4月23日に注文し、ゴールデンウィークを挟んでしまったため、先ほど届いた。
さてさて、ちょうど九里員秀を話題にしていた所なのでタイムリーである。
ほかの方の論文では、九里の先祖の先例となる判断があり、それに従ったとあったような記憶がある。が、それは得珍保のことだったかもしれない。(要調べ)
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カタログのには松田対馬守数秀ではなく【対馬守英致】と思われる文書も入っていた。
対馬守数秀の東寺百合文書は1497年(明応6年)が最後のようで、その後は対馬守英致になっている。
下記の論文には系図が載っており、それによると数秀の息が英致である。
さらにわかった事は、長秀と数秀は本当は兄弟であった。が、数秀が養子に出たということである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/677/677PDF/tanaka.pdf
室町幕府奉行人丹後松田氏の研究 南北朝期を中心に 著 田中誠
どう見ても違う。左が松田対馬守数秀 右が松田対馬守英致の筆
もう一つ 下は 九里員秀
素人判断だが、数秀と員秀は別人と思う。