ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

父の庭で

2015-01-20 | 日々のこと。




実家の庭を駐車場にすることになったので、先日様子を見てきました。
亡くなった父は庭仕事の大好きな人で、退職してからは日がな一日庭にいて
松や盆栽の手入れだけでなく、野菜をつくったり、花を植えたりしているような人でした。

父の死後、姉夫婦が母と同居してくれるようになってからは、姉がその庭の世話を
してくれていたのですが、借りていた駐車場に家が建つことになり、これを機会に
庭をつぶして駐車場にすることになったのです。
父の思い出の庭がなくなるのは寂しいことですが、庭の世話も大変だし、義兄の車を置く
駐車場も必要なので、こればかりはしかたありません。

外から見るとわかりませんが、すでに植木屋さんが入って父自慢の松は移植され、
庭の花壇などは掘り起こされています。
神戸に住む中の姉が梅の盆栽などをもらってくれるようですが、みかんの木や、椿、バラなど、
まだ残っているものは処分されるとのこと。
石灯籠も処分するとのことだったので、義母宅にある石灯籠の、割れた傘と交換してもらうことにしました。


この家は私が中二のとき父が建てたものです。
私の実家はもともと曽祖父が始めた食堂で、戦争で祖父を亡くした祖母が
長年切盛りをしていました。
母は二人姉妹の長女なので、結婚の際父は養子に来ることに。
当時家には、曽祖父、曾祖母、祖母、それに叔母もいて、しかも父は国鉄で働きながら
休みの日にはお店を手伝ったりしていたので、それはそれは大変だったろうなあと思います。
実際、私が大人になってから、母の従妹にあたる人から父の苦労話を聞いたことがあり、
そんなことがあったのかと驚いたことがありました。

なので父にとって、自分の家を建てる、というのはひとつの大きな夢だったのでしょう。
父が凝り性だったこともあり、あれこれ間取りを考えたりして、しょっちゅう大工さんが来て
一緒に図面を広げていました。
その中でも一番力を注いだのが庭だったような気がします。

今でも覚えているのは、夜遅く帰ってきた父がいつも夜中に水やりをしていたこと。
こんなに遅くに、と不思議に思った私は父に尋ねたのでしょうか。
父は、水やりしながら庭の木々と話をしている、というようなことを言いました。
そんな時間が、父にとっては一番心安らぐ時間だったのかもしれません。



父の愛した庭がなくなるのは寂しいけれど、これもひとつの時代の流れ、あるいは
ひとつの時代の終わり。
その庭はなくなっても、私の生きてる限りその庭は私の思い出の中にある。
でも、庭の記憶を持つ私たちが亡くなれば、その記憶も一緒になくなって
いつかはそこに庭のあったことさえ誰も知らなくなる。
もちろん、その庭に愛情を注いだ父がいたことことも。
そんなふうに人々は、時の流れの中に埋もれていってしまう・・・

梨木果歩さんの『海うそ』を読んだせいか、「喪失する」ということについて
ふと考えてしまいます。

自分が死んでも家族や友人には私の思い出が残るけれど、月日が流れ、誰の記憶にも
残らなくなったとき、それこそが本当の意味での「死」なのかな、と。
名もなき私たちは、そんなふうにこの地上からひっそり消えていくのだろうな、と。





コメント (2)
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