・ 以下、軽くネタバレしているので注意! ・・・



原作では上下2巻からなる長~い物語。
必然的に話は省略せざるをえません。
原作を読んだのは数年前?のことなので、
おおまかなストーリーしか覚えていませんが、
観ていて違和感はありませんでした。
っていうか、よくここまでまとめたなあ、と、感心したくらい。

翻訳を読んでいて思うのは、子どもでも読みやすいようにしてあるせいか、
内容的にはかなり暗く、残酷で、難しくなってきているのに、
どうしても「子ども向き」に中途半端に感じてしまう、ということです。

でも、映画では、この巻の持つ暗さや、なにか恐ろしげなことが
おこりつつある、という雰囲気がよく表現できていたと思いました。

恐ろしい事故や事件が、魔法界だけでなく
人間界にも起こり、恐怖感が伝わってきます。
その一方で、年頃になったハリーたちの変化が
それとなく表現されています。
コーヒーショップで、マグルの女性を見るハリーの熱い視線(笑)
原作にはないシーンですが、これから起こるであろう
彼らの恋愛模様が想像できますねー

そして、そして。
この巻の大切な要素は、タイトルにもなっている
「謎のプリンス」とは一体誰か!?ということです。
謎のプリンス・・・原題では "the Half-Blood Prince"。
そう、半純血のプリンス。

魔法使いとマグルの親を持つ、といえばハリーと
もう一人、ヴォルデモートです。
では、このプリンスはヴォルデモートのことなのか。
いえいえ、実はもうひとり重要な人物がいるのですねー。
この人物、最終巻で大きくクローズアップされますが。
私は彼のファンですが(笑)、ここでタイトルにもなるほど
脚光を浴びるとは、予想もしてませんでした。

そして、もうひとり注目すべき人物がいます。
それは、ドラコ。
今までは、ハリーの宿敵というか、まあ単純に
いじめっ子的存在というか、その程度だった彼が、
意外にも、この映画では翳のある少年として描かれていました。

あちこちで恋愛模様が繰りひろげられてるホグワーツで、
彼の孤独感や使命感がひしひしと伝わってきます。
(女の子といちゃついてるロンより、よっぽど好感持ちますよね・笑)
結局、完全に悪にはなりきれないドラコの心の葛藤が、
本で読んだときより強く感じられました。

個人的には、この映画で一番印象的だったのが
ドラコだったかも。
ハリーやネビルってだんだんおっさんぽくなっていくけれど(爆)、
ドラコは繊細で洗練された青年になりつつあると思いません?
たまに「賢者の石」のころのハリーを見ると、
ああ、こんなにかわいかったのに・・・って

実際に本人が成長していくのを見続ける映画、というものめずらしく、
つい子どもたちの同級生でも見る目になってしまうのでしょうね(笑)
たまにいるんですよ~
○○君、あんなにかわいかったのに、おっさんぽくなったなあって
がっかりすることが。


この巻では、もうひとつ重大な出来事が起きてしまいます。
そして、またしてもハリーは大切な人を失うわけです。
最後の塔でのシーンは、なんとなくあっけなく終わってしまいましたが、
まあ、最終巻に続く・・・ということなのでしょうね。



ハリポタとのつきあいも10年以上になったでしょうか。
新刊が出たり、映画が封切りになるたび、
しばらくハリポタ漬けになっていましたが、
(今も『謎のプリンス』をまた読み返しています)
それも、あと映画2本を残すばかり・・・。

読み始めたとき小学生だった長女が、今年二十歳になるんですからねー。
時の流れを感じてしまいます。

最終巻の映画化が、待ち遠しいような、
全部終わってしまうのが淋しいような・・・

コメント (6)
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レッドクリフ PartⅡ

2009-04-27 | 観ること。



週末、主人と「レッドクリフ PartⅡ」観てきました。

PartⅠでは、戦闘シーンに圧倒され、
スケールの大きさに度肝を抜かれながらも、
誰か誰だか理解できないまま終わってしまいました~(笑)

が、しかし。
このPartⅡでは、戦闘シーンの迫力だけでなく、
それぞれの登場人物のドラマも描かれており、
それらがクライマックスの決戦の場面へと繋がっていき、
長時間、飽きることなく画面に釘付けでした。

いや~、おもしろかった。



  * * * 以下、少々ネタばれあります * * *



お互いの首をかけた約束を、いとも簡単にしてしまう周瑜と諸葛亮孔明。
女だてらに敵の陣地に潜りこみ、そこでひとりの兵と知り合う尚香。
国のため、民のため、そして夫のために単身曹操のもとへ赴く小喬。
その彼女を憂う周瑜を思いやる兵士たち。
(兵士たちがひとつずつお椀に入れたお団子を、一気にほおばり
 もぐもぐ食べる周瑜がかわいかった。
 こんなところでも、彼が部下思いなのがわかります)
80万の兵を従え、冷酷で残忍ながらも、トップに立つ者としての
人間性とカリスマ性を持つ曹操。

ところどころ、くすっと笑える場面もあったし、
不意を衝かれて、涙がじわ~と出てきたシーンもありました。
(主人は、そんなとこあった?って、聞くんですけどね)


実は私、中国文学は(も?)名前が覚えにくくて苦手です。
だから『三国志』なんて長くて登場人物の多い作品、
手にしたこともありません。

この「レッドクリフ」だって、金城武が出てるから
わざわざ映画館へ観にいったようなもの
正直言って、何も知らずに観てわかるかな~、とかなり不安でした。
でも、原作を知らなくても、内容的には
とてもわかりやすくなっていたと思います。

ただ、普段から中国映画を観ない私には、
登場人物が皆似たような顔に見えて、RartⅠでは
誰が誰だか、敵か味方か、判別がつかなかったんですねー(爆)
でも、先日テレビで放映されたとき、吹き替えをがまんして
観たおかげで、おさらいができました。

『三国志』を読まれた方は、自分の持つイメージもあるだろうし、
原作と映画の違いに違和感を抱くこともあるかもしれません。
(自分の好きな作品だと特に感じますよね)
まあ、私は全く読んでなかった分、映画として充分楽しめました。

飄々とした表情の金城武の諸葛亮孔明もかわいかったし、
トニー・レオン演じる一見クールだけど熱い周瑜も素敵でした~





女性陣では、男勝りでお転婆な尚香が、
美しくて色っぽい小喬より女性として共感を持ちました。
(男性には小喬がいいのでしょう。
 主人も「べっぴんさんやなあ」だってー)
自分も戦いに参加したくて、曹操の陣営に兵士姿で潜入してしまう
というエピソードは、こっそり鎧兜に身を包み、戦地へ赴いた
『指輪物語』のエオウィンと重なりました。
こういう強い女性、憧れますね~(笑)

お腹に、敵の陣地の地図を描いた布を巻き、
それをくるくるほどいていくシーン。
なかなかコケティッシュで、かわいかったです。
でも、それを何も知らず手伝ってくれた曹操軍の兵士との再会は、
悲しい結末になってしまいましたが。


それにしても、気候を制するものは戦いを制す、ですねえ。
誰もが固唾を呑みながら風の変化を待つシーン。
一瞬風向きが変わり、孔明がさーっと扇を振った場面では
鳥肌が立ちました。
そこから80万の大軍に立ち向かっていく連合軍は、怒涛のごとく・・・。

しかし、娯楽大作とはいえ、この戦いは史実であり、
多くの命が奪われたことには違いないのでしょう。
火攻めによる水上戦は迫力があって見ものですが、
これでもか、というくらい兵士が次々と死んでいくのは
映画とはいえ、観ていてしんどかったです。

戦いとは、敵であれ味方であれ、死屍累々と地を埋め尽くすことなのだ
ということを痛感しました。
勝っても負けても、多くの仲間や兵を失ったことには変わりなく、
「勝者はいない」という周瑜の言葉は重いですよね・・・。

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