web情報によると、
【中原有安】
平安末の音楽家。
父は内蔵助頼盛との所伝がある。
建久6(1195)年3月東大寺供養に太鼓を担当,同8年以前の没と推定される。
民部大夫,飛騨守を経て建久5年筑前守。二条天皇の楽所に祗候し,九条兼実の推薦で後鳥羽天皇の楽所預となる。
琵琶,笛,箏,今様,朗詠,魚山流声明などを相承し,太鼓などにも堪能。
九条兼実,鴨長明の琵琶の師で,『玉葉』には政治的情報をもたらすなどの言動が,『無名抄』には長明に対する教訓が記される。
『胡琴教録』は有安の琵琶の説を記したもの。
養子景安はのちに鎌倉八幡宮の楽人となる。
和歌は『千載集』『月詣和歌集』等に載り,私選集『寒玉集』(散逸)を編む。
【中原有安】
中原有安(なかはらのありやす)。系図では有康とも書かれているそうです。
子に宗安、盛安。養子に景安。
九条兼実の家司(『玉葉』)
建久5年(1191年)(後鳥羽天皇)になり始めて楽所が置かれ、「筑前守中原有安」は楽所預となる。
鴨長明の『無名抄』によると、鴨長明の琵琶の師。
日本歷史叢書, 第 11 巻
60 ページ
この頼業の弟音博士祐安は大外記中原師尚の養子となったが、頼業の曾孫良枝が中原師守の娘を母としたことは前記の通りであり…
「日本歴史叢書」では、祐安=有安の説となっております。
私としては、同時代に二人の「ゆうあん」または「ひろやす」「ありやす」がいた可能性もありそう~と思います。
どなたか、ご存知でしたらお教えいただけますとありがたいです。
【中原有安】
平安末の音楽家。
父は内蔵助頼盛との所伝がある。
建久6(1195)年3月東大寺供養に太鼓を担当,同8年以前の没と推定される。
民部大夫,飛騨守を経て建久5年筑前守。二条天皇の楽所に祗候し,九条兼実の推薦で後鳥羽天皇の楽所預となる。
琵琶,笛,箏,今様,朗詠,魚山流声明などを相承し,太鼓などにも堪能。
九条兼実,鴨長明の琵琶の師で,『玉葉』には政治的情報をもたらすなどの言動が,『無名抄』には長明に対する教訓が記される。
『胡琴教録』は有安の琵琶の説を記したもの。
養子景安はのちに鎌倉八幡宮の楽人となる。
和歌は『千載集』『月詣和歌集』等に載り,私選集『寒玉集』(散逸)を編む。
【中原有安】
中原有安(なかはらのありやす)。系図では有康とも書かれているそうです。
子に宗安、盛安。養子に景安。
九条兼実の家司(『玉葉』)
建久5年(1191年)(後鳥羽天皇)になり始めて楽所が置かれ、「筑前守中原有安」は楽所預となる。
鴨長明の『無名抄』によると、鴨長明の琵琶の師。
日本歷史叢書, 第 11 巻
60 ページ
この頼業の弟音博士祐安は大外記中原師尚の養子となったが、頼業の曾孫良枝が中原師守の娘を母としたことは前記の通りであり…
「日本歴史叢書」では、祐安=有安の説となっております。
私としては、同時代に二人の「ゆうあん」または「ひろやす」「ありやす」がいた可能性もありそう~と思います。
どなたか、ご存知でしたらお教えいただけますとありがたいです。
Cinii、そうですよね。
しばらくそのままにして、また何かの折に、養子のことが出てくるかもしれません。
文机談。webで、この本の内容を分かりやすく書いていらっしゃる方もいらして、参考にしたりしております。
図書館で、調べてくださりありがとうございました!