ずっと、読みたいなあ、と思っていた本を、ようやく図書館で見つけました。
松浦弥太郎さんの『今日もていねいに。』。
毎年、年の初めに誓うのです。
今年こそ、一日一日を大切に、ていねいに過ごそう、って。
でも、家族といれば怒涛のように日々いろんなことが押し寄せてくるし、
自分のことなど一番後回しになってしまう。
いつのまにか、♪時の流れに身をまかせ~って、
なってしまうんですよね。
それはそれでラクチンだから。
そして気がつけば、こんな年になってしまっていたわけです。
アア、コノママデハイケナイ・・・、
今カラデモ、自分ヲ変エラレルダロウカ、と
すがる思いで手にした一冊。
もちろん、読んだだけで変わる、なんてことはありません。
この年になると、そうカンタンに「自分が変わる」なんて
甘い期待も持っていませんし。
でも、少なくともいくつか、はっとする文章に出会います。
そして、あっ、これなら実践できそう、と思えることが
見つかります。
私も、心にとめておきたい文章をノートに書き写す、
という作業を久しぶりにしました。
たとえば、
毎日が「自分プロジェクト」
暮らしの引き算
「それなり」を捨てる
面倒くさいと言わない (どきっ)
・・・・・
などの項目からです。
その中に、一人という贅沢というのがありました。
どんな人も、何かしらの役割の中で生きています。会社の中の自分、
家族の中の自分、親である自分、子である自分。
僕も編集長であり古書店の経営者であり父親でもあるのですが、
誰のためにあるのでもない、素の自分に戻りたいときもあります。
裸んぼうの、なんでもない自分になれるひとときがあれば、
そこで自分を取り戻し、一息つけます。
そこから真剣に人とかかわり、精一杯、コミュニケーションに
心を砕く力が生まれると思うのです。
結婚していようと、どこかに所属していようと、一人の時間を
忘れてしまえば、何かにすがることになります。
依存して生きていけば、自分をなくしてしまいます。
う~ん、なるほど・・・。
この本を読む少し前のことですが、念願の自分のスペースをつくりました。
といっても、長女の部屋を、主のいない間ちょいと拝借しているだけなのですが。
これまで、絵を描くのも、文章を書くのも、キッチンのテーブルの上でした。
食事のつど、かたづけなければいけないし、
何より家族がしょっちゅう、うろうろしてます(笑)
描きたいときにスケッチブックを出して、そのまま出しっぱなしにしておける。
色鉛筆画の本や、源氏関連の本がすぐ手の届くところに置いてある。
(または、散らかっている、とも言います・笑)
お香をくゆらせて、ぼーっとする。
そんな、ささいなことが、これまでできなかったんです。
・・・いえ、してたんですけど、これでもけっこう気兼ねしてたんです。
それが、家族の目を気にせず、心置きなくできるようになりました。
そして何より、ひとりでいる時間を確保できるようになりました。
夜眠る前に、ほっと一息つける時間。
戸を開け放しているので、家族の気配を感じながらも
ひとりの時間がもてる、というのは、なんと贅沢なことでしょう。
主婦って、どうしても自分より家族のペースに合わせがち。
本やテレビに集中しているようでも、家族の気配には
敏感に反応してしまいます。
あ~、何かおつまみ探してるなー、とか、
話したいことがあるんだなー、って。
だからね、ちょっと強引にでも、誰にも邪魔されない
自分の時間をつくるべきだと思うのですよ。
立ち止まって、自分の足元を確かめたり、
その先には何があるのだろうと思い巡らしたり、
ときには、ふっとため息をついたり。
だから・・・
引きこもっていても心配しないでね~
松浦弥太郎さんの『今日もていねいに。』。
毎年、年の初めに誓うのです。
今年こそ、一日一日を大切に、ていねいに過ごそう、って。
でも、家族といれば怒涛のように日々いろんなことが押し寄せてくるし、
自分のことなど一番後回しになってしまう。
いつのまにか、♪時の流れに身をまかせ~って、
なってしまうんですよね。
それはそれでラクチンだから。
そして気がつけば、こんな年になってしまっていたわけです。
アア、コノママデハイケナイ・・・、
今カラデモ、自分ヲ変エラレルダロウカ、と
すがる思いで手にした一冊。
もちろん、読んだだけで変わる、なんてことはありません。
この年になると、そうカンタンに「自分が変わる」なんて
甘い期待も持っていませんし。
でも、少なくともいくつか、はっとする文章に出会います。
そして、あっ、これなら実践できそう、と思えることが
見つかります。
私も、心にとめておきたい文章をノートに書き写す、
という作業を久しぶりにしました。
たとえば、
毎日が「自分プロジェクト」
暮らしの引き算
「それなり」を捨てる
面倒くさいと言わない (どきっ)
・・・・・
などの項目からです。
その中に、一人という贅沢というのがありました。
どんな人も、何かしらの役割の中で生きています。会社の中の自分、
家族の中の自分、親である自分、子である自分。
僕も編集長であり古書店の経営者であり父親でもあるのですが、
誰のためにあるのでもない、素の自分に戻りたいときもあります。
裸んぼうの、なんでもない自分になれるひとときがあれば、
そこで自分を取り戻し、一息つけます。
そこから真剣に人とかかわり、精一杯、コミュニケーションに
心を砕く力が生まれると思うのです。
結婚していようと、どこかに所属していようと、一人の時間を
忘れてしまえば、何かにすがることになります。
依存して生きていけば、自分をなくしてしまいます。
う~ん、なるほど・・・。
この本を読む少し前のことですが、念願の自分のスペースをつくりました。
といっても、長女の部屋を、主のいない間ちょいと拝借しているだけなのですが。
これまで、絵を描くのも、文章を書くのも、キッチンのテーブルの上でした。
食事のつど、かたづけなければいけないし、
何より家族がしょっちゅう、うろうろしてます(笑)
描きたいときにスケッチブックを出して、そのまま出しっぱなしにしておける。
色鉛筆画の本や、源氏関連の本がすぐ手の届くところに置いてある。
(または、散らかっている、とも言います・笑)
お香をくゆらせて、ぼーっとする。
そんな、ささいなことが、これまでできなかったんです。
・・・いえ、してたんですけど、これでもけっこう気兼ねしてたんです。
それが、家族の目を気にせず、心置きなくできるようになりました。
そして何より、ひとりでいる時間を確保できるようになりました。
夜眠る前に、ほっと一息つける時間。
戸を開け放しているので、家族の気配を感じながらも
ひとりの時間がもてる、というのは、なんと贅沢なことでしょう。
主婦って、どうしても自分より家族のペースに合わせがち。
本やテレビに集中しているようでも、家族の気配には
敏感に反応してしまいます。
あ~、何かおつまみ探してるなー、とか、
話したいことがあるんだなー、って。
だからね、ちょっと強引にでも、誰にも邪魔されない
自分の時間をつくるべきだと思うのですよ。
立ち止まって、自分の足元を確かめたり、
その先には何があるのだろうと思い巡らしたり、
ときには、ふっとため息をついたり。
だから・・・
引きこもっていても心配しないでね~