倭国の本を読んでいても判然としないことが多い。
が、以下のアドレスの「世界史の窓」には卑弥呼が「魏」に使者を送っていた時と思われる「倭国」の記載もある地図が載っている。もちろんまだ正解はないのかもしれないが、参考になる。
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-099.html
もう一つの地図(wikiから)と比べるとその位置が対馬・九州に以下に近いかわかる。
そしてその倭国の場所は「加羅」「伽耶」と呼ばれている場所と重なり、額田王の父と思われる人物(本当は恐ろしい万葉集より)金庾信(キム・ユシン)が金官加羅国王の末裔とあるので、額田王がいた可能性が高くなる。そして武烈王がいた新羅は隣国である。
北海道にいると、この距離感を忘れている。
そして一つ、我が家の家紋である榧之内十文字の「榧」が「伽耶」の音とほぼおなじではないか?と気になった。
此処(加羅・伽耶)と景教、または秦氏と関係があるのではないだろうか?
誇大妄想も甚だしいかもしれないが、そのように感じている。
大陸の歴史は、気を緩めるとボーダー(国境)がボーダーレスになってしまう‥‥そんな歴史で、日々刻々と変化していたような印象を受ける。
これは、今のロシアとウクライナそのもので、やがてロシア対北海道にも発展するのではないかと危惧している。
対馬と朝鮮半島を見ていると、それはそのままオホーツク海とロシアに見えてくる。
国境という概念をいとも簡単に覆されてしまった国・覆してしまった国は、この先どうなっていくのだろう。
そもそも、国境というものが一時的なものに過ぎないことを、歴史は教えてくれているのではないだろうか。
今年も、今日を含めてあと4日、世界に「おおごと」が起きないよう願っている。
今まで知らなかった世界で、驚きの連続です。
日本すらも、まだよく知らないことだらけの私が大陸の歴史に足を突っ込んでしまい困っていますが、九里は大陸からやって来た人と言う流れに乗っています。
聖徳太子の展覧会に行ったことから始まったような気がしていますので、そこにヒントがある!と思います。笑
あと4日、どうか良い年末をお過ごしくださいませ。
来年も、よろしくお願い致します!!
韓在帶方之南,東西以海爲限,南與倭接とあり、半島南部は、倭だった事が知られ、大和政権の範囲を示す前方後円墳が多数発見されております。
任那日本府は、継体天皇6年(512年)に大伴金村によって、百済に割譲されております。
一度は、日本書紀を読みたいとは思いつつ、古事記和歌しか読んでおりません。